2017年12月31日日曜日

20171231 まんなかの神さまと壊れた時計

2017年の一年間で、わたしの手元から誰かのもとへ渡った作品の数は、500点ちょっと。

そんなにも、という驚きと、まだそんなもんか、という落胆。
どちらも、本音。

人を待たせすぎないためには今のペースが最適だけど、自分の日常の中にたくさんある余白の時間のことを考えれば、まだまだ作れる。
ちょっとしたことを人に手伝ってもらうようにしてからはずいぶん楽になったけものの、葛藤はいつも尽きない。

ともあれ、作品を通じて関わりを持つことのできたすべての人に、深謝の気持ちでいっぱい。

作品がどんな人のもとへ届いたのか、そこにどんなストーリーがあるのかを全部知っていることが、どれだけ恵まれたしあわせなことか、毎日毎日ありがたさで満たされている。


去年の今頃の苦々しい経験があったからこそ、今年は大きな方向転換に挑戦できた。
その方向転換が功を奏して、今年はとても充実した、いい年になった。
来年はもっと新しい挑戦をしたい。

どうかこれからもまた、たくさんの人に会えますように。


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仕事と反比例するように、プライベートは空っぽ。

たまに親しい友人と会うくらいで、たいていはひきこもっている。

そんな状況では浮いた話の出てきようもないけれど、そういえば先頃、仕事で出会った人と情報交換のビジネスランチをしたとき、とことん噛み合わない会話の果てにどういうわけだか本気で結婚前提のおつきあいを申し込まれる、という珍事があった。

わたしに運命を感じたというその稀有な人は、わたしの素敵なところやその運命について一生懸命語ってくれた。

けれど残念ながら、彼の言葉はまるで知らない星の言葉みたいにわたしにはひとつも理解できず、その人の視線が熱を帯びるごとに、決して懐かないネコみたいに身体中の毛が逆立っていく。

仕事をする分にはまったく差し支えなかったけど、プライベートのわたしは、1mmたりともその人を好きじゃなかった。
運命って、けっこう残酷だ。


そのときまで、友人たちがわたしに対して声をそろえる「ストライクゾーンが狭すぎる」という評価を、みんなの勘違いだと思っていた。

確かにわたしはおおかたの人にまったく興味を抱かない。
でも、友人も含めて誰かと時間を共有するためのモード切替をすれば、だいたい誰とでもそれなりに感じの良い時間が過ごせるし、誰のこともそんなに嫌いにならない。

実際にはそんな切替をしなくても誰かといられる人の方が、きっと多いんだろうけど、ひとりの時間がどうしても必要な人種はいるし、その類の人がみんな独り身でいるかといえば、そういうわけでもない。

だから、たとえものすごい恋に落ちることがなくても、日常を穏やかに楽しく過ごしていける人を見つけるのは、今やもうそんなに難しいことじゃない、と本気で考えていたのだ。

でも、結論から云えば、友だちはみんな、正しかった。


意外と、こうじゃなきゃ嫌だ、がたくさんあるらしい。
自分のことはいくらでも棚に上げて。


その出来事を通して、痛感したことがある。

パートナーがいたらいいのにな、という気持ちは嘘じゃないけど、目をこらして本音を眺めてみると、その気持ちの9割を占めるのは「38歳にもなって女性として誰かに特別愛されることもないのはきっと何かおかしなところのある惨めな女だからに違いない、なんて誰かに思われたらものすごくムカつくな、という見栄」だったこと。

結局、そんな単純なことなのだ。

それでも、番った女性たちがみんな判を押したように同じ空気を醸していくように、どんなに仕事をがんばろうが、誰かをしあわせにしようが、深く根づいている古くからの価値観の前で巻き込まれ事故みたいに嫌な思いをする場面に遭遇してしまうことが、独身女の日常の中には残念ながらたびたびある。


ほんとうに自分がひとりで満たされていれば、自分以外の世界にふと気を向ける、ということ自体が愛で、ただそれだけでもうじゅうぶん、というスタンスを貫いたところで、たとえ悪気はなくとも他人が不注意に落とした小さなひとしずくによって、凪いでいた静かな水面に波紋が広がることもある。


切実な願いならともかくこんなつまらない見栄のために、ものすごく好きな人以外の人とちょっとでも時を共にするなんて無理だ、と思い知った今、この教訓を活かして、いっそう厚くなったバリアに空いている針の穴ほどの小さな隙間をくぐり抜けてきてくれる猛者か、あるいはその針の穴からほどけない糸でグルグル結んでしまいたくなるような美しい人に出会えるのを楽しみにしながら、しばらくはこのまま過ごすことにした。


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秋の福岡と大阪でのふたつの展示をきっかけに、期せずして、小さな遠足をちょこちょことする機会を得た。


気のおけない友だちと、家族と、そして、いつもそばにいる見えない誰かとの遠足はどれも、とても楽しい時間だった。

遠足のときは、多かれ少なかれ必ず、その土地でピンと来た神社にも参拝する。

神社巡りはもはや、古本屋さんを見つけたら必ず立ち寄る、とか、友だちに会うために旅をする、と同じように、わたしの趣味のひとつみたいなものではあるけれど、少し特別な気概を抱いて神社に行くたび、今回はなぜか、今まで感じたことのない違和感に苛まれた。


たどりつくまでの道のりの美しさや険しさに感じるワクワク感や、空気の変わる参道の清々しさを全身で吸い込む心地よさは何も変わらないけど、どの遠足でも、そこに一緒に行った人や、その場所でなんらかの役割に従事している人、たまたま同じ時間を共有した人の言葉や行動のささいなことで、場がもっともっと輝きを増したり、反対に、整っていたはずの気が穢れるのを感じたりする場面の方がずっと気になった。


短期間に、福岡、壱岐、大阪、熊野、奈良、神戸、豊橋、出雲を巡った。

違う土地の、違う神さまが祀られたいろんな場所で、お社の中にいる「神さま」に向かって手を合わせるたび、最後にいつも同じ声がした。

「見ている方向が違うよ」


そのたびにわたしは後ろを振り返ってみたり、あたりを見回してみたりしたけど、どこにもなんにも隠れていたりはしなくて、その言葉の意味がわからないまま、ひょっとしたら自分と神さまとの距離感が変わりつつあるかもしれない、というなんとなしの予感は見て見ぬフリをした。

変わることが、怖かった。

だから、そんなときはいつもとりあえず、そこに来られたことに満足して、お土産みたいに起こる摩訶不思議な出来事を食事やティータイムのネタとして誰かに話したりしているうちに考えることはさっさとやめてしまい、予感も違和感もしまいこんでいた。


そうこうしているうちに年内最後の展示も終わり、とてもいい時間を過ごすことができた余韻のまま、さぁ、年内にオーダー分はぜんぶ終わらせるぞ!とはりきっていた矢先、20年以上ずっと部屋に掛けていた時計が突然、狂ってしまった。


その掛時計は当時つきあっていた人がプレゼントしてくれたもので、完全に彼の趣味が反映されたオールドアメリカンなデザインも質感も好みではなかったけど、愛着がまったくなかったゆえに、静かだから、という理由だけでなんとなく使い続けていた、くされ縁みたいな代物だった。

だから、その時計が元に戻らないとわかったとき、新しい時計に替えることにはなんの躊躇もなかった。

取り急ぎすぐに替えられるものを、とネットでいろんなデザインの時計を見ているうちにふと、20年以上もの間、いろんな喜怒哀楽がジェットコースターみたいに通り過ぎていっても、時計はいつも変わらずしっくりこないまま静かに時を刻んでいて、わたしはほとんど毎日、ともすれば一日に何度も、あの時計を見るたびに変な時計だなぁ、でも静かなんだよなぁ、と無意識に意識してはすぐ忘れていたことに、初めて気がついた。

その一連の動作は、ひょっとするとどんなルーティーンよりも密やかに、そして確かに、わたしの日常のひとつに溶け込んでいた。


時計というものがそんなふうに一緒に生きる時を刻んでいくものなら、音だけじゃなく見た目だって、自分がこれから過ごしたいイメージと同じものにしなくちゃな。

そう考えて選んだのは、『drops draw the existence』と名づけられたマットな白磁のデザイン。
無駄な装飾がなくて、洗練されていて、静かな、アートのように美しい時計だった。


どうせ明後日には届くし、とわたしは少しずつ狂っていく時計をそのまま壁にかけておいた。

けれども実際に新しい時計が届いたのはそれから2週間後で、その間、わたしの心と身体はまるで古い時計に呼応するかのように、どうしようもならない狂い、みたいなものに巣食われる羽目になった。

仕事をする気がまったく起きず、良質な睡眠は得られず、食べ物は消化されず、気持ちばかりが焦る。


そんな最中、気分転換も兼ねて名古屋と伊勢に出かけた際、ぼやけていたピントが突然クッキリと合うような気づきに出くわした。


それは、5年前にHIMIKAのロゴになるマークのインスピレーションをくれた、とある小さなお社の前で手を合わせていたときのことだった。

あらためてのお礼やかいつまんだ報告をムニャムニャとしている途中でふと、あれ、今、わたしはどこに向かって話しているんだろう、という疑念がわいてきた。

神さまの気配は確かにあるのに、手を合わせているお社にも、上にも横にも後ろにも、どこにも神さまが見つからない。

そこでわたしはいったん話すのをやめて、ところで神さま、今どこにいますか?と尋ねてみた。

するとすかさず、鈴のようにきれいな声が、

「わたしはここにいるよ」と云った。

声は目の前のお社でも上でも横でも後ろでもなく、確かにわたしの身体のまんなかから響いてくるのだった。


その瞬間、ここしばらく感じてきた違和感や、誰とはわからないけれどもわたしが神さま、と呼んでいるものがずっと教えてくれていた「見ている方向が違う」という言葉の真意が、すっかりわかったような気がした。


神さまっていうのは自由自在だから、どんな場所にも、過去にも未来にも、いつでもどこにでも居られる。

だから、神さまのおうちは立派なお社でもお札でも神棚でも石ころでもお花でもいいし、人の心や身体が常宿になったって、別にかまわない。


どこかでものすごく特別なものだと畏れて、もうちょっと離れたところにいると思っていた神さまが、小さなサイズになって自分の真ん中に棲みついている、とわかったら、わたしはとても嬉しくなった。

こんなに嬉しいのだから、これからもずっとそこで快適に遊んだりぐうたらしたり、わたしの心と親友になった暁には心が自分をこめてがんばっている仕事を手伝ったりもしてもらうためにも、わたしはわたしの心も身体も、もっともっと心地の良い、美しい状態であれるようにしなくちゃいけない。

そして、その在り様を投影できる場所を日常の中に作りたい、と強く思った。

アトリエが欲しい、というのはもうずっと考えていたけど、それが果たして何をいちばん優先する場所なのか、というイメージがなかなかつかめずにいた。


ほんとうに欲しいのは、展示をするための場所でも人と打ち合わせをするための場所でもなく、わたしとわたしの神さまだけの秘密基地。

ときどき誰かが遊びに来たり、お祭りみたいな楽しいことがあったりするかもしれないけど、それ以外はわたしたち以外誰にも入れない、聖域みたいな空間。


ひょっとすると、太古の昔に誰かが作り始めた神社やお寺や教会や、そういうもののいちばん最初の形もやっぱり、こんなちっぽけな願いから始まったんじゃないだろうか。

だとするとわたしがずっと心惹かれてきたのは、いつからか神さま、なんてひとくくりで呼ばれるようになった、その人の信じる絶対的な存在の住まいを自分の中にちゃんと持っていて、それをずっと忘れずに大切にしていきたいと強く願って目に見える形を作った誰かや、それをそのまま保ちたいと尽くした誰かの、その心意気みたいなものだったのかもしれない。


現実問題はさておき、その空間を形にすることができたら、そこから生み出される作品たちは今までよりもっともっと良いものになる。
何人もの職人さんに作れない、と云われたHIMIKAが、ちゃんと形にできたように。

そんな確信が、ある。


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微妙に時間軸のずれた、なんとも気持ちの悪い感覚のまま、クリスマスが過ぎ、年末も残り一週間を切ったところで、ようやく新しい時計が届いた。


狂った時計を壁からはずし、きちんと時間の合っている新しい時計を壁にかけた瞬間、時計と一緒に狂っていたわたしの調律が、嘘のようにピタリと合うのを感じた。

モヤモヤしていた視界が開けたら、途端に世界はとても明るく、美しい。
原因不明のネガティブでジメジメとした感情は乾いた砂のように吹き飛んで、重苦しい雲は消え、心はすっかり晴れている。


そのときになって初めて、わたしはここ2週間の具合の悪さがひょっとすると時計という媒介を通してつながっていた別の次元や時間の影響だったかもしれないこと、その中に蓄積されていたであろういろんな想いのことに、ようやく考えを巡らせることができたのだった。


無駄な装飾がなくて、洗練されていて静かな、アート作品のような新しい時計は、年が明けるより先に、わたしの新しい時間を刻み始めた。

わたしはまだ新しい時計がそこにあることに慣れなくて、見るたびにあぁそうだった、時計が変わったんだった、なんて素敵な時計なんだろう、といちいち驚いたり感嘆したりしている。
そしてこれまでよりずっと多く、一日に何度も時計を見る。

時間ではなく、その静けさと美しさを確かめるために。
その都度わたしの真ん中で、小さな神さまが手を叩いて喜んでいるのを感じながら。


それは、今のわたしにとってたまらなく嬉しく、このまま日常の中に埋もれていってほしい大切な瞬間のひとつに、なりつつある。














2017年10月1日日曜日

20170930 ラブレターのお返事

人はいろんなことを経験して、学んでいく。

とてつもない痛みや恐怖は成長する上でときどきすごく重要で、忘れずに覚えていることで注意深くもなるし、それをなんとか乗り越えたことで得た強さは必ず自分をしっかり支えてくれる太い柱になる。


真っ暗闇の空っぽの中で動けずにいた日々の孤独や、せっかくたどりついた好きな仕事が自分の見通しの甘さや「できることをやらない」せいで続けられなくなるかもしれない、と気づいたあの日の凍りつくような恐怖を思い出すたびに、わたしの背筋はシャンと伸びる。


丁寧に仕事をすること。
清廉潔白に生きること。
愛をもって人と接すること。
優しくまっすぐに在ること。


そういう心がけに沿って過ごしていると日々はだいたい穏やかだし、関わる人はだいたい親切で、流れる時間は温かい。

この心がけを課すことは、自分に対する保険でもある。

人生には必ず大波小波がつきものだから、たとえどんなに「このまま」を祈っても、ちょっとした拍子でまたストン、と穴に落っこちてしまうことがある。

事実、日々がどんなに穏やかに続いていても、またあの絶望の中に落っこちてしまったらどうしよう、という恐怖は、わたしの心の奥にいつも貼りついている。

それでも、自分が自分に後ろめたいこと絶対にしない、と決めてそのとおりに生きていれば、たとえ何かどうしようもないことが起こったとしても、受け容れて、また乗り越えることができる、と信じる。
それが、わたしにとっての保険。

だって、自分のせい、は他の誰かや何かのせいよりも、ずっとずっと苦しい。

だからこそ、自分のせい、の原因をできるだけ作らないように毎日自分なりにきちんと生きることは、他の誰のためでもなく自分に対する最大の愛情だ。


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この3年で、あんまり好きではないなりに、この容姿も声も過去も少しずつ「わたし」に同化させる作業をしてきて、最近ようやく、過去のわたしとの境目がなくなってきているような気がしているのだけれど、ここに来て、いまの自分の立っている場所を確かめたり、過去のわたしに感謝したくなる出来事がたて続いている。


7月、ずっと気になっていた代官山のギャラリーで、自分の理想に近い空間作りを試せる機会を得た。

去年まではどんなにたくさんオーダーが入ってもどんどん増える材料費が年収を軽く上回ってしまう状態だったから、せっかく美しいものを作っても展示空間に妥協をしなければいけない、という本末転倒なことになっていたけれど、今年に入って展示の回数を急増したことで、少し余裕が出てきた。

そこで、7月の展示が決まってからは時間もお金もそれなりにかけて、いまできることをできるだけ形にしてみた。

久しぶりに描いたアートは、今までの作風をベースにしながらも、この世界とはまったく別次元のところにある、わたしの魂が見ている風景をイメージして作りあげた。


そして、そのアートを基準にして展示空間に置く作品や石たちを決めていった。

仕上がった空間を眺めたら、まだまだ納得のいかないところはたくさんあったし、わたしの中にあった覚悟や熱量は、さして人には伝わらなかったように思う。

それでも、その空間はわたしにとってとても居心地がよくて、ちゃんと好きだと感じられるものになっていた。

来てくれた人にも今まででいちばん好評で、ほとんどの人がめずらしく作品のことだけではなく空間そのものについても好意的な感想をくれた。

その中である人が「とても洗練された、静謐な空間」と評してくれたとき、あぁそうだ!そういうふうにしたかったんだ!と、自分で行き場を失くしていた満足と不満の両方が、ストンと腑に落ちた。

洗練、と静謐。
そのふたつは、これからわたしが自分の作品世界をつきつめていく上で、間違いなく大きなキーワードになってくる。


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7月の展示ですっかり気が抜けてしまっていて、8月はまったく使いものにならないまま過ぎてしまったけれど、9月にはまた別の形で意識を変える体験が待っていた。

ジュエリーがメインの展示としては初めての地方展示になった福岡で過ごした13日間。
期せずしてとても充実した、素敵な時間になった。


大きな理由は、ふたつ。

ひとつめは、展示を「一緒に」作り上げてくれた人たちの存在があったこと。

この展示はもともと自発的な企画ではなく、九州地方のお客さんふたりがスピタルハコザキさんに企画を持ち込んで、わたしの代わりにプレゼンをしてくれていたことから決まったものだった。

そんな経緯もあって、彼女たちは展示期間中、自分たちの仕事の時間以外はずっとわたしのサポートをしてくれた。

彼女たちだけではなく、店主の原田さんを始め、ちょうど同じ時期にいろんな形で同じ場所に関わっていたスタッフの子たちも若い作家さんたちも、みんなみんなとても好意的に接してくれた上に、彼ら自身もそれぞれが心から、わたしの展示を楽しんでくれた。

びっくりするくらい毎日遅くまで忙しくてもちっとも疲れを感じなかったのは、そういう温かい人たちの温かい厚意のおかげに他ならない。


新しく素敵なお友だちにも出会えたのも、大きな喜びだった。

初めて会ったときから、あぁ、この人と親しくなりたいなぁ!と感じた人が同じように親近感を抱いてくれて、お互いに人見知りを乗り越えて仲良くなれたとき、自分にとってすごく重要な人との縁や出会いについて頭でゴチャゴチャ考えていたことはすっかり吹き飛んだ。

わかるときは、ちゃんとわかる。
自分の直感をもうちょっとアテにしてもいいんだな、と思ったら、なんだか気が楽になった。



ふたつめは、お客さんたちと過ごした時間の密度の濃さ。

実は福岡へ出発する前日に、シミュレーションしていた展示空間がどうやら作れないらしい、ということがわかった。

7月の展示でいちばん注力していたのが「見せる側」にある作品や什器や空間だったから、反動が大きすぎて、展示ごといっそやめてしまいたいというくらいテンションの下がった状態で福岡入りしたのだけれど、展示の動線を大幅に変えたことが結果的にはとても功を奏した。


東京の展示は来てくれる人のほとんどがリピーターさんか誰かのクチコミで、つまり最初からわたしの作品に興味と好意を持って、オーダーをするために展示に来てくれる。

だけど、知り合いもほとんどいない福岡の展示を覗いてくれたのは、過去のわたしはおろか、いまのわたしのこともまったく知らない人ばかり。

だからこそ、自分の「見せたい空間」をきっちり作ることである程度の自己紹介をしたかったのだけれど、それができなくなったために、期せずして「わたしが居る空間」を来てくれた人にとっていかに心地よくするか、を大急ぎで考えなければならなくなった。

取り急ぎ準備できたものでどうにかこうにか体裁を整えたものの、ほんとうに試されたのは私のホスピタリティとサービス精神、だった。

見せ方に甘えられない分、わたしはいつもよりもよくしゃべった。


言葉が自分にとってとても大きな味方になってくれることはわかっているけれど、わたしはこの3年間、人と会話をすることや言葉を発することを、極力避けてきた。

仕事でオンモードのスイッチが入れば、作品や石のことならいくらでも話せるけど、過去のことは話を合わせるのが大変だし、いまのことはだいたい空っぽで特に話したいこともないしで、いつのまにか、誰といてもあんまり会話らしい会話をしなくなっている。

ふだんの展示中も、よっぽどゆっくりお話できる時間があるときを除いては、ジュエリーを作るために必要な会話しかしないか、お客さんに甘えて黙っているか、のどちらかになることが多い。

でも、福岡の展示でわたしはとても久しぶりに、たくさんの人とたくさんの会話をちゃんとすることができた。


それは「ヒミキヨノ」にとっては初心にかえった時間であると同時に、わたしにとっては、はじめましてのお客さんと向き合いながら「ヒミキヨノ」を作り上げてきた過去のいろんな出来事を改めて思い出し、そのひとつひとつにあらためて驚いたり感謝したりする、不思議な時間だった。

人々とお話をしながら、すべてが事実であることを我ながら疑いたくなるくらい、わたしの生きてきた38年間には驚くくらいたくさんの経験が詰まっていること、そしてその経験の中には誰かのこれからに役立つことが混じっていたり、共感できることがあったりすることに気づいた。

人に合う石を選ぶ、という特技にはサイキックリーディングを要するけど、ただ人に合わせてお話をするのに、リーディングなんて必要ない。

ほんとうはずっとそうやって会話をしてきたはずなのに、自分自身の考えと外側からのインスピレーションとの境界線がわからなくなってから、わたしはどこかで、自分の言葉だけで会話することに自信をなくしていたのだと思う。

でも、その境界線にこだわっているのはたぶんわたしだけで、相手にとってはどれもわたしの口から語られる言葉であることに変わりはないし、その言葉の源がどこにあるかなんて、きっと誰も気にしない。

求められてばかりになったら苦しいけど、作品と同じくらいにわたしの「言葉」がときに誰かの心を小さく照らしたり護ったりするのなら、もうあんまり出し惜しみするのはやめよう。

これは、今年に入ってから東京の展示でもお客さんとお話をする時間が少しずつとれるようになってきた中でも感じていたことだったけど、福岡でのたくさんの会話を経て、その気持ちがますます強くなるのを感じた。


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何かの出来事をきっかけに、大なり小なりの忘れていたことや新しい発見があったことに気づく。

それを言葉にして残さなくなったのは、文章を練る時間がとれなくなったりおっくうだったりというのもあるけれど、いちばんの理由は書いている途中でいつも、別にこれ、人に伝えなくてもいいか、とすぐにやめてしまう癖がついていたからだ。


感情をこめて書いたわたしの「ほんとう」が、リアリティのないフィクションのように受け止められるのが、嫌だった。
かといって、感情のこもらない文章なんて、書く意味すら感じられない。

だけど、わたしにとって何がほんとうで何が嘘か、なんていうことはわたしだけが知っていればいいことであって、たとえそれが本音であれ建前であれ、そのときの自分が誰かに何かを届けたくて書いた言葉はぜんぶ「事実」だし、そこから先、一人歩きしたその言葉の行き先は、それが届いた人のもとで自由に昇華されていけばいい。

書けなくなったのはきっと、そのことがわたしのなかできちんと納得できていなかったからだし、それがわかったからと言って、前のようになんでもかんでも書くようなことは今後もないと思う。


それでも今回、まとまらないなりに久しぶりのブログを書いているのは、たったひとり、この文章をどうしても届けたい人がいるからだ。


数年前、ひょんなきっかけでわたしの以前のブログを見つけて以来、ずっとわたしの文章を大好きでいてくれたという人が、このあいだの展示のときに中学生の息子さんをつれて会いに来てくれた。

彼女はいちばんつらかったとき、わたしの書いた文章を何度も繰り返し繰り返し読んでくれたこと、そしてそれにどれだけ心を救われたのかを一生懸命に話してくれた。

わたしなんて別に有名人でもないただの人なのに、いまこうして同じ空間にいられるなんて夢みたい、と感激しながら笑ってくれたのが、すごく嬉しかった。

そして彼女は、お守りにしたい、とHIMIKAの指輪を選んでくれた。

サンプルに出したばかりの指輪がちょうどシンデレラサイズだったから、指輪はそのままお渡しして、桐箱だけを紙袋に入れて渡した。
すると、それまで寡黙だった息子さんが不意に、お母さんに向かって微笑みながら、「HIMIKAの箱があれば、なくさないから安心だね」と言った。

ふたりはきっと気づかなかっただろうけど、わたしはこのとき、泣きたいくらい嬉しかった。

彼女がとても心のこもった言葉で想いを伝えてくれたのと同じくらいに、中学生の彼がサラリと「ヒミカ」と口にしたとき、これまで彼がお母さんからどれだけわたしのことを聞いていたのか、そしてどれほど一緒に大切にしてくれていたのかがダイレクトに伝わってきて、胸がいっぱいになっていた。


福岡の展示では、たくさんのお手紙をいただいた。

SNSや誰かの紹介や旅先で出会ったのをきっかけに、わたしに会うことを楽しみにしてくれていた人たちからのお手紙もあったし、福岡で初めて出会った人が二度、三度と繰り返し展示に遊びにきてくれたときにくれたお手紙もあった。
一緒に展示を作ってくれた若い作家さんたちが最後に自分たちの作品と一緒に渡してくれた、心のこもったお手紙もあった。

展示が終わったあとにいちばん長いラブレターをくれたのも、彼女だった。

彼女のくれた手紙の中には、代官山の展示空間に向けて誰かがくれた褒め言葉と同じくらい、わたしの中でずっと輪郭のぼやけていた、でもずっと欲しかった言葉が書いてあった。

それを読んだとき、たまらなくしあわせな気持ちになると同時にわたしは、彼女が、そして他にもたぶん多くの人が大切に想ってくれていた過去のブログを、いまの自分の「真実」と違うから、という理由で消してしまったことを、初めて申し訳なく思った。


過去に書いた文章を消したことに後悔はないけど、過去のわたしの文章を愛してくれた人の想いは、わたしにとって、絶対になかったことにはしたくない、大切なもの。


だからこれからはまた、自分のためにだけじゃなく、誰かのために書きたいと思ったら、そのときもちゃんと形にして伝える努力をもっともっとしていきたい。

「文章を書いてもジュエリーを作っても音楽を作っても、存在するだけで人を幸せにする方」

わたしにそんな宝物のような言葉をくれた人に恥じないように、言葉だけじゃなく、音楽も、アートも、何かそれ以外のことも、いまのこのまっすぐな気持ちのまま、自分のために、と誰かのために、をどちらも心に正直に作っていけばそのうちきっと、わたしの中にあるいろんな境目も、わたしと誰かの境目も、ぜんぶなくなるときが来るだろう。


足りないものがたくさんあっても、いまわたしがとてもしあわせなのは、わたしの仕事のすべてが誰かのちいさな喜びにつながっていて、その喜びを伝えてもらうことがわたしの原動力になって、という循環で成り立っているからだと思う。

奢ることなく、怠けることなく自分のペースでこれをずっと丁寧に続けていくことができたなら。


ただただ日々、感謝の気持ちいっぱいで過ごしていく。
その小さな感謝のひとつひとつが、わたしのしあわせタンクを満たしてくれる。

もしもわたしが誰かのしあわせタンクを満たすもののひとつになれたなら、それがずっとその人にとって愛おしいもののまま、いつかそっと忘れられたい。

そんなきれいごとが、今のわたしには前よりずっと馴染んでいる。

それはぜんぶ、他の誰かのおかげさまだ。


いろんな形でわたしを見つけてくれたすべての人に、今日もありがとう。

明日からもがんばります。












2017年7月1日土曜日

20170701

誰かと思いきり話がしたい。

共通言語じゃなく、わたしの言葉が通じる誰かと。












2017年4月18日火曜日

20170418



10年くらい愛用していた傘が、この間ついにダメになってしまった。


雨の日も楽しい気持ちになるようにって友だちが選んでくれた、踊っている人々が描かれた陽気なあの傘。

大好きだった。




新品のビニ傘が、カフェで友だちとしゃべっている間にヨレヨレのビニ傘と入れ替わっていた昨日の夜、大雨の帰り道を車で家まで送ってくれた大好きなお友だちが、お誕生日プレゼントだよ、と後部座席に陣取った細長い箱をくれた。


傘が欲しいって言ってたから、と彼女が選んでくれたのは、HAN WAYの傘。


見るからに丁寧に作られているジャガード織のその傘は、触るとふんわり温かい。


大好きな色合わせと大好きな模様の、大人のための傘。


自分で探してもきっと見つけられなかった、わたしがいちばん欲しかった傘。



この10年間、雨が降って、あの陽気な傘を開くたび、わたしはいつもそれをくれた友だちを思い出して嬉しかったけど、これからの10年はきっと、雨が降ってこの美しい傘を開くたびに、あの傘をくれた友だちのこととこの傘をくれた友だちのことをいつも一緒に思い出して、いっそう嬉しくなるんだろう。



『おじさんの傘』みたいにだいじなだいじなこの傘と、これからたくさん雨の音を聞きたい。


雨が降ったらポンポロリン。

雨が降ったらピッチャンチャン。


次の雨の日が楽しみだ。









2017年2月27日月曜日

20170227 Where am I?

何を書いても、こんなことが書きたいんじゃない、と思う。
何を描いても、こんなものが描きたいんじゃない、と思う。


淋しいのは、かきたいものがかけないことじゃなく、かきたいものが何なのか、さっぱりわからないことだ。


頭の中はいつも日常のことを考えるのにいっぱいだけど、肝心なところがずっと空っぽ。


言葉が出てこない。
景色が見つからない。
音が鳴らない。


わたしが言葉を紡がなくても絵を描かなくても音楽を作らなくても別に誰も困らないし、心が穏やかなのはとても良いことで楽だけど、表現したいことや誰かに伝えたいことが何もないと、日々はとても味気なくて、つまらない。


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昨年の展示あたりからいろんな人に、また絵の個展はやらないんですか?と訊かれる。

いまは何も描きたいものがないから、しばらくはやらないかなぁ、と応えながらも、個人のエネルギーアートじゃなくてもわたしの絵の作品を見たいと思ってくれている人がいることは、じぶんの作品にまったく愛着のないわたしにとっては正直ちょっと意外で、だけど、すごく嬉しかった。

またいつか、絵を描けるようになればいいな、と素直に思った。


誰かのために作るジュエリーは作れても、自己表現の作品が作れないいちばんの理由は、わたしがわたしのことをちっともわからなくなってしまっていることだろうと思う。

たいていのことは把握できているつもりでいたけど、わたしはわたしのことをほとんどちゃんと応えられない。

好きな色は。好きな香りは。好きな音は。好きな味は。好きな感触は。

考えれば考えるほど、よくわからない。
だから毎日、自分にかかわるすべてのものに対して、わたしはこれが好き?と問いかけては、じぶんのことを確認している。


昨年の秋、知人の展示を見に行ったとき、色とりどりのいろんな作品に流れている同じ空気がわたしにはとても心地よく感じられて、これらの作品には何かイメージするものがあるんですか、と質問したら、彼は、自分が存在したい世界や場所、みたいなものかなぁ、と答えてくれた。


そのときからずっと、わたしも自分が存在したい世界を描いてみたいな、と思っているけど、頭に浮かぶのは真っ白な、からっぽの空間で、かといってそこがわたしの存在したい世界なのかといえばそうではなくて。
色はまだ、つけられない。


********

年末の仕事で心身共に疲弊したのをきっかけに、年明けから一ヶ月くらいかけて、これからどうしたいのか、をとことん考えた。

結果的に、不満と不安だらけの現状を打開できるかどうかを測るのはもっとちゃんと努力してみてからだ、という結論にいきついて、できることから少しずつ始めてみてはいるものの、わたしの世界は今のところあまり面白みもなく、モノクロのまま。


少し前に友人がとある日本画家の方の個展につれていってくれたとき、静かな湖の情景を描いた風景画から、轟々と濁流のような水音が聞こえてきた。

それはたぶん、その絵を描いていたときの彼女の心の音で、その強い感情に圧倒されながら、わたしも自分の心の音を描いてみたいな、と思ったけど、頭に浮かぶのはただの静けさで、心の音どころか、好きな音すら聞こえない。


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今年の初め、「海外出張でいない間、好きに使っていいよ」と言って、ある人がわたしに部屋の鍵をくれた。

彼女はわたしのジュエリーをこよなく愛してくれるお客さんのひとりで、友だちと呼べるほどもお互いのことは知らないのに、わたしが以前、ひとりで静かに考えられる空間がないのがしんどい、とこぼしたのを覚えていて、力になりたい、と思ってくれたのだった。

初めは、植物たちに水をやりにその部屋に何度か足を運んでは、2〜3時間ほどぼんやりする、というとても贅沢な使い方だけしていたけれど、数日前から、次のジュエリーの展示で使うディスプレイ用の板に色をつける作業をしている。

ペンキが乾くまでの合間に、板に色をのせる前の試し塗り用に持ち込んだ安いキャンバスに遊び半分で色をつけていたら、頭の中にふっと、ひとつの言葉がよぎった。


「Where am I ?」


答えのわからないなぞなぞみたいな言葉だったけど、久しぶりにほんとうに心とくっついた言葉が出てきたような気がして嬉しくて、わたしはそれを残しておくことにした。

たぶんこれは過去のわたしと未来のわたしからのなぞなぞで、答えを決めるのはいまのわたしだ。


わたしはここにいるよ、と歌いながらこの身体からいなくなっちゃった前のわたしの持ち物をみんな捨てて、真っ白な何もない空間から始められるとしたら、そこはどんな場所になるのか。

いまはまだ、見当もつかない。
だけどひとつわかっているのは、わたしにはその場所がなによりいちばん必要だっていうことだ。


明確に「こういうところ」というのを決めなくても、気づいたらいつのまにか、そこにいる。


そんなふうになれたらいいな、と思う。