音楽を聴きながらぼんやりと電車に揺られていたら、なんとなくつっかえている胸のあたりから急に何かがこみあげてきて、とめどなく涙が溢れた。
拭っても拭っても涙は堰を切ったように止まらなくて、電車を降りて友だちの家へ向かう道すがら、大きな空の見える歩道橋の真ん中で立ち止まって、嗚咽した。
悔しかった。
悔しくて悔しくて、泣いていた。
いい年をして、こんなところで泣いている場合じゃないぞ、といくら言い聞かせても止まらない涙に呆れながら、意識の中でもうひとりの私がニタリ、と笑う。
やっときたか。
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描きたい絵があるとき、その前にいつも、こうして泣く時間が必ずある。
泣いて、どうして泣いているのかその理由となる感情を見つけて、それを吐き出す。
それがどんな感情であれ、吐き出したときにできあがった作品はいわば前フリの役割にすぎなくて、その作業を終えて初めて、描きたかった絵にとりかかることができる。
そこに至るまでにはそこそこ精神的に追い込まれたり心を無理やり動かされたりするようなことになるから、しんどいと云えばしんどいのだけれど、心がまったく動かなくなって何も作れなかった時期のことを思えば、そのしんどさすら、楽しい。
友だちの家から帰ったあと、深夜から早朝にかけて、その悔しさを吐き出す絵を描くことにした。
でたらめに描いても良かったけど、一曲何か聴いてからそれをヒントにして描こう、と決めて、iPhoneのミュージックをシャッフルにしたら(iPhoneのミュージックには絶対に小さな神さまが隠れていてときどき返答するみたいに曲を選んでいる、と私は信じている)、RADWIMPSの『螢』が流れた。
ー光って消えるただそれだけと知りながら光る僕はきれいでしょう?
だからね 痛む胸に光る種を乗せて 幸せだねって言えるまで光ってたいの
そうだそうだ、本当にそうだなぁ、と思いながら、白いキャンバスに色を乗せていく。
白が色で埋まっていくうちに、悔しい、と一緒に要らない自尊心が消えて、自分がスーッと透明になっていく。
描き終えると窓の外はもう朝だったから、まだ乾かない絵を朝日に少しだけあてて、晴ればれとした気持ちで眠りについた。
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