2016年3月30日水曜日

20160329

誕生日。

宅急便のピンポンで目が覚めて部屋から出ると、お花やプレゼントが届いていて、驚いた。

お誕生日にはこうやって毎年たくさんお花が届くんだよ、と家族が教えてくれて、つくづくありがたいなぁ、ととてもしあわせな気持ちになった。


眠っている間はいつも機内モードにしているiPhoneをふつうのモードに直したら、親しい友人たちからのバースデーメッセージが入っていた。

そろいもそろってみんな、お天気のことを書いている。
とっても気持ちの良い日。
だからきっと、素敵な一年になるよ。そんなことを。



日中は仕事をして、夜は親友たちが集まってお祝いをしてくれた。
彼女たちは毎年コロコロ気分の変わってしまうわたしのその時のモードに合わせて、いつも最高の誕生日の過ごし方をプレゼントしてくれる。

今年の誕生日は、こじんまりとバラバラに、何度もお祝いをしてもらった。


数日前、そういえば今年の誕生日は今まででいちばん、歴代の親友たちがそろってそれぞれお祝いをしてくれているなぁ、と考えながら、わたしは突然、彼女たちが長い長い時間をかけてわたしに教えてくれていたものの存在に気づいた。
それは、もうずいぶん長いことわたしの心を煩わせていたひとつの疑問の答え、のようなものだった。


これまでの人生のことを思い出せる範囲で振り返ってみたとき、偶然とはどうしても思えない、小さな奇跡みたいなことが山のようにある中で、昔から自分にとっていちばん必要だと思っていたパートナーシップに関してだけどうしてうまくいかないのか、甚だ疑問だった。

その疑問は、うまくいかない悲しみや失望にコーティングされるうちにどんどん大きく硬くなっていって、わたしの心のいちばん奥をいつも暗くしていた。

表面的に充実や幸福を装うたびに、心の奥にあるそれがわたしに「嘘つき」といつも囁いた。
嘘じゃないよ、と反論しながら、それが真実でもないことも知っていたから、いつもどこか苦しくて、悔しかった。


いちど人生をあきらめたときに期待をなくした分、ドロドロとした暗さは姿を消したけれど、それでもその疑問だけは小さなしこりみたいに、ときどき違和感としてわたしの前に姿を現していた。


だけど、親友たちと過ごしてきた日々のことを思い出しながら、もしもわたしが15年前にさっさと結婚していたら、彼女たちのうちのほとんどとは出会うことすらできなかったし、たとえ出会っていたとしても、こんなふうに密度の濃い時間を過ごすことはできなかったんだなぁ、それは家族との時間も同じだよなぁ、と思い至ったとき、自分で出せる答えではないと思っていたその疑問を解く鍵が、見つかったような気がした。


わたしに初めての親友ができたのは、15歳のとき。
それから20年以上の年月をかけて、わたしには親友と呼べる友だちがたくさんできた。

それぞれの時代を一緒に生きてくれた、性格も個性もバラバラのわたしの親友たちに、たったひとつ共通していること。

それは彼女たちがいかなるときも、わたしを信じることをやめずにいてくれた、ということ。


気分屋のわたしが彼女たちを傷つけたり突き放したりしても、わたしがわたしをあきらめてしまったときですらも、彼女たちはわたしをあきらめずに信じて、待っていてくれた。

ひとり相撲の恋をするたび、男の人はいつも逃げ出したけど、彼女たちはいつだってちゃんと対戦相手になってくれた。

親方みたいにだいじなことを教えてくれることもあれば、鉄砲柱みたいに黙って受け止めてくれることもある。

家族とも恋人とも違う距離を保ちながら、それでもいつも片目で見守り続けてくれながら、長い長い時間をかけてそれぞれのあるがまま、彼女たちはわたしに、人の信じ方や守り方や慈しみ方を教えてくれた。


年齢を重ねるうちに失ったものはたくさんあって、その失ったものが理由で自分はいっそうパートナーシップや結婚から遠ざかっているんじゃないか、という話をよく聞くけれど、それは違う。


わたしの場合、恋に対する執着は自分でもびっくりするくらい、なくなってしまった。
それでもやっぱり、わたしにとってパートナーシップはたぶんすごく大切で必要で、わたしの願うしあわせな人生には欠かせないパーツのひとつであって欲しいとも思う。

そういう重要な、いちど壊れたら元に戻せない繊細なものだからこそ、わたしはわたしが最高のパートナーと一緒に人生を歩む上で欠かせないアイテムを見つける必要があった。
でも、何度恋をしてもそれが何かもわからないまま、もがくだけで、どうにも道に迷い続けていた。

それもそのはず。
だって、そのアイテムを持っていたのは恋をする相手ではなく、いつもそばでわたしを支えてくれていた家族や親友たちだったことに、わたしは今の今まで気づけなかったのだから。
そして、たとえときどき恋を患っていたにせよ、そこにどっぷり浸かることを取り上げられた状態で彼女たちと過ごす時間こそが、わたしにとってどうしても必要なものだったことにも。


いまやわたしの親友たちはみんな、それぞれ小さな悩みや迷いはあれども、かつて望んでいたしあわせの中に身をおいて、穏やかに暮らしている。

自分の心とおなじくらい他人の心を信じることのできる人には、望むしあわせが必ずやってくる。
だから、彼女たちがいまそこにいるのはしごく当然のことだし、それができない人がそこにいないのもまた、当然のことだろう。

わたしにとって、信じることはいつも、いちばんの難敵だ。

自分の心を信じられるようになるまでに、人に話してもほとんど信じてもらえないような不思議なことが次から次へと巻き起こったこの数年間。

何千もの人たちがわたしの人生を通り過ぎてゆく中、ずっと変わらずそばにいてくれた人たちが作ってくれたやわらかな愛情や信頼という繭に包まれながら、わたしは大きく大きく変わっていった。

いわば、今はまだ、スタート地点に立ったばかり。
きっと、これからようやく、他人の心も信じていけるようになるだろうし、そうなって初めて、わたしはこれまでのどのわたしよりも、大切な人をしあわせにすることが、否、大切な人と一緒に心からしあわせになることができるようにもなるんだろう。


またひとつ歳を取って、容姿は劣化し、体力は衰え、あーあって思うこともたくさんあるけど、身体の皮をむいて魂を眺めたら、いままでのどのわたしより、いまのわたしの方が感じがいい。
来年のお誕生日には、もっと感じがよくなっていたら、もっといい。


会話の端からわたしのニーズを拾って素敵なプレゼントに変えてくれる魔法使いのような親友たちが今年の誕生日にくれたいちばん大きなギフトは、間違いなくその鍵だった。


ちなみに今日、お誕生日ディナーの席でこのことを伝えようとした途端、いろんな想いが溢れて泣き出したわたしを、親友たちは思いきり笑い飛ばした。

ちきしょう、いまに見てろよ、と心の中で毒づきながら、いままでもずっとそうやってわたしの痛みや悲しみを笑い飛ばしてきてくれた彼女たちを、心の底から頼もしく感じた。



長すぎるくらい長い時間、わたしを慈しみ、育ててくれた家族と親友たちに、あらためて心から感謝。



ありがとう。

ありがとう。

ありがとう∞


あぁ、今日もとても、楽しかったよ。












2016年3月24日木曜日

20160324

古本屋さんでとても好きな絵のついた絵本を見つけた。
レジの人が、レシートを入れておきますね、と裏表紙を開いたとき、ちらりと、びっしり文字の書かれた読者カードが入っているのが見えた。

お店を出てすぐ、その読者カードを取り出した。
挿絵を描いた人の個展でその絵本を見つけた、というその人は、自分がその絵本にどれだけ感激したか、出会えたことをどれだけ喜んでいるか、を熱のある言葉でつらつらと書き連ねていた。

ハガキの消印が平成15年の有効期限になっているところを見ると、おそらく、彼女がそのカードを書いたのはもう10年以上前ということになる。
記載されていた年齢から推測すると、たぶん今の彼女は、私と同じくらいの年齢だろう。


彼女がどうしてその読書カードを投函しなかったのかはわからないけれど、いつかの宝物だったその絵本を手放すとき、彼女は最後に一度開くことすらしなかったのだ、と思ったら、なんとなく、そんなもんなんだよな、と妙に納得してしまった。

たとえ作り手がどんなに魂をこめて身を削って作ったとしても、そしてそれを受け取った人にそのときどんなに喜びや救いや感激があったとしても、時間が経って心の中が変わっていくにつれ、それらの多くはやがて要らないモノになる。

もういいや、とゴミ箱にポイ捨てされるものもあれば、捨てるのはしのびない、と誰かの手に渡ったり土に埋められたりお寺や神社で燃やされたりするものもあるけれど、どちらにしてもそれはもうその人の人生とは一切関わりのない、ただの不要品。


私だって、ずっと前から持っている宝物と云って思い浮かぶのは12歳のときに母がくれた初めての宝石だけで、他に思いつくものはみんな、失くしたくなかったのに失くしてしまったものばかり。

それらだってもしかすると失くさなければいつか、簡単に手放していたかもしれない。


読書カードを出版社に送るか捨てるか少し迷った結果、二つにたたんで本屋の前のゴミ箱に捨てた。
だけど私はこの絵本を見るたび、彼女がこの本と一緒に手放した感激や喜びのことを、なんとも云えないザラザラした感覚と一緒に何度も思い出すんだろう。


本を持って帰宅したあと、部屋の模様替えをしていたら、最初の個展から何度かの芳名帳が出てきた。

去年までの個展やジュエリー展の芳名帳をひとつにまとめてパラパラと眺めながら、初期の頃と去年とで、来てくれている人がほとんど被っていないことに気づいた。

いろんな字で書かれている、私の人生を通り過ぎていった人たちの名前。
私が彼らのことを思い出すことはこの先たぶんないし、その人たちが私を思い出すこともきっと、おおかたないだろう。

この芳名帳も、捨てるかどうか迷った挙句、ファイルにまとめて引き出しにしまった。
もう会わない人のことは忘れても、その人たちのもとへ渡った、いつか不要品になるであろう大半の作品たちのことを、せめて私だけでも覚えていてやりたい。

個展に出した絵、人それぞれのエネルギアート、数珠のブレス、まだ本物の金を使わずに作っていたアクセサリー、絵本やカードやCD、そしてジュエリーたち。

どれもこれも、一生懸命作ったものたち。
あの作品たちはあれからいったいどんな時間を過ごしたんだろう。
そのうちどれだけの作品が、まだこの世界に残っているんだろう。


答えはわからなくてもいいけど、手放したあと一切忘れてしまっていた自分の作品たちに少し愛着がわいていたことが、なんだか少し、嬉しかった。

私もまた、日々変わってゆく。


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2月のほとんどを過ごしたハワイで見つけた石たちに、美しいねぇ、と語りかけながら、模様替えの終わった部屋で私は今日もジュエリーを作る。

作ったものは長く大切にしてもらえる方が嬉しいし、それがそばにあることがあたりまえになるくらいその人に日々になじんでもらえたら、作品にとってそれ以上の喜びはない。
だけどその反面、自分の作品が捨てられることを、厭わずにいたい。

私の作品を手にしてくれる人の中には、心の中にある願いを私の作品に委ねる人がいる。
そういう人にとって、作品が要らなくなるときは、その願いが叶ったときかもしれない。
だとすれば、一刻も早く、要らなくなれ、と思ったりもする。

それに、結局そんなもんだし、と心のどこかでうそぶきながら、それでもせつなだけが放つことのできる一瞬の輝きみたいなものを見つけては祈りと共に閉じこめて何かの形に残そうとする、その滑稽な作業の繰り返し、それ自体が私にとって、すでに喜びであり楽しみであり、生きている甲斐でもあるのだから。