2016年1月19日火曜日

20160120

過去のほとんどが私の中からすっぽり抜け落ちてしまおうとしているのは、私の見たいものが未来にあって、そこにたどり着くために、できるだけ身軽になりたいからだったんだろう。


ひとつ前のブログを終えるまでの10年間に、いくつかのSNSに書いていた日記のような文章を公の場からすっかり削除するにあたってバックアップを取りながら、ほとんど覚えていない出来事の羅列に、もはや他人の日記を読んでいるような不思議な違和感を覚えていた。

いつも不毛な恋に惑いながらもがいていた、自己中心的で繊細でネガティブでユーモラスなあの子に、さようなら。
あの子の日々を彩ってくれたたくさんの恋とたくさんの奇跡に、心からのアリガトウとバカヤロウを。


私の中からいなくなったかつての私は、今の私にとってはもはや、私ではない。

だから、あの子はもう、私の未来を縛れない。
たとえ他の誰かが、その人の記憶の中にいる過去の私をひっぱりだして私の未来に影を落としたとしても。


不死鳥のように何度も灰になっては再生を繰り返しながらここまでやってきたあの子に、さようなら。

鳥は鳥でも、在りたいように変わり続ける私の成れの果て、望む姿は迦陵頻伽だ。


結んだ糸の先にある、ずっと変わらない、混じり気のない憧れに、きっとたどりつけるように。