2016年11月25日金曜日

20161124 おばあちゃんのこと

私にはたったひとつだけ、自分が死ぬとき一緒に持っていきたいものがある。

それは、私の生後三ヶ月から一歳の誕生日を迎えるまでのほぼ毎日が記録されている、4冊のノート。

その日食べたもの、睡眠時間、便通、それから数行の観察日記。
書き手は主に母方のおばあちゃんで、ときどき母、そしてごく稀に、父。

もともとは、ほとんど産休を取れずに出版社の仕事に戻らなければならなかった母の代わりに日中私を育ててくれたおばあちゃんから母への連絡帳のようなものだったのだろうけれど、次第に、おばあちゃんの毎日の思いが綴られるようになった。

たとえばこれは、私がもっとも好きなページのうちのひとつ。


<9月26日(火) 雨
10時半 オレンジジュース 50cc
11時 ヨーグルト
12時 おかゆ
2時半 ミルク 140cc

今日も相変らず寒い日。子供番組の音楽を聞きながら一人でねむる。約三十分。
おかゆを食べながら又眠る。
昨日も今日も二人で静かな日。
一時間ばかり手枕でお互いのぬくもりを肌に感じ、香りの良い顔を自分の顔の下にしてうつらうつら。可愛いものですね。
小さな手をしっかりと。お母さんにはうらやましいかもわかりませんがお昼の間は御心配なくね。楽しくやっています。>


妹と比べると私は手のかからない子供だった、とよく言われるけれど、日記を読んでいると、当時60歳だった祖母がとても大変な思いで日々私の面倒を見てくれていた様子が見てとれる。

と同時に、自分が両親や祖父母を始め、周りの人たちからどれだけ大切に、たっぷり愛情を注がれて育ったのかがよくわかって、いつも胸がいっぱいになる。


妹が生まれるまで過ごした横浜を離れてからも、祖父母の家にはよく通った。
子どもの頃は事あるごとに親戚で集まっていたし、ひとりでもよく祖父母に会いに行った。


聡明で自由きままで視野が広くて好奇心が旺盛で、ふだんは無口だけれど酔うとニコニコ饒舌になるハンサムなおじいちゃんと、真面目で正直でいつも凛としていて、相手が子供であっても礼儀作法やしつけに厳しく、何をおいても心からの感謝を忘れない、美人のおばあちゃん。

私はふたりのことが、大好きだった。


18年前に祖父が急逝したとき、もっともっといろんな話をしてみたかったなぁ、とすごく後悔した。

だから、二度と同じ後悔をするものか、と心に決めて、おばあちゃんに会いたくなったらすぐに会いに行くようになった。

好物のプリンやチョコレートのお菓子を持っていくと、こんなに美味しいものは食べたことがないよ、ありがとう、嬉しい、と何度もつぶやきながら、ニコニコ笑う。

その笑顔を見ながら、おばあちゃんの昔の話を聞いたり、他愛もない会話をする時間が大好きだった。

おじいちゃんが生きていた頃、気ままなおじいちゃんをカバーするかのように、おばあちゃんはしっかり者の担当だった。
温厚で優しかったけれど、子どもに対してもむやみに決して甘やかすようなことはなく、礼儀や作法にはとても厳しかった。

ところがおじいちゃんの死後、しっかりする必要のなくなったおばあちゃんは、甘えんぼうで寂しがりでユーモラスで怖がりでおしゃれが大好きな元来の性格がよくよく出てきて、会う回数が増えるたびに、私は愛らしいおばあちゃんがもっともっと好きになった。


私が来るといつも、おばあちゃんはまず嬉しくて泣いて、帰るときには淋しくてまた泣いた。
ふたりで過ごす時間はいつも優しくて、いつも少しだけ切ない。

おばあちゃんの口ぐせは、「ありがとう」だった。
毎日つけていた日記も、残したい出来事のすべてにありがとう、と嬉しい、が溢れていた。

そして、最後に会いに行った日、熱のせいでほとんど眠ったままだったおばあちゃんがたった一言、私にかけてくれた言葉もやっぱり、「ありがとう」だった。


私は未だかつておばあちゃん以外に、あんなにも嘘のない、心のこもったありがとうだけでできている人を、知らない。


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2016年11月14日、月曜日。

明け方に、夢を見た。

とても広い部屋の中でたくさんの人たちと一緒に座っていると、羽の生えた観音さまのような大きな女の人がスーッと歩いてきて、私のそばにいた小さな女の子の手をとって、空へつれていってしまった。


なんだか淋しい夢だな、と思っていたら、夢うつつに家の電話が鳴る音が聴こえた。

電話に出た母の声がだんだん涙まじりになって、寝ぼけながら、おかあさん、とドアの外に声をかけたら、電話を切ったあと私の部屋に入ってきた母は、おばあちゃんが、と言ったきり、私の枕元につっぷして泣き出した。



この世に生を受けてから97年と15日。

赤ちゃんだった私が子守唄のように聞いていたおばあちゃんの優しい鼓動は、みんなが、そしておばあちゃん自身も眠っている間に、そうっと動きを止めたのだという。

それまでの数週間、あるいは数年のうちに、家族のそれぞれにとっていちばんふさわしい形でちゃんとお別れをして、おばあちゃんは旅立った。


最期まで筋の通った、お手本みたいな生き方を貫いた人だった。


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私は、生や死に対する感覚が、人よりだいぶ鈍いのではないかと思う。

それはおそらく、私が目に見えない存在や亡くなった人の魂と対話することがいつからか日常の、ごくあたりまえのことになったことに起因している。


亡くなった人の魂の在り方は、さまざま。

自分にとって大切な人が亡くなる日までずっとその人にくっついている魂もいれば、必要なことづてだけ五次元の伝言板に残して、自分はさっさと生まれ変わってしまう魂もいる。

生きている間によっぽど強い情念を残したまま死んでしまったり、今まだ生きている人が亡くなってしまったその人に対して強すぎる執念や情念を抱いていたりすることで苦しんで、いわゆる怖い「おばけ」になっちゃっている魂もときどきいるけど、ほとんどの亡くなった人たちの魂はおどろくほど陽気で茶目っ気があって、穏やかだ。

そんなものたちと日々対話していると、肉体を持っている人と持っていない人の違いなんてさしてたいそうなものじゃないような気になってくるし、健やかに肉体を離れた(というのもおかしな言い回しだけれど)人たちに接するとだいたい、悲しんでいるのは生きている人だけで、悲しまれている本人はちっとも悲しんでなんていないんだよなぁ、と複雑な気持ちになったりもする。

もっといろんな話がしたかった、と思っていた母方の祖父とも、生前より死後の方がずっといろんな話ができてしまったことで、いつのまにか悲しみや後悔はまったくなくなってしまった。

そんなこともあって、心のどこかで、これから先、自分にとって大切な人が死んでしまったとしても、どうせまたすぐに会えるからいいや、と思ってしまっているようなところがある。


事実、横浜のおうちに帰ってきたおばあちゃんの亡骸に会いに行ったときも、冷たいこと以外はこの間会ったときとなんにも変わらないおばあちゃんの「形」を自分がどれだけ愛していたかにうちのめされながらも、沸いてきたのは悲しみより、たまらない淋しさと、否めない安堵感だった。

もともととても賢明で人に面倒をかけることを何よりも嫌っていたおばあちゃんにとって、最晩年、いろんな記憶がどんどん曖昧になってしまったり、ひとりでできないことが増えてお世話をしてもらったりすることはたぶん、周りが思っている以上に悲しくて苦しいことだったと思う。

私自身、長生きしてほしいと思う一方で、それがおばあちゃんにとって本当にしあわせなことなのか、と考えるたびに、疑問が残った。

だから、帰ってきたおばあちゃんのとても穏やかなお顔を見たとき、まったく苦しむことなく生ききったんだな、解放されたんだな、と正直少しだけ、ホッとした。


そして、私にとって悲しみという感情がそのとき不釣り合いだったのは、そこにいる誰もがはっきりとわかるほど部屋の中に満ちていた、おばあちゃんの「気配」のせいだった。

肉体を離れてすぐに物見遊山に出かけてしまった好奇心旺盛なおじいちゃんの魂とは真逆の、ひとりで電車に乗ることもできないくらい怖がりだったおばあちゃんの魂は、肉体を離れたもののどうしていいのかわからず、自分の亡骸が横たわっているお布団の上で、まごまごしながらちょこんと正座しているのだった。

おばあちゃんがそこにいるのに、悲しむことなんて、できない。

おばあちゃんの身体に触れた私の身体の細胞は淋しい、淋しいって叫んで涙を流すのに、意識は冷静におばあちゃんの様子を観察している。

それはとてもおかしな感覚で、私は自分で自分を持て余していた。


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11月18日、土曜日。

家族とごく近い親戚だけでのお通夜と葬儀だったけれど、お花でいっぱいにしよう、とみんなで贈ったたくさんの美しいお花に囲まれた祭壇の真ん中で、おばあちゃんは静かに横たわっていた。

お通夜の読経が始まってしばらくすると、私は背後にふとおばあちゃんの気配を感じた。
こっそり振り返ると、いろんな時代の姿をグルグルしたあと、女学生の頃の姿をとどめたおばあちゃんが、自分の遺影が飾られた祭壇を見つめている。

女学生の頃のエピソードは、おばあちゃんの特に好きな話のひとつだった。

まだ女の子が進学すること自体が珍しかった時代に、13歳で親元を離れて、親戚の家から県下一の女学校に通うことになったこと。

名家の長女として大切に育てられていたのが一変し、親戚の家ではまるで使用人のように扱われて、とても大変だったこと。

家に帰ると勉強ができないから、毎日最後まで学校に残って一生懸命勉強して、成績はいつもいちばんだったこと。

言い回しもぜんぶ真似できるくらい何度も聞いたその話は、私にとってはずうっと昔に過ぎ去ったおばあちゃんの青春の一コマとしか思っていなかったけれど、今私の目の前で、小首をかしげながら祭壇を眺めている負けん気の強そうな女の子は確かに実在していた、けれども私の知らないおばあちゃん。


戦争が影を落とす時代の中でも、つらいことがあっても歯をくいしばって涙をこらえて、淡い恋をしたり、未来に夢を馳せたりしながらがんばって生きていた女の子。

それは、その場に参列しているだれひとりとして見たことのないおばあちゃん。
だけどもしその時代がおばあちゃんにとっていちばんかけがえのない時間だったとしたら。

ふとそんなことを考えたとき、私は初めて、とてつもなく悲しくなった。


おばあちゃんにとって果たして人生のどの時間がいちばんしあわせだったのか。
それは、おばあちゃんにしかわからない。

だけど、私はおばあちゃんのことが大好きだから、おばあちゃんにとってのしあわせな時間の中に、自分の存在があってほしい。
そんなふうに、感じてしまったのだった。


通夜振る舞いの途中、私はひとり抜け出して、ずっと、おばあちゃんの棺のそばで今にもまた目覚めそうな美しいお顔を眺めていた。

このとき私は、おばあちゃんの魂がどこにいるかなんて、ちっとも気にならなかった。

魂がいつもそばにいればそれでいい、なんていうのはきれいごとの嘘っぱちだ。
会いたいのは、そばにいたいのは、この身体の中にいるおばあちゃんだった。

誰よりも澄んだ美しい目や、私とおなじ形をした温かい手や、「おばあちゃんのかわいこちゃんの樹世乃ちゃん」と私を呼ぶ優しい声に、これからもずっと、会いたかった。

身体が朽ちないものなら、このままずっと冷たく眠ったままでもいいから、せめてこの形をこの世界に残しておきたかった。


しばらくすると、おばあちゃんにとってひ孫にあたる8歳の男の子が、何を話すでもなく、だけど、何かを共有したいような顔をして、私の隣にやってきた。

最初はずっと黙っていたものの、なんとなく間が持たなくて、ひとりごとのようにおばあちゃんとの思い出をポツポツと話していると、その子がふと、棺の上に置かれた護り刀を指さして、これは何?と尋ねる。

ーこれは、刀だよ。天国に行くまでに怖いのがきても、この刀が護ってくれるんだよ。おばあちゃんはサムライの家の子だから、きっと強いだろうね。

ーとりいすねえもん。(彼はとても得意げに、いちばん有名なご先祖の名前を挙げた。)

ーそう。強右衛門さんは武士だけど、そのご先祖をもっともっとさかのぼると、熊野三所権現っていうものすごい神様たちがいる神社の神職の家なんだよ。だから、おばあちゃんは仏さまにもご先祖さまにも神さまにも護られてるから、安全だね。

ーおばあちゃん、すごいね。

ーうん、すごいね。誇らしいね。

ーうん。あのね、明日、おばあちゃんのそばにチョコレート10個入れてあげてもいい?
おばあちゃん、チョコレートが大好きだから、天国まで遠くて途中で疲れちゃっても、食べたら元気が出ると思うんだ。


ハッとした。

それまでも何度か顔を合わせたことはあったものの、まったく関心を持ったこともなかったこの子がこんなにも優しくて、おばあちゃんのことを想っていてくれたことを、私はちっとも知らなかった。

それは、さっきまでの悲しみをかき消してしまうくらいの、大きな発見だった。


血がつながっていること。
血がつながってゆくこと。

その意味と尊さを、実感した瞬間だった。


私の大好きだったおばあちゃんを、この子も知っている。
私の愛するおばあちゃんを、この子も愛してくれている。

子どもを持たない私はその想いを誰にもつないでいけないと思っていたけれど、この子がちゃんと、私たちに流れる同じ血の中にある大切な何かを、これから先につないでいってくれる。

そのことを、心から嬉しいと思った。


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11月19日(土)

お別れの準備はできていたはずなのに、最後のお焼香のときはどうしても、嗚咽を抑えられなかった。

だけど、読経が終わり、ずっとお世話になっていたお寺の住職が浄土への扉をちゃんと開いてくれた瞬間、おばあちゃんの魂はそれはそれは美しい光になった。

みんなみんなが泣きながら棺をお花でいっぱいにしているとき、妙蓮浄雪大姉、という素敵な名前のついた観音さまになったおばあちゃんは、キラキラ光りながら自分の愛する一族のことを照らしていた。

それはもう、私の大好きなあのおばあちゃんではなかったけれど、おばあちゃん、と呼びかけたらきれいな鈴の音のような声で返事をしてくれるこの崇高な魂がこれからずっと私たちのそばにいてくれることは、やっぱりとても嬉しかった。

そして何より、そのことを母に伝えられること、それによって母が少しだけ楽な気持ちになることが、すごくすごく嬉しかった。

おばあちゃんが産み育てた5人の子どものうち、いちばん優しくて一生懸命でお母さんのことが大好きだった「みっちゃん」を最愛の母に持つことができたのは、私の人生でいちばんのしあわせのうちのひとつ。

だから、「みっちゃん」にできるだけ悲しい思いをさせないことや、これからしっかり支えていくことは、私が大好きなおばあちゃんにできる唯一の恩返しでもある。



おばあちゃんの骨は雪のように真っ白で、美しかった。

私は自分や家族が死んだら、骨を圧縮してブルーのダイヤモンドにする、と決めている。

ひょっとしたらもう遅いかもしれないけど、これからもっとがんばっておばあちゃんのようにいつも感謝を忘れないまっすぐできれいな心でいられたら、きっと私の骨もあんなふうに真っ白になって、それはそれはきれいなダイヤモンドになれるかもしれないな、と思った。


葬儀の帰り道、両親と妹と四人で寄り道して、ちょっと贅沢なチョコレートのアイスクリームを食べた。

心の中はみんなそれぞれグチャグチャで淋しくてたまらなかったけど、おばあちゃんを想いながら食べたアイスクリームはとても甘くて、私たち家族はそのとき確かに、しあわせだった。


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たぶん私の心の中にも細胞の中にも、とうてい言葉にしきれないような想いがまだまだたくさんあって、それをぜんぶ昇華できる日はきっと、最後まで来ることはないだろう。

今はまだ、毎晩お風呂に入るたびに、おばあちゃん、と声に出しては、湯気と一緒にたくさんたくさん涙を流し、目を腫らして眠りにつく。

けれどもそれは決して悲しみや淋しさだけではなくて、思い出すたびに胸がいっぱいになるくらい愛情と優しさしかなかったおばあちゃんとの時間が私にくれた温かなぬくもりや愛着や、何よりも感謝の気持ちがもたらす、キュウキュウ痛くて、とても愛おしい種類の涙だから、私は喜んで、今夜もまた目を腫らす。


先祖代々名前の一部を受け継いできた母方の一族の伝統に則ってつけられた私の名前は、おばあちゃんの名前のひと文字を受け継いでいる。

そのまっすぐで凛とした生き様もまた、私の中に、しっかりと刻みこまれている。



ゆき乃おばあちゃん、たくさんたくさん、ありがとう。


ずっとずっと、大好きだよ。














2016年11月23日水曜日

20161123

心にぽっかり、穴が空いて。

だいじな人を亡くして、穴はもっと大きくなった。



少し遠出をした。

気の合う友だちと一緒に、いいものをたくさん見て、美味しいものをたくさん食べて、好きな友だちのライブを見た。


ひとりでいいホテルに泊まって、おかしな夢を見ながら深く眠った。


着心地の良い、あたたかい服を買った。



満たされてもいいのに、私はとても飢えている。


飢餓で今にもおなかをひきちぎりそうなくらいに。



寒い。


明日、雪が降る街の空気よりも、心の方がずうっと。













2016年11月11日金曜日

20161110 会話のこと

つまらない会話が嫌い。


つまらない会話というのはつまり、お互いにさして興味もないのに、沈黙を埋めるためだけに言葉を発して、さて、次はどうしようか、ということを脳みそをフル回転して考えないといけないような、そういう類のもの。


人と話をしているとき、特に初めて会った人と話すとき、私はだいたい、話している最中から自分に幻滅する。

基本的にあんまり人に興味がないから、話を振ろうにも相手があれこれ話したくなるような質問が出てこないし、相槌もどことなく嘘っぽくなってしまう。

前までは、その場限りのうわっつらだけの会話をするなんて時間の無駄だから、どうせ同じ時間話すなら人生の深い話をした方がいい、なんて考えていたこともあった。

でも、自分の理屈で確立した世界の中である程度満ちたりてしまうと、人に対して発する言葉がどうにもこうにもわかったような口をきいた感じの説教じみたものになってしまって、もしかするとたまにはそれが相手の心にささることがあったとしても、自分の中ではほとんどがしゃらくさい、世間話よりもずっと薄っぺらいもののように感じてしまう。

それに、たとえ話題を振られたり、相手が私の話を聞きたがっているふうだとしても、自分の話をしすぎるのはまったくもって粋じゃない。

話すにしても、何もかも正確にぜんぶ話す必要はないのだからかいつまんで話せばいいものを、一から十までバカ正直に正確を期そうとしてしまうのもまた、粋じゃない。

わかっているのに、おおかた話し過ぎては、あとからひどく後悔する。


だから時々、期せずして誰かとおもしろい会話ができたりすると、ものすごく嬉しい気持ちになる。


おもしろい会話、というのはつまり、相手の話の続きをもっと聞きたいなぁ、私のこの話もしたいなぁ、というのが次から次へと浮かんできて、たとえカフェイン過多で胃がもたれつつあっても、もう少しその間を続けたい気持ちが勝ってもう一杯余分に飲み物を頼んでしまうような、そういう類の会話。

話した内容の大半がぼんやりとしていても、その時間のことをあとから思い出したときにふんわりとやわらかな色彩が浮かぶ、そういう会話ができると、ふだんは脳のどこかで眠っているなまけもののインスピレーション細胞が活性化されて、会話の中身とはまったく関係のないアイディアが急にわいてきたりする。


私にとってのおもしろい会話ができる人というのはどことなくみんなタイプが似ていて、謙虚で、そしてあまり雄弁ではない。


フリではなく本当に謙虚でいられるという在り方に、私は心から憧れるし、尊敬する。

先だって、家の食卓で、あぁ、私ももう少し謙虚な人になれたらいいんだけどなぁ、とつぶやいたら、すかさず母に、両親どちらにも謙虚さがないんだから、それはもう遺伝的に無理だよ、と言われて、そんなサラブレットはまっぴらごめんだ、と思ったけれど、実のところこれから私が血統書付きの謙虚を身につけることはたぶん難しい。

けれどもひょっとすると、自分が傲慢で雄弁だからこそ、正反対の人との会話の中で同じ感覚を共有したり共感したりすることがなおさら嬉しく、楽しくなるのかもしれない。


自分のさらけ出し方を間違えずにどんな人ともおもしろい会話ができるようになったら、ずいぶんいっぱしの大人になれるのに。


道のりは、まだまだ長い。







2016年11月9日水曜日

20161109

夜通し強い風が吹いている。

葉ずれの音は波音にそっくりで、目を閉じるとまるで海のそばにいるみたい。

ホッとして、愛おしい。


たいした理由もなくぽっかりと空いている心の穴を埋める何かは見つからないけど、この音を聴いている今はここ最近でいちばん気持ちが凪いでいる。


どうにも疲れていたのは、要らない音を聞きすぎていたせいだ。


どこにも行かなくても、ひとりにならなくても、日常の中でこの静けさに出会えたことに、またホッとする。


いい音。
ずっと、聴いていたい。




2016年11月8日火曜日

20161107

母とふたりで、おばあちゃんに会いに行った。

ずーっと眠っているから、ずーっと手をつないでいた。

 ほんの一瞬目を覚まして、ぼんやりした焦点が私に合って輝いたとき、おばあちゃん、キヨノだよ、みっちゃん(母)もいるよ、と声をかけたら、掠れた声で、ありがとう、と一言呟いて、そのまま再び眠りについてしまった。

帰り道、泣きべそをかく母と手をつないで田舎道を歩いていたら、夕焼けの中に絵みたいな富士山が浮かんでた。


黄昏にいるおばあちゃんの見る夢がどうかぜんぶ、しあわせなものでありますように。



2016年11月1日火曜日

20161101 私から私への手紙

2014年9月9日
前の私の魂がいなくなる直前、ノートに走り書きした私への手紙


<新しい私の魂へ>

強がらないこと。
気を遣って笑わないこと。
自分の人生を愛すること。
本当の声で、本当の言葉だけを話すこと。

自分に向き合うのは、これでおしまい。
これからはもっとちゃんと、周りを見る。周りのことを考える。

困ったことが起きても、理由や失ったもののことを考えない。
それに対してどんな行動をし、何を得たか。それだけでいい。

うまくいかないかもしれない、という不安や恐れはもうみんな自分からひっぺがしてしまいたい。

過大評価も過小評価もされたくない。
ありのまま、ぼんやりつつましく、自然体で生きていたい。

仕事はたくさんします。ただし、丁寧に時間をかけてやるものがいい。
いちばん肝心なのは、愛のある暮らしをするということ。
ひとつの形じゃなくてもいいから、いつも純粋にお互いを慈しみあえる人たちと、大切に時間を過ごしていきたい。

美しくありたい。内面の美しさがにじみ出るようなのがいい。つまりは、内面の美しい人でありたい。
汚れたりくもったりしても、磨けばちゃんときれいになる人でありたい。
願うことや望むことを恐れず、叶うことだけを信じたい。
生きていることそれ自体に、心から感謝できる人でありたい。
愛する人と手をつないで、生きていきたい。

忘れないで。


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2016年11月1日
ずっと書きたくても書けずにいた、古い私の魂への手紙

<古い魂の私へ>

元気ですか?
ずっと待ち焦がれていた存在のそばで、今度はちゃんと、しあわせに過ごしていますか?

私はそこそこうまくやっています。

他人の人生を継承して生きる違和感は、予想以上に気持ちの悪いものでした。
顔も身体も中途半端なスペックもちっとも好きになれなくて、出たがる私とひっぱる身体との綱引きが一年以上も続きましたが、結局、私が負けました。

過去の記憶がほとんどなくなってしまった時には、ひょっとして「覚える」っていう機能まであなたが持っていってしまったのではないか、とだいぶ焦ったものですが、昨年の冬にようやく記憶の取り出し方がわかり、なに食わぬ顔で生活ができるようになって、ひと安心。

とはいえまだ、写真を見たり人の話を聞いたりしてもさっぱり思い出せないこともたくさんあるし、なんといっても、歴史の教科書に載っている出来事と同じくらい実感のない記憶が自分の人生として認識されているというのはなんとも気味が悪い。

それにときどき、まぁ仕方のないことなんだけど、人があなたのイメージのままで私を見たり、あなたがしていたことを私にも求めたりするたびに、たとえそれが驚くほどいいイメージだったり人の役に立っていたりしたとしても、窮屈で、息がつまりそうになります。

こればかりは時間をかけて、ちゃんと私を見てもらえるように、私が自分でしたいと思ってすることにも喜んでもらえるように、あなたを演じることなく私は私でやっていくつもりです。


小さなストレスはたくさんあるけど、周りの人たちはみんな、びっくりするくらい優しい。ありがたいことです。

それでも、人たちとは距離をおいてつきあっています。
心の中にあることを外に出すことも、ずいぶん少なくなりました。

というのも、あなたが遺したこの身体には、あなたが自ら傷ついてつけたたくさんの悲しみや淋しさや痛みの傷が細胞のそこかしこに残っていて、私が少し心を動かすたびに、その細胞たちが「また痛いのは嫌だよ、怖いよ」って過剰反応して、いろんな形でストライキを起こしたり抗議運動をしたりします。

だから、もしもまた心がたくさん動きたくなったときに身体がブレーキをかけないように、私は今、誰よりもまず自分の身体ととことん仲良くなることに躍起になっています。

そして、過去の中で帳尻を合わせられないまま残ってしまっている悲しみや痛みや淋しさは、今と、そしてこれからたくさんやってくる喜びや楽しみやしあわせで埋め合わせていこうと思います。


そうそう、あなたが捨てられなかったものや、あきらめられなかったもの、嫌いだったものは、形のあるものもないものも含めて、だいたいぜんぶ整理しました。

私の好きなシンプルさにはまだだいぶ程遠いけど、日々はだいたい穏やかで、心が動かない分少し退屈で、それでもたぶんあなたよりずっと、しあわせに過ごしています。


先日、あなたが私に遺していった連絡ノートを二年ぶりに見つけ、その中に、あなたからの手紙を見つけました。

まだできていないこともたくさんあるけど、おおむね、私はあなたが在りたいと願った人になれているような気がします。

そういえば、あのノートに書かれていた文章は、私が見つけたあなたの過去のどの文章よりも、あなたらしくて好きでした。

あなたががんばってくれた分、これからいいとこどりしていくね。

終わったらまた、会いましょう。

それまでどうか、元気でね。

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