2017年4月18日火曜日

20170418



10年くらい愛用していた傘が、この間ついにダメになってしまった。


雨の日も楽しい気持ちになるようにって友だちが選んでくれた、踊っている人々が描かれた陽気なあの傘。

大好きだった。




新品のビニ傘が、カフェで友だちとしゃべっている間にヨレヨレのビニ傘と入れ替わっていた昨日の夜、大雨の帰り道を車で家まで送ってくれた大好きなお友だちが、お誕生日プレゼントだよ、と後部座席に陣取った細長い箱をくれた。


傘が欲しいって言ってたから、と彼女が選んでくれたのは、HAN WAYの傘。


見るからに丁寧に作られているジャガード織のその傘は、触るとふんわり温かい。


大好きな色合わせと大好きな模様の、大人のための傘。


自分で探してもきっと見つけられなかった、わたしがいちばん欲しかった傘。



この10年間、雨が降って、あの陽気な傘を開くたび、わたしはいつもそれをくれた友だちを思い出して嬉しかったけど、これからの10年はきっと、雨が降ってこの美しい傘を開くたびに、あの傘をくれた友だちのこととこの傘をくれた友だちのことをいつも一緒に思い出して、いっそう嬉しくなるんだろう。



『おじさんの傘』みたいにだいじなだいじなこの傘と、これからたくさん雨の音を聞きたい。


雨が降ったらポンポロリン。

雨が降ったらピッチャンチャン。


次の雨の日が楽しみだ。









2017年2月27日月曜日

20170227 Where am I?

何を書いても、こんなことが書きたいんじゃない、と思う。
何を描いても、こんなものが描きたいんじゃない、と思う。


淋しいのは、かきたいものがかけないことじゃなく、かきたいものが何なのか、さっぱりわからないことだ。


頭の中はいつも日常のことを考えるのにいっぱいだけど、肝心なところがずっと空っぽ。


言葉が出てこない。
景色が見つからない。
音が鳴らない。


わたしが言葉を紡がなくても絵を描かなくても音楽を作らなくても別に誰も困らないし、心が穏やかなのはとても良いことで楽だけど、表現したいことや誰かに伝えたいことが何もないと、日々はとても味気なくて、つまらない。


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昨年の展示あたりからいろんな人に、また絵の個展はやらないんですか?と訊かれる。

いまは何も描きたいものがないから、しばらくはやらないかなぁ、と応えながらも、個人のエネルギーアートじゃなくてもわたしの絵の作品を見たいと思ってくれている人がいることは、じぶんの作品にまったく愛着のないわたしにとっては正直ちょっと意外で、だけど、すごく嬉しかった。

またいつか、絵を描けるようになればいいな、と素直に思った。


誰かのために作るジュエリーは作れても、自己表現の作品が作れないいちばんの理由は、わたしがわたしのことをちっともわからなくなってしまっていることだろうと思う。

たいていのことは把握できているつもりでいたけど、わたしはわたしのことをほとんどちゃんと応えられない。

好きな色は。好きな香りは。好きな音は。好きな味は。好きな感触は。

考えれば考えるほど、よくわからない。
だから毎日、自分にかかわるすべてのものに対して、わたしはこれが好き?と問いかけては、じぶんのことを確認している。


昨年の秋、知人の展示を見に行ったとき、色とりどりのいろんな作品に流れている同じ空気がわたしにはとても心地よく感じられて、これらの作品には何かイメージするものがあるんですか、と質問したら、彼は、自分が存在したい世界や場所、みたいなものかなぁ、と答えてくれた。


そのときからずっと、わたしも自分が存在したい世界を描いてみたいな、と思っているけど、頭に浮かぶのは真っ白な、からっぽの空間で、かといってそこがわたしの存在したい世界なのかといえばそうではなくて。
色はまだ、つけられない。


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年末の仕事で心身共に疲弊したのをきっかけに、年明けから一ヶ月くらいかけて、これからどうしたいのか、をとことん考えた。

結果的に、不満と不安だらけの現状を打開できるかどうかを測るのはもっとちゃんと努力してみてからだ、という結論にいきついて、できることから少しずつ始めてみてはいるものの、わたしの世界は今のところあまり面白みもなく、モノクロのまま。


少し前に友人がとある日本画家の方の個展につれていってくれたとき、静かな湖の情景を描いた風景画から、轟々と濁流のような水音が聞こえてきた。

それはたぶん、その絵を描いていたときの彼女の心の音で、その強い感情に圧倒されながら、わたしも自分の心の音を描いてみたいな、と思ったけど、頭に浮かぶのはただの静けさで、心の音どころか、好きな音すら聞こえない。


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今年の初め、「海外出張でいない間、好きに使っていいよ」と言って、ある人がわたしに部屋の鍵をくれた。

彼女はわたしのジュエリーをこよなく愛してくれるお客さんのひとりで、友だちと呼べるほどもお互いのことは知らないのに、わたしが以前、ひとりで静かに考えられる空間がないのがしんどい、とこぼしたのを覚えていて、力になりたい、と思ってくれたのだった。

初めは、植物たちに水をやりにその部屋に何度か足を運んでは、2〜3時間ほどぼんやりする、というとても贅沢な使い方だけしていたけれど、数日前から、次のジュエリーの展示で使うディスプレイ用の板に色をつける作業をしている。

ペンキが乾くまでの合間に、板に色をのせる前の試し塗り用に持ち込んだ安いキャンバスに遊び半分で色をつけていたら、頭の中にふっと、ひとつの言葉がよぎった。


「Where am I ?」


答えのわからないなぞなぞみたいな言葉だったけど、久しぶりにほんとうに心とくっついた言葉が出てきたような気がして嬉しくて、わたしはそれを残しておくことにした。

たぶんこれは過去のわたしと未来のわたしからのなぞなぞで、答えを決めるのはいまのわたしだ。


わたしはここにいるよ、と歌いながらこの身体からいなくなっちゃった前のわたしの持ち物をみんな捨てて、真っ白な何もない空間から始められるとしたら、そこはどんな場所になるのか。

いまはまだ、見当もつかない。
だけどひとつわかっているのは、わたしにはその場所がなによりいちばん必要だっていうことだ。


明確に「こういうところ」というのを決めなくても、気づいたらいつのまにか、そこにいる。


そんなふうになれたらいいな、と思う。