2016年11月25日金曜日

20161124 おばあちゃんのこと

私にはたったひとつだけ、自分が死ぬとき一緒に持っていきたいものがある。

それは、私の生後三ヶ月から一歳の誕生日を迎えるまでのほぼ毎日が記録されている、4冊のノート。

その日食べたもの、睡眠時間、便通、それから数行の観察日記。
書き手は主に母方のおばあちゃんで、ときどき母、そしてごく稀に、父。

もともとは、ほとんど産休を取れずに出版社の仕事に戻らなければならなかった母の代わりに日中私を育ててくれたおばあちゃんから母への連絡帳のようなものだったのだろうけれど、次第に、おばあちゃんの毎日の思いが綴られるようになった。

たとえばこれは、私がもっとも好きなページのうちのひとつ。


<9月26日(火) 雨
10時半 オレンジジュース 50cc
11時 ヨーグルト
12時 おかゆ
2時半 ミルク 140cc

今日も相変らず寒い日。子供番組の音楽を聞きながら一人でねむる。約三十分。
おかゆを食べながら又眠る。
昨日も今日も二人で静かな日。
一時間ばかり手枕でお互いのぬくもりを肌に感じ、香りの良い顔を自分の顔の下にしてうつらうつら。可愛いものですね。
小さな手をしっかりと。お母さんにはうらやましいかもわかりませんがお昼の間は御心配なくね。楽しくやっています。>


妹と比べると私は手のかからない子供だった、とよく言われるけれど、日記を読んでいると、当時60歳だった祖母がとても大変な思いで日々私の面倒を見てくれていた様子が見てとれる。

と同時に、自分が両親や祖父母を始め、周りの人たちからどれだけ大切に、たっぷり愛情を注がれて育ったのかがよくわかって、いつも胸がいっぱいになる。


妹が生まれるまで過ごした横浜を離れてからも、祖父母の家にはよく通った。
子どもの頃は事あるごとに親戚で集まっていたし、ひとりでもよく祖父母に会いに行った。


聡明で自由きままで視野が広くて好奇心が旺盛で、ふだんは無口だけれど酔うとニコニコ饒舌になるハンサムなおじいちゃんと、真面目で正直でいつも凛としていて、相手が子供であっても礼儀作法やしつけに厳しく、何をおいても心からの感謝を忘れない、美人のおばあちゃん。

私はふたりのことが、大好きだった。


18年前に祖父が急逝したとき、もっともっといろんな話をしてみたかったなぁ、とすごく後悔した。

だから、二度と同じ後悔をするものか、と心に決めて、おばあちゃんに会いたくなったらすぐに会いに行くようになった。

好物のプリンやチョコレートのお菓子を持っていくと、こんなに美味しいものは食べたことがないよ、ありがとう、嬉しい、と何度もつぶやきながら、ニコニコ笑う。

その笑顔を見ながら、おばあちゃんの昔の話を聞いたり、他愛もない会話をする時間が大好きだった。

おじいちゃんが生きていた頃、気ままなおじいちゃんをカバーするかのように、おばあちゃんはしっかり者の担当だった。
温厚で優しかったけれど、子どもに対してもむやみに決して甘やかすようなことはなく、礼儀や作法にはとても厳しかった。

ところがおじいちゃんの死後、しっかりする必要のなくなったおばあちゃんは、甘えんぼうで寂しがりでユーモラスで怖がりでおしゃれが大好きな元来の性格がよくよく出てきて、会う回数が増えるたびに、私は愛らしいおばあちゃんがもっともっと好きになった。


私が来るといつも、おばあちゃんはまず嬉しくて泣いて、帰るときには淋しくてまた泣いた。
ふたりで過ごす時間はいつも優しくて、いつも少しだけ切ない。

おばあちゃんの口ぐせは、「ありがとう」だった。
毎日つけていた日記も、残したい出来事のすべてにありがとう、と嬉しい、が溢れていた。

そして、最後に会いに行った日、熱のせいでほとんど眠ったままだったおばあちゃんがたった一言、私にかけてくれた言葉もやっぱり、「ありがとう」だった。


私は未だかつておばあちゃん以外に、あんなにも嘘のない、心のこもったありがとうだけでできている人を、知らない。


--------

2016年11月14日、月曜日。

明け方に、夢を見た。

とても広い部屋の中でたくさんの人たちと一緒に座っていると、羽の生えた観音さまのような大きな女の人がスーッと歩いてきて、私のそばにいた小さな女の子の手をとって、空へつれていってしまった。


なんだか淋しい夢だな、と思っていたら、夢うつつに家の電話が鳴る音が聴こえた。

電話に出た母の声がだんだん涙まじりになって、寝ぼけながら、おかあさん、とドアの外に声をかけたら、電話を切ったあと私の部屋に入ってきた母は、おばあちゃんが、と言ったきり、私の枕元につっぷして泣き出した。



この世に生を受けてから97年と15日。

赤ちゃんだった私が子守唄のように聞いていたおばあちゃんの優しい鼓動は、みんなが、そしておばあちゃん自身も眠っている間に、そうっと動きを止めたのだという。

それまでの数週間、あるいは数年のうちに、家族のそれぞれにとっていちばんふさわしい形でちゃんとお別れをして、おばあちゃんは旅立った。


最期まで筋の通った、お手本みたいな生き方を貫いた人だった。


--------

私は、生や死に対する感覚が、人よりだいぶ鈍いのではないかと思う。

それはおそらく、私が目に見えない存在や亡くなった人の魂と対話することがいつからか日常の、ごくあたりまえのことになったことに起因している。


亡くなった人の魂の在り方は、さまざま。

自分にとって大切な人が亡くなる日までずっとその人にくっついている魂もいれば、必要なことづてだけ五次元の伝言板に残して、自分はさっさと生まれ変わってしまう魂もいる。

生きている間によっぽど強い情念を残したまま死んでしまったり、今まだ生きている人が亡くなってしまったその人に対して強すぎる執念や情念を抱いていたりすることで苦しんで、いわゆる怖い「おばけ」になっちゃっている魂もときどきいるけど、ほとんどの亡くなった人たちの魂はおどろくほど陽気で茶目っ気があって、穏やかだ。

そんなものたちと日々対話していると、肉体を持っている人と持っていない人の違いなんてさしてたいそうなものじゃないような気になってくるし、健やかに肉体を離れた(というのもおかしな言い回しだけれど)人たちに接するとだいたい、悲しんでいるのは生きている人だけで、悲しまれている本人はちっとも悲しんでなんていないんだよなぁ、と複雑な気持ちになったりもする。

もっといろんな話がしたかった、と思っていた母方の祖父とも、生前より死後の方がずっといろんな話ができてしまったことで、いつのまにか悲しみや後悔はまったくなくなってしまった。

そんなこともあって、心のどこかで、これから先、自分にとって大切な人が死んでしまったとしても、どうせまたすぐに会えるからいいや、と思ってしまっているようなところがある。


事実、横浜のおうちに帰ってきたおばあちゃんの亡骸に会いに行ったときも、冷たいこと以外はこの間会ったときとなんにも変わらないおばあちゃんの「形」を自分がどれだけ愛していたかにうちのめされながらも、沸いてきたのは悲しみより、たまらない淋しさと、否めない安堵感だった。

もともととても賢明で人に面倒をかけることを何よりも嫌っていたおばあちゃんにとって、最晩年、いろんな記憶がどんどん曖昧になってしまったり、ひとりでできないことが増えてお世話をしてもらったりすることはたぶん、周りが思っている以上に悲しくて苦しいことだったと思う。

私自身、長生きしてほしいと思う一方で、それがおばあちゃんにとって本当にしあわせなことなのか、と考えるたびに、疑問が残った。

だから、帰ってきたおばあちゃんのとても穏やかなお顔を見たとき、まったく苦しむことなく生ききったんだな、解放されたんだな、と正直少しだけ、ホッとした。


そして、私にとって悲しみという感情がそのとき不釣り合いだったのは、そこにいる誰もがはっきりとわかるほど部屋の中に満ちていた、おばあちゃんの「気配」のせいだった。

肉体を離れてすぐに物見遊山に出かけてしまった好奇心旺盛なおじいちゃんの魂とは真逆の、ひとりで電車に乗ることもできないくらい怖がりだったおばあちゃんの魂は、肉体を離れたもののどうしていいのかわからず、自分の亡骸が横たわっているお布団の上で、まごまごしながらちょこんと正座しているのだった。

おばあちゃんがそこにいるのに、悲しむことなんて、できない。

おばあちゃんの身体に触れた私の身体の細胞は淋しい、淋しいって叫んで涙を流すのに、意識は冷静におばあちゃんの様子を観察している。

それはとてもおかしな感覚で、私は自分で自分を持て余していた。


--------

11月18日、土曜日。

家族とごく近い親戚だけでのお通夜と葬儀だったけれど、お花でいっぱいにしよう、とみんなで贈ったたくさんの美しいお花に囲まれた祭壇の真ん中で、おばあちゃんは静かに横たわっていた。

お通夜の読経が始まってしばらくすると、私は背後にふとおばあちゃんの気配を感じた。
こっそり振り返ると、いろんな時代の姿をグルグルしたあと、女学生の頃の姿をとどめたおばあちゃんが、自分の遺影が飾られた祭壇を見つめている。

女学生の頃のエピソードは、おばあちゃんの特に好きな話のひとつだった。

まだ女の子が進学すること自体が珍しかった時代に、13歳で親元を離れて、親戚の家から県下一の女学校に通うことになったこと。

名家の長女として大切に育てられていたのが一変し、親戚の家ではまるで使用人のように扱われて、とても大変だったこと。

家に帰ると勉強ができないから、毎日最後まで学校に残って一生懸命勉強して、成績はいつもいちばんだったこと。

言い回しもぜんぶ真似できるくらい何度も聞いたその話は、私にとってはずうっと昔に過ぎ去ったおばあちゃんの青春の一コマとしか思っていなかったけれど、今私の目の前で、小首をかしげながら祭壇を眺めている負けん気の強そうな女の子は確かに実在していた、けれども私の知らないおばあちゃん。


戦争が影を落とす時代の中でも、つらいことがあっても歯をくいしばって涙をこらえて、淡い恋をしたり、未来に夢を馳せたりしながらがんばって生きていた女の子。

それは、その場に参列しているだれひとりとして見たことのないおばあちゃん。
だけどもしその時代がおばあちゃんにとっていちばんかけがえのない時間だったとしたら。

ふとそんなことを考えたとき、私は初めて、とてつもなく悲しくなった。


おばあちゃんにとって果たして人生のどの時間がいちばんしあわせだったのか。
それは、おばあちゃんにしかわからない。

だけど、私はおばあちゃんのことが大好きだから、おばあちゃんにとってのしあわせな時間の中に、自分の存在があってほしい。
そんなふうに、感じてしまったのだった。


通夜振る舞いの途中、私はひとり抜け出して、ずっと、おばあちゃんの棺のそばで今にもまた目覚めそうな美しいお顔を眺めていた。

このとき私は、おばあちゃんの魂がどこにいるかなんて、ちっとも気にならなかった。

魂がいつもそばにいればそれでいい、なんていうのはきれいごとの嘘っぱちだ。
会いたいのは、そばにいたいのは、この身体の中にいるおばあちゃんだった。

誰よりも澄んだ美しい目や、私とおなじ形をした温かい手や、「おばあちゃんのかわいこちゃんの樹世乃ちゃん」と私を呼ぶ優しい声に、これからもずっと、会いたかった。

身体が朽ちないものなら、このままずっと冷たく眠ったままでもいいから、せめてこの形をこの世界に残しておきたかった。


しばらくすると、おばあちゃんにとってひ孫にあたる8歳の男の子が、何を話すでもなく、だけど、何かを共有したいような顔をして、私の隣にやってきた。

最初はずっと黙っていたものの、なんとなく間が持たなくて、ひとりごとのようにおばあちゃんとの思い出をポツポツと話していると、その子がふと、棺の上に置かれた護り刀を指さして、これは何?と尋ねる。

ーこれは、刀だよ。天国に行くまでに怖いのがきても、この刀が護ってくれるんだよ。おばあちゃんはサムライの家の子だから、きっと強いだろうね。

ーとりいすねえもん。(彼はとても得意げに、いちばん有名なご先祖の名前を挙げた。)

ーそう。強右衛門さんは武士だけど、そのご先祖をもっともっとさかのぼると、熊野三所権現っていうものすごい神様たちがいる神社の神職の家なんだよ。だから、おばあちゃんは仏さまにもご先祖さまにも神さまにも護られてるから、安全だね。

ーおばあちゃん、すごいね。

ーうん、すごいね。誇らしいね。

ーうん。あのね、明日、おばあちゃんのそばにチョコレート10個入れてあげてもいい?
おばあちゃん、チョコレートが大好きだから、天国まで遠くて途中で疲れちゃっても、食べたら元気が出ると思うんだ。


ハッとした。

それまでも何度か顔を合わせたことはあったものの、まったく関心を持ったこともなかったこの子がこんなにも優しくて、おばあちゃんのことを想っていてくれたことを、私はちっとも知らなかった。

それは、さっきまでの悲しみをかき消してしまうくらいの、大きな発見だった。


血がつながっていること。
血がつながってゆくこと。

その意味と尊さを、実感した瞬間だった。


私の大好きだったおばあちゃんを、この子も知っている。
私の愛するおばあちゃんを、この子も愛してくれている。

子どもを持たない私はその想いを誰にもつないでいけないと思っていたけれど、この子がちゃんと、私たちに流れる同じ血の中にある大切な何かを、これから先につないでいってくれる。

そのことを、心から嬉しいと思った。


--------

11月19日(土)

お別れの準備はできていたはずなのに、最後のお焼香のときはどうしても、嗚咽を抑えられなかった。

だけど、読経が終わり、ずっとお世話になっていたお寺の住職が浄土への扉をちゃんと開いてくれた瞬間、おばあちゃんの魂はそれはそれは美しい光になった。

みんなみんなが泣きながら棺をお花でいっぱいにしているとき、妙蓮浄雪大姉、という素敵な名前のついた観音さまになったおばあちゃんは、キラキラ光りながら自分の愛する一族のことを照らしていた。

それはもう、私の大好きなあのおばあちゃんではなかったけれど、おばあちゃん、と呼びかけたらきれいな鈴の音のような声で返事をしてくれるこの崇高な魂がこれからずっと私たちのそばにいてくれることは、やっぱりとても嬉しかった。

そして何より、そのことを母に伝えられること、それによって母が少しだけ楽な気持ちになることが、すごくすごく嬉しかった。

おばあちゃんが産み育てた5人の子どものうち、いちばん優しくて一生懸命でお母さんのことが大好きだった「みっちゃん」を最愛の母に持つことができたのは、私の人生でいちばんのしあわせのうちのひとつ。

だから、「みっちゃん」にできるだけ悲しい思いをさせないことや、これからしっかり支えていくことは、私が大好きなおばあちゃんにできる唯一の恩返しでもある。



おばあちゃんの骨は雪のように真っ白で、美しかった。

私は自分や家族が死んだら、骨を圧縮してブルーのダイヤモンドにする、と決めている。

ひょっとしたらもう遅いかもしれないけど、これからもっとがんばっておばあちゃんのようにいつも感謝を忘れないまっすぐできれいな心でいられたら、きっと私の骨もあんなふうに真っ白になって、それはそれはきれいなダイヤモンドになれるかもしれないな、と思った。


葬儀の帰り道、両親と妹と四人で寄り道して、ちょっと贅沢なチョコレートのアイスクリームを食べた。

心の中はみんなそれぞれグチャグチャで淋しくてたまらなかったけど、おばあちゃんを想いながら食べたアイスクリームはとても甘くて、私たち家族はそのとき確かに、しあわせだった。


--------

たぶん私の心の中にも細胞の中にも、とうてい言葉にしきれないような想いがまだまだたくさんあって、それをぜんぶ昇華できる日はきっと、最後まで来ることはないだろう。

今はまだ、毎晩お風呂に入るたびに、おばあちゃん、と声に出しては、湯気と一緒にたくさんたくさん涙を流し、目を腫らして眠りにつく。

けれどもそれは決して悲しみや淋しさだけではなくて、思い出すたびに胸がいっぱいになるくらい愛情と優しさしかなかったおばあちゃんとの時間が私にくれた温かなぬくもりや愛着や、何よりも感謝の気持ちがもたらす、キュウキュウ痛くて、とても愛おしい種類の涙だから、私は喜んで、今夜もまた目を腫らす。


先祖代々名前の一部を受け継いできた母方の一族の伝統に則ってつけられた私の名前は、おばあちゃんの名前のひと文字を受け継いでいる。

そのまっすぐで凛とした生き様もまた、私の中に、しっかりと刻みこまれている。



ゆき乃おばあちゃん、たくさんたくさん、ありがとう。


ずっとずっと、大好きだよ。














2016年11月23日水曜日

20161123

心にぽっかり、穴が空いて。

だいじな人を亡くして、穴はもっと大きくなった。



少し遠出をした。

気の合う友だちと一緒に、いいものをたくさん見て、美味しいものをたくさん食べて、好きな友だちのライブを見た。


ひとりでいいホテルに泊まって、おかしな夢を見ながら深く眠った。


着心地の良い、あたたかい服を買った。



満たされてもいいのに、私はとても飢えている。


飢餓で今にもおなかをひきちぎりそうなくらいに。



寒い。


明日、雪が降る街の空気よりも、心の方がずうっと。













2016年11月11日金曜日

20161110 会話のこと

つまらない会話が嫌い。


つまらない会話というのはつまり、お互いにさして興味もないのに、沈黙を埋めるためだけに言葉を発して、さて、次はどうしようか、ということを脳みそをフル回転して考えないといけないような、そういう類のもの。


人と話をしているとき、特に初めて会った人と話すとき、私はだいたい、話している最中から自分に幻滅する。

基本的にあんまり人に興味がないから、話を振ろうにも相手があれこれ話したくなるような質問が出てこないし、相槌もどことなく嘘っぽくなってしまう。

前までは、その場限りのうわっつらだけの会話をするなんて時間の無駄だから、どうせ同じ時間話すなら人生の深い話をした方がいい、なんて考えていたこともあった。

でも、自分の理屈で確立した世界の中である程度満ちたりてしまうと、人に対して発する言葉がどうにもこうにもわかったような口をきいた感じの説教じみたものになってしまって、もしかするとたまにはそれが相手の心にささることがあったとしても、自分の中ではほとんどがしゃらくさい、世間話よりもずっと薄っぺらいもののように感じてしまう。

それに、たとえ話題を振られたり、相手が私の話を聞きたがっているふうだとしても、自分の話をしすぎるのはまったくもって粋じゃない。

話すにしても、何もかも正確にぜんぶ話す必要はないのだからかいつまんで話せばいいものを、一から十までバカ正直に正確を期そうとしてしまうのもまた、粋じゃない。

わかっているのに、おおかた話し過ぎては、あとからひどく後悔する。


だから時々、期せずして誰かとおもしろい会話ができたりすると、ものすごく嬉しい気持ちになる。


おもしろい会話、というのはつまり、相手の話の続きをもっと聞きたいなぁ、私のこの話もしたいなぁ、というのが次から次へと浮かんできて、たとえカフェイン過多で胃がもたれつつあっても、もう少しその間を続けたい気持ちが勝ってもう一杯余分に飲み物を頼んでしまうような、そういう類の会話。

話した内容の大半がぼんやりとしていても、その時間のことをあとから思い出したときにふんわりとやわらかな色彩が浮かぶ、そういう会話ができると、ふだんは脳のどこかで眠っているなまけもののインスピレーション細胞が活性化されて、会話の中身とはまったく関係のないアイディアが急にわいてきたりする。


私にとってのおもしろい会話ができる人というのはどことなくみんなタイプが似ていて、謙虚で、そしてあまり雄弁ではない。


フリではなく本当に謙虚でいられるという在り方に、私は心から憧れるし、尊敬する。

先だって、家の食卓で、あぁ、私ももう少し謙虚な人になれたらいいんだけどなぁ、とつぶやいたら、すかさず母に、両親どちらにも謙虚さがないんだから、それはもう遺伝的に無理だよ、と言われて、そんなサラブレットはまっぴらごめんだ、と思ったけれど、実のところこれから私が血統書付きの謙虚を身につけることはたぶん難しい。

けれどもひょっとすると、自分が傲慢で雄弁だからこそ、正反対の人との会話の中で同じ感覚を共有したり共感したりすることがなおさら嬉しく、楽しくなるのかもしれない。


自分のさらけ出し方を間違えずにどんな人ともおもしろい会話ができるようになったら、ずいぶんいっぱしの大人になれるのに。


道のりは、まだまだ長い。







2016年11月9日水曜日

20161109

夜通し強い風が吹いている。

葉ずれの音は波音にそっくりで、目を閉じるとまるで海のそばにいるみたい。

ホッとして、愛おしい。


たいした理由もなくぽっかりと空いている心の穴を埋める何かは見つからないけど、この音を聴いている今はここ最近でいちばん気持ちが凪いでいる。


どうにも疲れていたのは、要らない音を聞きすぎていたせいだ。


どこにも行かなくても、ひとりにならなくても、日常の中でこの静けさに出会えたことに、またホッとする。


いい音。
ずっと、聴いていたい。




2016年11月8日火曜日

20161107

母とふたりで、おばあちゃんに会いに行った。

ずーっと眠っているから、ずーっと手をつないでいた。

 ほんの一瞬目を覚まして、ぼんやりした焦点が私に合って輝いたとき、おばあちゃん、キヨノだよ、みっちゃん(母)もいるよ、と声をかけたら、掠れた声で、ありがとう、と一言呟いて、そのまま再び眠りについてしまった。

帰り道、泣きべそをかく母と手をつないで田舎道を歩いていたら、夕焼けの中に絵みたいな富士山が浮かんでた。


黄昏にいるおばあちゃんの見る夢がどうかぜんぶ、しあわせなものでありますように。



2016年11月1日火曜日

20161101 私から私への手紙

2014年9月9日
前の私の魂がいなくなる直前、ノートに走り書きした私への手紙


<新しい私の魂へ>

強がらないこと。
気を遣って笑わないこと。
自分の人生を愛すること。
本当の声で、本当の言葉だけを話すこと。

自分に向き合うのは、これでおしまい。
これからはもっとちゃんと、周りを見る。周りのことを考える。

困ったことが起きても、理由や失ったもののことを考えない。
それに対してどんな行動をし、何を得たか。それだけでいい。

うまくいかないかもしれない、という不安や恐れはもうみんな自分からひっぺがしてしまいたい。

過大評価も過小評価もされたくない。
ありのまま、ぼんやりつつましく、自然体で生きていたい。

仕事はたくさんします。ただし、丁寧に時間をかけてやるものがいい。
いちばん肝心なのは、愛のある暮らしをするということ。
ひとつの形じゃなくてもいいから、いつも純粋にお互いを慈しみあえる人たちと、大切に時間を過ごしていきたい。

美しくありたい。内面の美しさがにじみ出るようなのがいい。つまりは、内面の美しい人でありたい。
汚れたりくもったりしても、磨けばちゃんときれいになる人でありたい。
願うことや望むことを恐れず、叶うことだけを信じたい。
生きていることそれ自体に、心から感謝できる人でありたい。
愛する人と手をつないで、生きていきたい。

忘れないで。


**************************


2016年11月1日
ずっと書きたくても書けずにいた、古い私の魂への手紙

<古い魂の私へ>

元気ですか?
ずっと待ち焦がれていた存在のそばで、今度はちゃんと、しあわせに過ごしていますか?

私はそこそこうまくやっています。

他人の人生を継承して生きる違和感は、予想以上に気持ちの悪いものでした。
顔も身体も中途半端なスペックもちっとも好きになれなくて、出たがる私とひっぱる身体との綱引きが一年以上も続きましたが、結局、私が負けました。

過去の記憶がほとんどなくなってしまった時には、ひょっとして「覚える」っていう機能まであなたが持っていってしまったのではないか、とだいぶ焦ったものですが、昨年の冬にようやく記憶の取り出し方がわかり、なに食わぬ顔で生活ができるようになって、ひと安心。

とはいえまだ、写真を見たり人の話を聞いたりしてもさっぱり思い出せないこともたくさんあるし、なんといっても、歴史の教科書に載っている出来事と同じくらい実感のない記憶が自分の人生として認識されているというのはなんとも気味が悪い。

それにときどき、まぁ仕方のないことなんだけど、人があなたのイメージのままで私を見たり、あなたがしていたことを私にも求めたりするたびに、たとえそれが驚くほどいいイメージだったり人の役に立っていたりしたとしても、窮屈で、息がつまりそうになります。

こればかりは時間をかけて、ちゃんと私を見てもらえるように、私が自分でしたいと思ってすることにも喜んでもらえるように、あなたを演じることなく私は私でやっていくつもりです。


小さなストレスはたくさんあるけど、周りの人たちはみんな、びっくりするくらい優しい。ありがたいことです。

それでも、人たちとは距離をおいてつきあっています。
心の中にあることを外に出すことも、ずいぶん少なくなりました。

というのも、あなたが遺したこの身体には、あなたが自ら傷ついてつけたたくさんの悲しみや淋しさや痛みの傷が細胞のそこかしこに残っていて、私が少し心を動かすたびに、その細胞たちが「また痛いのは嫌だよ、怖いよ」って過剰反応して、いろんな形でストライキを起こしたり抗議運動をしたりします。

だから、もしもまた心がたくさん動きたくなったときに身体がブレーキをかけないように、私は今、誰よりもまず自分の身体ととことん仲良くなることに躍起になっています。

そして、過去の中で帳尻を合わせられないまま残ってしまっている悲しみや痛みや淋しさは、今と、そしてこれからたくさんやってくる喜びや楽しみやしあわせで埋め合わせていこうと思います。


そうそう、あなたが捨てられなかったものや、あきらめられなかったもの、嫌いだったものは、形のあるものもないものも含めて、だいたいぜんぶ整理しました。

私の好きなシンプルさにはまだだいぶ程遠いけど、日々はだいたい穏やかで、心が動かない分少し退屈で、それでもたぶんあなたよりずっと、しあわせに過ごしています。


先日、あなたが私に遺していった連絡ノートを二年ぶりに見つけ、その中に、あなたからの手紙を見つけました。

まだできていないこともたくさんあるけど、おおむね、私はあなたが在りたいと願った人になれているような気がします。

そういえば、あのノートに書かれていた文章は、私が見つけたあなたの過去のどの文章よりも、あなたらしくて好きでした。

あなたががんばってくれた分、これからいいとこどりしていくね。

終わったらまた、会いましょう。

それまでどうか、元気でね。

******************************





2016年9月11日日曜日

20160910

街はずれにポツンと佇むその石屋さんは、数えきれないほどたくさんの石や変な置物が土ぼこりにまみれて色もよくわからないほど。

ほとんどは化石や鉱物コレクターの好きそうな石たちで、ジュエリーにできそうなものはあんまりないのかなぁ、と思いながら店内をグルリと一周していたらふと、古ぼけたドロワーを見つけた。

引き出しを開くと、そこには宝物みたいな小さな石たちがギュウギュウに並んでいる。




何十年もの時間をそこで過ごしてきた石たち。

欲しいのはたくさんあったけど、予算的にもう難しいから、と1時間かけて50個ほど厳選し、おじいさんのところへ持って行った。


おじいさんは私の選んだ石を眺めながら、きみはコレクターなのかい?と尋ねるから、いいえ、ジュエリーを作っているんです、と応えると、作品の写真が見たい、と言った。

そこで、原石で作ったジュエリーの写真を見せたら、おじいさんはおもむろに席を立ち、奥の部屋で何やらガチャガチャと音を立てて、しばらくすると、大きな両てのひらいっぱいにきれいな石たちを持ってきて、私の前にガチャリと置き、“These are gift for you."と言った。

びっくりしておじいさんの顔を見た。
とてもあたたかくて優しいまなざし。

嬉しくてありがたくて、涙が溢れてきた。


おじいさんがくれたのは私が選んだよりずっと高価な石ばかりだった。

どんなふうに感謝の気持ちを伝えればいいかわからなくて、おじいさんにハグをした。

すると、きみにはとても才能がある。これで、たくさんいい作品を作るんだよ、と、頭の上からあたたかくて優しい声が聞こえた。


神さまの声に似ている、と思った。







****


旅をするたびに、私はいつもこうやってたくさんの奇跡みたいな出会いと愛に巡り会う。

たとえ一期一会でも、とても深いところでわかりあえる何かを共有しては、その優しさや愛を魂の深い深いところに刻む。


アリゾナに来て、5日。

今回の旅でも、素敵な出会いにいっぱい恵まれている。

まったく知らない場所で、どれだけの石を見つけられるのか心配だったけど、来てみれば私史上いちばん美しくて素晴らしい石たちに出会えている。


この街へ石を売りに来る人たちのほとんどは商売人である以前に根っからの石好き。


好みの似た同士の間に流れる親近感には、国境も何もない。

ホテルに戻って伝票を確認してみたら知らないうちにずいぶんディスカウントしてくれていた、なんていうことも、一度や二度ではない。

短い時間の中でも、商売以上の何かでつながることのできる人たちが、世界中に存在する。
そのことを、すごく実感している。


こっちに来ていちばんかけられる言葉は「You have good taste!!」で、みんな、ジュエリーのこともお世辞抜きで褒めてくれる。

鑑識眼にはもちろん自信をもってはいるけど、プロ中のプロに太鼓判を押してもらえるのはやっぱり心強い。


素敵な石たちに出会ったり、そこにいる人たちと楽しいおしゃべりをするたびに、こうして私が素晴らしい時間を過ごすことができるのは、私の作品を愛して必要としてくれる人がいるおかげだなぁ、とあらためて周りの人たちへの感謝の気持ちが沸きあがってくる。

そして、ここでもらったたくさんの喜びや優しさを、作品を通じて今度は私から誰かにつないでいけたらいいな、とつくづく思う。


今回の旅で大変だったのは車での長距離移動が行きは濃霧と大雨、帰りは酷暑と疲労に見舞われたことくらいで、あとは自炊のできるちょっといいホテルに泊まりながら、とても快適に過ごしている。

一緒に来ている友だちはずっと石選びにつきあってくれていて、時にはアシスタントになったりカメラマンになったり、ホテルに戻ればご飯を作ったりと、大忙し。

彼女とは食の好みや考え方がまったく違うから戸惑うこともお互いたぶんいっぱいあるけど、ひとり旅よりずっと楽しい旅の日々を共有している。


残りの数日は、別の街でアート巡りや街歩きをしてのんびり過ごすつもり。


日本に帰ったら、この旅で見つけた宝物たちをぜんぶ並べて、うっとり眺める時間を作ろう。












2016年7月26日火曜日

20160727




ヘキサゴンモチーフ×ミックスチェーンのオーダーネックレス。

K18で作ったらやっぱり、輝きが違う。

先日の展示の際、偶然お店に入っていらしたすごくジュエリーが好きだというお客さまが、デザインと同じくらいにチェーンをベタ褒めしてくれた。

その方の着けていたジュエリーはぜんぶ、値段が1桁違うんだろうなっていうとても良いブランドのものばかりだったけど、それでもその方は、最近のジュエリーは昔のものと比べてちっともチェーンがキラキラしていないから、こんなに美しいチェーンを久しぶりに見たわ!と仰った。


私自身、石と同じくらい金属パーツにもこだわりはあるけど、そこまで気づいてもらえるのは稀だから、とってもとっても嬉しかった。


チェーンを始めとする金属パーツはすべて、名実ともに日本でいちばん緻密で美しい金属パーツを作るメーカーさんのものを使っている。

日本でいちばん、ということは、世界でいちばん緻密で美しい、ということ。


同じK10やK18表記がされていても、そもそもの鉱物の質や加工段階でのスキルが違えば、仕上がりはもちろん違う。

価格は決して安くはないけど、それでもやっぱり、着けた時の感激がぜんぜん違うから、私はここのメーカーさん以外のパーツはもはや使えない。

昔14KGFで作ったものも、できればリメイクしたいくらい。


パーツそのものだけじゃなく、いつも担当してくれる若手社員の子たちもみんな感じが良くて、ここ何度かの展示に毎回顔を出してくれる男の子もいたりして、そういう気持ちのいい関係でサポートしてもらえることも、作品の美しさにつながるような気がしている。


ジュエリーを作り始めてみて、無理してお店を出したり余計なところにコストをかけたりしなければ、自分がかつてずいぶん背伸びして買っていたジュエリーよりもずっといいものをそこそこ買いやすい価格で作れることが、改めてよくわかった。

ジュエリーやファッションに詳しい人たちからは必ず「安すぎる!」と言われるし、実際、売上があがったらその分ぜんぶ次の材料やサンプルの製作に費やしちゃうから、このままだと永遠に赤字だけれど、それでも私の作るジュエリーは買ってくれるほとんどの人にとって、ちょっと背伸びが必要なものだと思う。


だからこそ、ひとつひとつの材料は絶対に妥協したくないし、もっともっと繊細さや美しさを極めていきたい。


ひとつをずっと大切にしてくれる人も、毎回少しずついろんなアイテムを増やしていくことを楽しんでくれている人も、新作が出るたびに何かしら選んでくれる人もみんなみんな、毎日出かける前にちょっとだけ、ワクワクした気持ちになってくれたらいいな。


さてと。
お嫁入りしたジュエリーたちは、みんな元気かな。

もしも風邪をひいたり怪我をしたりしていたら、夏休みのうちに一度、実家に戻ってらっしゃいな。

2016年7月18日月曜日

20160719

なんでもできるんですね、と言われるたびに、ぜんぶ中途半端ですけどね、と心が毒づく。

いつも忙しそうですね、と言われるたびに、実際はあなたよりずっと怠けてますけどね、と心が毒づく。

自分に厳しいですよね、と言われるたびに、才能がないから努力するしかないだけなんですけどね、と心が毒づく。


他人に対して何か毒づきたくなることはあまりないけれど、心はいつもそうやって、自分に毒を吐いている。

だけど私は負けず嫌いだから、毒をもって毒を制すように、吐いた毒を養分に変えて、もっとちゃんとやれる日がいつか来るのを夢見ている。


『胎内記憶』の音楽を作っていた期間、完全に煮詰まってしまい、自分の才能のなさが不甲斐なくて、夜の公園でひとりメソメソと泣いた日があった。


泣く必要なんて、本当はどこにもない。

やらなくちゃいけないことじゃなく、ただ、やりたくてやっていることなのだから。

それに、自分の作りたい完成型が見えているのはいつだって自分だけで、たとえそれが思っていたよりもずっと良くできても、はたまた全然理想に届かなくても、私以外のすべての人にとっては出てきたものが完成型だし、そこで何をどう受け取るかはその人次第で、伝えたいことがそのまま伝わることなんて、ありえないのだから。


それでも、悔しくてたまらなかった。

**********

小さい頃からずっとずっと音楽が大好きでたまらないのに、私は一度として、音楽に向かってまっすぐ手を伸ばせずにいる。


楽器を弾くことが、歌うことが、いろんな音楽を聴くことが、小さい頃から大好きだった。

ただ楽しい遊びの延長線上にあったはずの音楽に、音楽ライターという間接的な仕事の仕方で関わるようになって、でもその関わり方は自分が望んでいたものとは違うまま、10年以上も過ぎて。


天賦の歌う才能を持つ妹に始まり、仕事でもプライベートでも、私の周りには音楽に深く関わっている人や音楽に愛されている人がたくさんいる。

だけど私自身はいつも、音楽と寄り添っている誰かのそばにいるだけのような気がしていた。
届きそうで、届かない。


いつのまにか、音楽が好きなはずなのに、楽器を弾くことも歌うこともなくなった。
仕事以外でライブに行ったり音楽を聴いたりする回数もどんどん減って、ただ好きな音楽を好きなように聴くっていうあたりまえのことさえ、やり方を忘れてしまっていた。

知らない間にずいぶん離れてしまっていた音楽との距離感が少しずつ縮まり出したのは、自分自身がアーティストとしてアートやジュエリーの作品を発表するようになってからだ。

相変わらず、私と音楽の間には、いつも誰かがいた。
それでもやっぱり、私は音楽が好きだった。


***********

三年前、からっぽの中に落っこちてしまったとき、私は音楽を探した。

私をそこから救い出してくれる音楽を。

ほんの一瞬だけ人生が交錯した大切な人に、うまく伝えられなかった本当の心を届けるための音楽を。

どの音楽も、いろんな色で、いろんな言葉をしゃべっていた。
だけど、そのとき私が欲しかった色や言葉を持っている音楽は、いくら探しても見つからない。


それなら、作ってみようか。

そして私は、からっぽの心が時々小さな声でつぶやく声に耳を澄ませて、どこにも嘘のない音だけを、ひとつずつ探していった。
それが、forumiの音楽だった。


音感だけを頼りにipadのアプリで作ったデモを聴いてくれたエンジニアの友だちが「ここまでやれるなら自分でやった方が絶対にいいよ」と言ってくれたおかげで一念発起してDTMに挑戦した結果、私は生まれて初めて、自分の頭の中で鳴っている音楽を、そのまま形にすることができた。

歌の拙さやレコーディング環境の悪さや音のしょぼさやスキルのなさ、欠点を挙げていったらキリがないけど、それでも私は、あの音楽ができた時はとっても嬉しかった。

いくら時間をかけても足りない制作作業はとても楽しかったし、作っていく過程で、自分がこれまで聴いてきた音楽のかけらがいつのまにか自分の血肉になっていたことも、そのくせ、真剣に聴きこんだ音がどんなに少なかったのかもわかった。


どんな音も映像も景色も感情もあらゆるものがモノクロームで味気なく感じられる日々の中で、音楽を作っているときだけ、いのちが彩られているような気がしたし、何も考えずにただ音楽を愛せることが、しあわせだった。


ずっと音楽だけ作っていられたらいいのになぁ、とも思う。
だけど、残念ながら私にその才能はない。

私の中にある音楽は湧き出る泉ではなく、ごくたまに降ってはすぐに止んでしまう霧雨みたいに、所在ない。

そして、その霧雨を降らせるものの正体を私はずっと「心が強く動く瞬間」だと思っていたのだけれど、それが実は間違っていたことに気づいたのは、ごくごく最近のこと。


気づかせてくれたのは、意外な人たちだった。


昨年の冬、ジュエリーの展示を終えてオーダー分の制作期間に入った頃、映像作品ブームの余韻がまだ残っていた私は、制作の合間にレンタルした映像作品を観るのが常だった。

その時借りた作品の中に、『味園ユニバース』があった。

主演は関ジャニ∞の渋谷すばるさんと、二階堂ふみさん。
二階堂さんが出ていた『私の男』からの流れで借りたその映画で、私が目を奪われたのは彼女ではなく、渋谷すばるさんだった。

彼は歌以外の記憶を一時的に失くした男、という役どころだったから、劇中にはすごい迫力で歌うシーンもあったけど、音楽や歌とはまったく関係のない、彼がただひとり無言で立っているワンシーンで、私は思わず息を飲んだ。

言葉で表現するのはすごく難しい。
お芝居の中で、彼の全身からほんの一瞬だけゆらゆら揺らめいた気配の色に、圧倒されていた。

その色は、私の好きなアーティストたちに共通する冷たい熱にも少し似ていたけれど、もっともっと複雑で、でも透きとおっていて、何よりとても、きれいだった。

テレビでちらっと見たことがあるくらいで、私は彼のことをなんにも知らなかった。
それでも感覚的に、この人はきっと、いろんな種類の失望や悲しみや葛藤に出会ってもなお、純粋なままとても美しくて強い「何か」を信じていて、同時に、彼の魂が求めてやまないその「何か」に、しっかり愛されている人なんだ、と思った。

あの一瞬の気配が役どころに依るものなのか、はたまた彼の本質なのか。
もしも本質なら、この人のやっている音楽をちゃんと聴いてみたい、と思った。

関ジャニ∞っていうグループの存在はもちろん知っていたものの、彼らが何人組なのかすらあやふやだった私は、彼らがバンドをやっていることはもちろん、どんな音楽をやっている人たちなのかも、まったく知らなかった。


一括りにするのはすごく失礼だけど、いわゆる「アイドル」の音楽に対して苦手意識を持っていた理由のひとつは、CD音源になった際の楽曲の仕上げ方にある。

例外はあるにせよ、シングルカットされるアイドル楽曲のほとんどは、キャッチーなメロディとあまり深いメッセージ性をあえて含まない歌詞をベースに、細かい歌割りや歌の上手い人と下手な人、声質のぶつかる人同士を重ねることで歌をブツ切りにして突出させない。
サウンドの音圧は極力平坦に抑えられているし、いつどこでどんなプレイヤーで聴いてもそれほど差異のない、よく言えば耳触りのいい、悪く言えば一度聴いただけでは印象に残りづらいものが多い。

それは裏を返せば、何度も何度も聴き込むたびに曲の中にどんどん新しい発見があるということだったり、愛着とともに時間や感情の記憶が混じって、聴く人の中にその曲が知らずに染み込んでいく構造になっているから、ファンの人たちはもちろん、テレビやラジオで無意識にその曲を繰り返し聴いている人たちにとっても、いつのまにかとても親和性のある音楽になっていく、ということでもある。

その戦略的な軽さと私の好きな音楽との間には、決定的に相容れない溝がある、というつまらない偏見から、私はかつて音楽ライターだったにもかかわらず、「アイドル」にカテゴライズされる人たちの音楽をしっかり聴いたことすらなかった。


映画を観て、それから、海外のサイトに落ちていた彼らのライブ映像を見つけた。
その中に、数年前のライブで渋谷さんが自作のソロ曲を歌っている映像があった。

メロディも歌詞も声も目も何もかもがまっすぐなその曲を歌っている彼の全身からは、さっき映画で観たのと同じ色が、強く強く発光していた。
その光と歌があんまり突き抜けていて、私はとっても感動した。

それをきっかけに、直近の作品から遡ってCDを聴き、友だちが早めのバースデープレゼントと称していちばん新しい関ジャニ∞のライブDVDをくれたのを期に他のライブの映像も少しずつ集めておおかた見ているうちに、この人たち、すごいなぁ、おもしろいなぁ!といつしか夢中になった。

ジャニーズのライブのおもしろさは高校時代に体感していたけれど、彼らのライブはエンターテイメント性が高いだけじゃなく、人間的なおもしろさも音楽的なおもしろさもたくさん詰まっていた。


一口に「音楽をやっている人」といっても、向いているベクトルやその人が自分の音楽のコアに何を置くかによって、表現の仕方もやる音楽も何もかもが変わる。

たとえば 、歌詞を大切にすることを優先順位のいちばんに置いているアーティストがいたとして、それも歌詞の内容に含むメッセージ性なのか、メロディに乗ったときの響きなのか、言語的な美しさなのか、言葉あそびなのかによって、完成する曲の印象はがらりと変わる。

音楽のジャンルを明確にライン化するのはとても難しい。

それは、一聴するとハードロックとクラシックにカテゴライズされる作品でも、それぞれのコアにあるものがもしも同じであったなら、おそらく聴き手の印象に残るのは表面的な音の違いではなく、そのコアだから。

関ジャニ∞の音源を聴いてみてわかったのは、彼らの音楽の軸は音楽性やその表現自体にあるのではなく、すべてのベクトルが「エイター(ファン)が楽しめること」にあるのではないか、ということ。

彼らに楽曲提供をするミュージシャンたちは、彼らのイメージに即した曲を作るとともに彼らの向こう側にいる大多数に対して「関ジャニ∞」を介して伝えたいことをメッセージとして組みこんでいるし、その選曲や彼らの自作曲はおそらく、大前提としてコンサートで演奏した際にどれだけファンの子たちが「一緒に」楽しめるか、を念頭にして作られている。

個々人それぞれが持っているこだわりや考えや嗜好やその他もろもろはみんな、そのコアを光らせるスパイスに留めている、そんな印象を受けた。


この音楽は、一方的な手紙ではなくて、会話なんだ。

音を細かく聴いていると、曲によって作り方も音質もクオリティもバラバラで、曲提供しているミュージシャンや彼ら自身のいろんなこだわりが随所にちりばめられているのがわかるけど、音源自体は全体的にやっぱりすごく万人に聴きやすく作られている。

そのちょっとした物足りなさをカバーする音が聴けるのが、ライブ、ということになるんだろう。


彼らのライブ映像を観ていて不意に泣けてしまったことが、一度となくあった。
それはきまって、彼らがバンドで演奏をしている曲だった。

たとえどんなに嘘をつくのが上手な人でも心臓の鼓動はコントロールできないように、音もやっぱり、嘘がつけない。

決してブレることのない軸といろんな制限の中で作られていった音たちを彼らが自ら演奏している時、たぶん口に出して言うことは叶わない類の彼らの感情の渦が「音」を介してだだ漏れてくる。

コアにあるものや音楽性がまったく違っても、音楽バカにはどこか共通して、特有のにおい、みたいなものがある。

そのにおいを持っている人間はたぶんみんな、音楽の中にある同じ何かを探したり信じたりしているし、その「何か」は心のいちばんやわらかいところとダイレクトにつながっている。

その「何か」とステージ上の演奏者がひとつになる瞬間がどんなアーティストのライブにも時々あって、それを目撃するたびに、私はいつも泣いてしまう。


ジャニーズのグループの在り方っていうのはある意味すごく独特で、その形について特に深く考えたこともなかったけれど、ひとつのグループの中にドラマもバラエティもトークもなんでもできる音楽バカがいっぱいいて、いい曲を作れる人もいて、色気のある演奏ができる人もいて、「歌」に愛されている歌い手までひとりいて、その周りにいるスタッフにもやっぱり愛すべき音楽バカがきっといっぱいいて、彼らをこよなく愛するスタッフやファンがいっぱい集まって大切に作り上げている「関ジャニ∞」は、それ自体がある意味ひとつの大きな作品なのかもしれない。


***********

夜の公園で自分の不甲斐なさに泣いたあと、家に帰って気晴らしに彼らのライブDVDに映っている彼らやお客さんたちのすごくいい表情を眺めながら、ふと考えた。


私の作る音楽のコアは、いったいなんだろう。


かつては間違いなく「言葉」だと思っていた。
forumiを作った時には「心」だと思った。

それも大切な要素ではある。
でも、核は違っていた。


いくら言葉を紡いでも、心を動かしても、私は私に霧雨を降らせることができない。

考える頭もせわしなく動こうとする心もからっぽにして霧雨が降るのを待つとき、私の中にあるものはたったひとつで、そのひとつを思い出すことができたらやっと私の音楽は空から降ってくるのに、私はいつも、そのひとつを忘れてしまう。


私の音楽のまんなかにあるもの。
それはいつだってずっと、「祈り」だった。


そのことにようやく気づいたとき、なんてこった、と思った。

まんなかに「祈り」がある。
ジュエリーやアートは最初からそれをわかって作ってきていたのに、音楽だけ、愛着や知識や記憶や感情や、そういうものがぐるぐる巻きになりすぎて本質が見えていなかったんだ。


草木も寝静まった頃、静かな部屋の中で、いまの自分の心のまんなかにある「祈り」に焦点をあててみたら、一ヶ月以上も煮詰まっていたのが嘘のように、旋律と最初の言葉が手をつないで空から降ってきて、それから30分後には『胎内記憶』のメイン曲のデモが完成していた。


私は祈りの先にいた目に見えない誰かと、気づくきっかけをくれた関ジャニ∞に、心から感謝した。


**********

『胎内記憶』の制作中、音楽と自分との関係をあらためて考えることもすごく多かったし、メイン曲ができてからは音楽のことと関ジャニ∞のことはセットで文章にしてみたいなぁ、と思いながらも、なかなか書けなかった。

忙しかったのもあるけど、本当の理由はものすごくくだらないことだったりもする。
何を隠そう、HIMIKAのジュエリーだ。


HIMIKAのジュエリーのコンセプトは「原点回帰と万物の調和」なので、すべてのシリーズに「∞」のモチーフがあしらわれている。

実は、私は映画を観て興味を持つまで、大変失礼ながら、「関ジャニ∞」は「関ジャニ8」だと思っていて、何かを見て正しい表記を知ったときに、あ、HIMIKAとおそろいだー、と思った。

そして、しまった、と思った。

たとえばこの数ヶ月、誰彼かまわず会う人に「最近関ジャニ∞に興味を持ってね」というと、100%の確率で「なんで!?(イメージと違う!)」と「誰が好きなの?」と尋ねられて、人々が持っている私や私の作るものに対するイメージ、あるいは彼らやジャニーズのファンの子たちに対するイメージの中にある固定観念みたいなものがもたらしている影響の強さをすごく感じて、私はおののいた。

ファンというのは往々にして、アーティストのイメージにつながるモチーフやカラーに過剰に反応してしまう性がある。

別に私自身はどんなイメージを持たれてもかまわないのだけれど、こういう公の場で関ジャニ∞について熱く語ったことで、万が一これからHIMIKAのジュエリーを見た人に「あぁ!だから∞なんだ!」って思われたらどうしよう、ということを、私は本気で心配していた。

しかも、一年以上前からずっとアイディアを温めてきた新作のリングは、あろうことかこの「∞」モチーフがおもいっきりメインなのだから、余計に頭を抱えてしまう。


そのうち、HIMIKAのお客さんに偶然関ジャニ∞のファンの子が現れて、おそろいで嬉しい!ってなってくれたらそれはそれでとっても喜ばしいことだけれど。



杞憂であることを祈りつつ、この長い文章を終えようと思う。
でもこの祈りは、なんの作品にもなりそうにない。









2016年6月1日水曜日

20160530

結局のところみんな、ないものねだりなんだろう。


半年前に赤ちゃんを産んだばかりの親しい友だちに会いに行って、母親になった人に特有の揺るがない強さと美しさを目の当たりにしたとき、私には彼女がとても眩しく見えた。

意識的にも肉体的にも現実的にも、私が子どもを持てる可能性は薄い。

いろんなことをのみこんだりあきらめたり自分の心を確認したりして、それでもかまわない、という結論を出しているはずなのに、生まれたばかりの赤ちゃんが小さな指で私の指をつかんだり、お母さんの姿がちょっと見えないだけで泣いたりするのを見ると、あぁ、こういう喜びにも出会ってみたかったなぁ、と少しだけ揺らぐ。





お互いに、会わなかった間の近況を話している最中に、彼女がぽつりと、キヨノちゃんはいいなぁ、とつぶやいた。

「好きなことややりたいことをいつもちゃんと行動に移して、そのぜんぶが少しずつ実を結んでいて。いいなぁ。」


17歳で知り合った頃から彼女はずっと、自分のことはとにかく頑固で要領が悪くてペースが遅くて、なんてけなすくせに、他人のことはいいところをたくさん見つけていつも心から褒めてくれる人だった。

でも、たとえどんなに人のことを褒めても、彼女が誰かを羨ましがることはなかったように思う。

誰かにできることが自分にはできなくても、それはそれ。人は人、自分は自分。
そういう価値観を、強固に貫いていた。

だから、彼女が私のことを「いいなあ」なんて云うのは初めてのことで、私はちょっと、面食らった。


結婚して子どもを持つことは彼女にとって望んでいたことでもあり、彼女が彼女の人生の中で絶対にやらなければならないこととして決めていたことでもあった。

でも、それを叶えるということは同時に、それまでにやっておきたいことをやるチャンスを失う、ということでもある。

大学を卒業してすぐ公務員としてずっと同じ職場で働き続けていた彼女には、ひそかにあたためていた夢がいくつかあった。

そのうち時間を作れるようになったら、と先延ばしにして結局行動することができなかった、という小さな後悔が今、大きなしあわせと背中合わせに彼女の心の中でひっかかっていて、そのひっかかりが、私への「いいなぁ」という一言につながったんだろう。

でもその小さな後悔を残しておくことこそ、これから先のいつか、子育ての落ち着いた彼女がもう一度ゆっくり自分の人生を生きられるようになったとき、円熟した形で夢を叶えられる近道になるのだ、と私は思う。

だから、彼女が私をうらやましがる必要なんて、ちっともない。
そう伝えたかったけど、うまく云えなかった。

だって私も、少しだけ彼女のことが、うらやましかったから。


***
しばらくの間、心にひっかかっていた言葉がある。


私の時間が止まってしまった時期に出会ったある人に云われた、「なんか違う」という言葉。

その人に最初に会ったとき、同類を見つけた嗅覚が働くとともに、でも人生が交わることはないな、というなんとなくの違和感を直感的におぼえたはずなのに、音楽を通じて仲良くなって、話も価値観も合うし、見た目の雰囲気も好みとは違うけど落ち着くし、なによりも一緒に生活をしているイメージが描きやすかったから、だんだん、別に恋愛感情がなくても、仲良しの友だちでいられる人なら一緒に生きていくのにいちばんいい温度でいられるんじゃないか、と思い始めた。

恋をするのはもううんざりで、だけどとにかく今いるところから這い出たくて。

今になって考えてみれば、彼も私もおなじくらい真っ暗闇の中にいて、お互いに光を探していたから共鳴しただけのことなのだけれど、完全に自分を拒絶していた私よりも彼の方が、より自分の直感に正直にいることができる人だった。

「なんか違うんだよな。わかるでしょ?」


何かの話の流れでそんなことを云われたとき、わかるようなわからないような、わかったところで別にどうでもいいような気がしながらも、その言葉の意味を深く考えなくちゃいけないこと自体が私にとってはすごいストレスだったから、もういいやってめんどくさくなって、すでに両足をつっこんでいた底なし沼にそのままひとりで沈みこんでしまった。
けれど、暗い沼から完全に上がった今、過去をほとんど排除した状態でもう一度その言葉の意味を考えてみると、なんだかとても、納得がいく。


人生を振り返ったとき、あのときあの選択をしなければどうなっていたかな、と考えるのは仕事のことばかりで、恋愛に関しては別に後悔はないし、自分自身のことを勘違いしている私のまま誰かといたところで、結局うまくやっていくのは難しかっただろうから、今の状態は必然でしかない。

とどのつまり、今までしてきた恋愛はぜんぶ、なんか違う、だった。
悲しい哉、その一言に尽きる。

たとえばこれまでつきあった人や好きになった人たちのことを思い浮かべると、そこにはおもしろい共通項があって、全員もれなく一緒にいる時間の長いシチュエーションにいた人で、音楽に何かしら関係があって、犬が好きな人だった。

この三つの共通項の中にもすでに、私にとっての「なんか違う」は含まれていた。

音楽はできれば譲りたくない。
一緒にいる時間の中で情がわくのもそんなに悪いことじゃない。

でも私、犬なんて好きじゃない。

これはとても馬鹿げているようだけど、犬が好きなジャンルの人と私との間には、どうしても相容れない溝が存在している気がしてならない。

私の友だちにも犬好きはたくさんいるし、私はその人たちがみんな大好きだけど、それは友だちだからうまくいくのであって、それが人生の伴侶ということになったら、まったく別の問題で、犬が私の家族の一員になることはたぶん、未来永劫、ありえない。

このうまく説明できない、でも確かな違和感こそまさに、「なんか違う」なのだ。


このことに気づいてさらに遡ってみると、おそろしいことに、高校時代に大好きだったアイドルも、中学や小学校で好きだった人も、さらには幼稚園のときの初恋の人にいたるまでみんな、犬を飼っていた。

根本的なところがなんか違うけど、そのことには目をつぶって、一緒にいるうちに同じところや好きなところをいっぱい見つけながらいつも無理やり、これこそが大切な恋だと思いこむ。

それが私の恋愛の常套手段になっていた。

だけど、根本的なところの「なんか違う」こそ、いちばん大切にしなければいけない感覚だったんだ。

となるとつまり、私は初恋から30数年もの間、なんか違う、どころか、大間違いをしていたことになる。



そして、ようやく気づく。

生涯の伴侶に私が求めるものは、たったひとつ。


「やっぱりそうだ」



この数年で、自分が違和感をおぼえるものを自分に関わるものの一切からなくしていくことを繰り返していくうちに、どんな些細なことでも「なんか違う」ものをのみこんだら結局失敗することがよくよくわかった。

そうなってくると、何をするにも時間はかかるし、頭も心もじっくり使うことになるからいろいろ大変だけれど、急がば回れ、とはよく云ったもので、妥協することの一切をやめたら、結果はやっぱりそれなりに満足できるものしか残らなくなった。


これをやっているとあらゆることの可能性が針の先のように細くなっていくから、必ずしも万人にそれが良いとは思わない。

けれど、少なくとも私は、自分の中にいつも違和感のない状態で過ごしている今を、人生でいちばん心地よく感じている。


白馬に乗った王子様を待つお姫さまになるには残念ながら年を取りすぎてしまっても、やっとこさ「なんか違う」の呪縛から覚め、人を愛するということのなんたるかを知り、自分の心の声をまっすぐに聴くことのできるようになった状態でこの先誰かを好きになることができたなら、それはきっと私にとって本当の初恋になる。

そして、もしその人が一過性のギフトじゃなくてどちらかが死ぬまで一緒に生きていける人生の伴侶になってくれるのだとすれば、そのとき初めて私は子どもの頃の憧れだった「初恋の人と結婚する」を叶えることができる。


なんの出会いの兆しもない今の生活にこの結論はさほど意味を持たない。
とはいえ、この世界のどこかにいるかもしれない自分の伴侶の輪郭が少し見えるというのは、なんとなく心強い。


知るたびに、やっぱりそうだって思える音楽人。

これが、私にとっての最高の人。


そして願わくば、その人にとっての私も、やっぱりそうだ、であると信じたい。
















2016年5月30日月曜日

20160529

ふだんすっかり忘れているけれど、時々ある出来事をきっかけに現実を思い知って、あ、そっか、とスーッと心の下の方が醒めるような心地になることがある。

それはだいたいザラザラと嫌な感触がして、ちっぽけなくせにやけに痛みを主張する指のささくれや口内炎に似ている。


だけど昨日までそのことをすっかり忘れていられたことを考えるとそれはとても恵まれていたわけであり、現実を思い知ってがっかりしたというのは知らないうちにまた要らない期待を自分に持っていただけであるからして、それならまた、期待することをやめればいいだけだ。


それがカミサマノミココロによってなすべきものならば追い風が吹いて、そうでなければ突き放されるというならそんなに不条理なことはないと思うけれど、誰かのせいにしてしまえるのもまた自分が楽になるために身につけた護身術だから、カミサマを恨んで私は私のちっぽけさを恨まない。


自己顕示欲のせいで鈍色に染まるなんて、まっぴらごめんだ。











2016年5月28日土曜日

20160528



作品6月23日(木)の夜に、エアリアル・アーティストのHiROKOさんとのコラボレーションライブパフォーマンスをすることになりました。 

この間アップした本番の絵は、これのメインビジュアルだったわけなのです。 

テーマは、『胎内記憶』。

私は当日HiROKOさんが踊る音楽を作るほかに、クリスタルボウルの即興演奏やポエトリーリーディングをやる予定。 

間近で見られる機会の少ないHiROKOさんのエアリアルを間近で見られる小さな会場なのと、今回はあんまりギュウギュウにならない人数で心地よく観てもらうことを重視してチケットの販売数を限定するため、興味のある方はちょっとお早めに私まで直接ご連絡をいただけると嬉しいです。


 ***

一ヶ月くらい前、また音楽を作りたいなって思っていたときにHiROKOさんからこのイベントのオファーを頂きました。 日本で初めてエアリアルができるエンタメスペースを併設していた洗足池INSPAが土地契約の都合で惜しまれながら閉館することになり、その最後を飾るイベントをいろいろなパフォーマーさん、アーティストさんが企画されている中で、胎内記憶、というテーマは私にとっても彼女にとっても予てから作品として表現してみたいものだったこともあり、ふたりだけでじっくり取り組むことに。 

自分の胎内記憶はないけど、まだ生まれてくる前の魂やおなかの中にいる胎児との対話の中で私が感じたこと、すべてのママたちに伝えたいこと、そしてふだんがんばりすぎるくらいがんばっているすべての大人たちや子どもたちに届けたい想いを、私なりの音や言葉にして伝えられたらいいなって思っています。 

そういうわけで数日前から今度は音楽制作にモードを切り替えているわけなのだけれど、楽しい。楽しいったらありません。 

本当は、もっと楽器が弾けたり歌が歌えたりしたらいいんだけど、それはまたこの先のお楽しみかな。


仕事も旅も、自分ひとりでがんばるっていうのをやめることにしたら、ちゃんとそのとおりに流れ始めてきました。 

誰かとの化学反応があってこそ生まれる新しい作品たち。
どんなふうになるのか、私自身も楽しみです。









2016年5月22日日曜日

20160522

誰かのささいな、そしておそらくちっとも悪意なんてない一言が小骨みたいに胸に刺さってなんとなくひっかかる、なんてことが重なって、あるとき突然、心の奥の方にしまっておいたあんまり触れられたくない部分に届いてしまうことがある。

音楽を聴きながらぼんやりと電車に揺られていたら、なんとなくつっかえている胸のあたりから急に何かがこみあげてきて、とめどなく涙が溢れた。

拭っても拭っても涙は堰を切ったように止まらなくて、電車を降りて友だちの家へ向かう道すがら、大きな空の見える歩道橋の真ん中で立ち止まって、嗚咽した。

悔しかった。
悔しくて悔しくて、泣いていた。


いい年をして、こんなところで泣いている場合じゃないぞ、といくら言い聞かせても止まらない涙に呆れながら、意識の中でもうひとりの私がニタリ、と笑う。

やっときたか。


********
描きたい絵があるとき、その前にいつも、こうして泣く時間が必ずある。

泣いて、どうして泣いているのかその理由となる感情を見つけて、それを吐き出す。

それがどんな感情であれ、吐き出したときにできあがった作品はいわば前フリの役割にすぎなくて、その作業を終えて初めて、描きたかった絵にとりかかることができる。

そこに至るまでにはそこそこ精神的に追い込まれたり心を無理やり動かされたりするようなことになるから、しんどいと云えばしんどいのだけれど、心がまったく動かなくなって何も作れなかった時期のことを思えば、そのしんどさすら、楽しい。


友だちの家から帰ったあと、深夜から早朝にかけて、その悔しさを吐き出す絵を描くことにした。

でたらめに描いても良かったけど、一曲何か聴いてからそれをヒントにして描こう、と決めて、iPhoneのミュージックをシャッフルにしたら(iPhoneのミュージックには絶対に小さな神さまが隠れていてときどき返答するみたいに曲を選んでいる、と私は信じている)、RADWIMPSの『螢』が流れた。



ー光って消えるただそれだけと知りながら光る僕はきれいでしょう?
 だからね 痛む胸に光る種を乗せて 幸せだねって言えるまで光ってたいの


そうだそうだ、本当にそうだなぁ、と思いながら、白いキャンバスに色を乗せていく。
白が色で埋まっていくうちに、悔しい、と一緒に要らない自尊心が消えて、自分がスーッと透明になっていく。


描き終えると窓の外はもう朝だったから、まだ乾かない絵を朝日に少しだけあてて、晴ればれとした気持ちで眠りについた。






この絵を見せたら、母は「なんだか明るい気持ちになる絵だね」と云い、妹は「昔のお姉ちゃんを思い出す」と云い、父は「おまえは精神を病んでいるな」と云った。


てんでバラバラの感想を聞いたらさらに気分がスッキリしたから、悔しい、を排泄したその絵は、家のトイレに飾ることにした。



さぁ、本番の絵にとりかかろう。
ちょうど、月も満ちた。









2016年5月9日月曜日

20160508

4月の展示会から、一ヶ月。
オーダーの入ったジュエリーたちを、せっせと作る毎日。


ほんとうならもっと早くできるはずなのについつい別のことをやってしまう集中力のなさにほとほと呆れながらも、石を選んで、作って、お手紙を書いて、包んで送って、のルーティーンに飽きることはない。


半年前のシャスタの旅で、自分に対する期待の一切をなくしたことで人生に落としどころを見つけ、そのおかげで今は毎日が穏やか。
もちろんイライラすることはあるけれど、あったらいいな、はいっぱいあっても、なくてもそれなりに満ち足りている。


満ち足りていられるいちばん大きな理由はやっぱり、仕事がなんとなくうまくまわってきていることなのだろうと思う。

この半年、私の仕事のほとんどはジュエリーを作ることに特化している。

自分の内側から何かを生み出すことは難しくなっても、大好きな石と一緒に誰かのための作品を作れる機会が増えたのはやっぱり嬉しいし自信にもなるし、ゆとりができるし、いいことづくめ。


誰かのお守りになるような、パワフルで美しいジュエリーを作ること。

それは、私のサイキック能力が開花してから、わりとすぐのタイミングで閃いた「やりたいこと」だった。


あれから8年、ずいぶんと数奇で類稀な回り道をしてきた感はあるけれど、これまでの経験も感覚もたくさんの美しいものを映してきた目もすべてを活かせる状況にようやくたどり着いた気がしている。

今では、私の作るジュエリーのことを、お守り、と呼んでくれる人が、たくさんいて、私はそれをとても嬉しく思いながら、その人の願いが叶いますように、と祈りながら作る。


好きなことと、自分の持っている能力やスキルとがリンクして、仕事としてやっていけること。

そしてその仕事の先にあるのが、必ず誰かの喜んだ顔である、ということ。

こんなしあわせなことはなかなかないと心底思うし、ひとつ作品を作るたびに、あぁ、これを作れてよかったな、嬉しいな、とまっすぐな感謝の念が湧いてくる。


一方で、オーダー票の名前を見ながら組み合わせる石を選んでいると、時々、その人の思念や感情や状況が頭や心に流れ込んでくることがある。

ふだんほとんど人と接しない生活をしているからなのか、時によっては直接目の前に誰かがいるよりも、もっと生々しい気配を感じることもある。


自分以外の誰かの気配は、好き嫌いの別なくみんな、私の頭や心をザワザワさせる。

以前ほど私の中に強い思念や感情がなくなった分、共鳴したそれらがふくらみすぎて苦しくなるようなことはないけれど、それでも、何もしていないときのニュートラルな状態を保つことが、いつもより少し、難しくなる。

そういう時は外に出たり友だちに会ったりしてできるだけ気晴らしをするようにしているけれど、なんとなくいつもと違う状態の欠片は日々積もっていくから、いまの作業が終わったら一度、大がかりに自分のお掃除をしなければいけない。


願いはすなわち、欲、でもある。

だからか、持ち主の願いが叶いますように、と祈りながらジュエリーを作っていると往々にして、私自身も自分の奥底に押し込めていたらしき欲の存在と、否応なしに向き合うことになる。


特定の誰かを愛するとか愛されるという感覚や恋の記憶をおおかた忘れてしまったおかげで、とにかくいつも愛したい愛されたい恋愛依存系女子に特有の厄介な情欲に心が支配されてしまうことはなくなったけれど、ある種の羨みとともに顔を出す別の欲がある。


とある人の書いた言葉を読んだとき。
とある人の作った音楽を聴いたとき。


あーあ。こういう才能が欲しかった。
こういうのを作れる人になりたかった。

人の心の深いところを抉って消えない爪痕を残すような、そんな作品を作れる人になりたかった。


そんなことをつい、考えてしまう。


もちろん、私にそれができないのは才能がないせいだけじゃなく、センスも努力も作品を生み出す原動力に成りうる不満足や渇望も心の機微も何もかもが足りていないからだし、じゃあそれらをがんばってなんとか得ようとするだけの気力や体力があるかと云えばそれももはや年齢のせいにして持てないことにしてしまう程度の望みでしかないのだけれど、それでもやっぱり、ものすごくグサッと心にささるものに出会ってしまったとき、これに出会えてよかった、という感動や感激と同時に、ちきしょう、この才能が欲しかったのになぁ、と臆面もなく望んでしまう自分がいる。


物質としての劣化を急激に実感する30代後半という年齢が未来の自分の可能性にどれだけ大きな影響を与えるのかはわからないし、好きなことを仕事ではなく趣味として突き詰めていって自己満足で完結させることにいずれは私も愉しみを覚えるようになるのかもしれない。

だけど、8年前の夢が巡り巡ってそれなりの形で叶っているように、今持っているこのだいそれた欲も、もうしばらくがんばって生きてみたら、何かしらの形になるかもしれない。

そんな希望が、生まれてきそうになる。


欲は人を煩わせるけど、それ以上に、欲を持つことは人生をおもしろくする。

穏やかで退屈な人生に飽きたら、少しだけ欲のために生きてみて、そしてまた穏やかで退屈な人生に戻る。

そんな日々を繰り返しながら、それでもささやかな希望を持ち続けていられたなら、生きている甲斐はずっとずっと倍増するような気も、してしまう。


ここ数日でいくつか新しいちきしょう、に出会ったから、それを記しておくのもいいかな、と思うけど、これを書きながらふと、15年以上も前にたった一行で心を撃ち抜かれ、その後の私の在り方を示してくれた小説の一節を思い出した。



********
お父さん、お父さん。夕焼の空は綺麗です。そうして、夕靄は、ピンク色。夕日の光が靄の中に溶けて、にじんで、そのために靄がこんなに、やわらかいピンク色になったのでしょう。そのピンクの靄がゆらゆら流れて、木立の間にもぐっていったり、路の上を歩いたり、草原を撫でたり、そうして、私のからだを、ふんわり包んでしまいます。
 私の髪の毛一本一本まで、ピンクの光は、そっと幽かにてらして、そうしてやわらかく撫でてくれます。それよりも、この空は、美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。私は、いま神様を信じます。これは、この空の色は、なんという色なのかしら。薔薇。火事。虹。天使の翼。大伽藍。いいえ、そんなんじゃない。もっと、もっと神々しい。
 「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。じっと空をみていると、だんだん空が変ってゆくのです。だんだん青みがかってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。
 美しく生きたいと思います。


(太宰治『女生徒』より抜粋)
********

ちきしょう。ちきしょう。
いま読んでも、やっぱり、ちきしょう。


ともあれ、また朝がきた。
今日は、薄曇り。
庭に植えた蜜柑の白い花が、風に揺れている。










2016年3月30日水曜日

20160329

誕生日。

宅急便のピンポンで目が覚めて部屋から出ると、お花やプレゼントが届いていて、驚いた。

お誕生日にはこうやって毎年たくさんお花が届くんだよ、と家族が教えてくれて、つくづくありがたいなぁ、ととてもしあわせな気持ちになった。


眠っている間はいつも機内モードにしているiPhoneをふつうのモードに直したら、親しい友人たちからのバースデーメッセージが入っていた。

そろいもそろってみんな、お天気のことを書いている。
とっても気持ちの良い日。
だからきっと、素敵な一年になるよ。そんなことを。



日中は仕事をして、夜は親友たちが集まってお祝いをしてくれた。
彼女たちは毎年コロコロ気分の変わってしまうわたしのその時のモードに合わせて、いつも最高の誕生日の過ごし方をプレゼントしてくれる。

今年の誕生日は、こじんまりとバラバラに、何度もお祝いをしてもらった。


数日前、そういえば今年の誕生日は今まででいちばん、歴代の親友たちがそろってそれぞれお祝いをしてくれているなぁ、と考えながら、わたしは突然、彼女たちが長い長い時間をかけてわたしに教えてくれていたものの存在に気づいた。
それは、もうずいぶん長いことわたしの心を煩わせていたひとつの疑問の答え、のようなものだった。


これまでの人生のことを思い出せる範囲で振り返ってみたとき、偶然とはどうしても思えない、小さな奇跡みたいなことが山のようにある中で、昔から自分にとっていちばん必要だと思っていたパートナーシップに関してだけどうしてうまくいかないのか、甚だ疑問だった。

その疑問は、うまくいかない悲しみや失望にコーティングされるうちにどんどん大きく硬くなっていって、わたしの心のいちばん奥をいつも暗くしていた。

表面的に充実や幸福を装うたびに、心の奥にあるそれがわたしに「嘘つき」といつも囁いた。
嘘じゃないよ、と反論しながら、それが真実でもないことも知っていたから、いつもどこか苦しくて、悔しかった。


いちど人生をあきらめたときに期待をなくした分、ドロドロとした暗さは姿を消したけれど、それでもその疑問だけは小さなしこりみたいに、ときどき違和感としてわたしの前に姿を現していた。


だけど、親友たちと過ごしてきた日々のことを思い出しながら、もしもわたしが15年前にさっさと結婚していたら、彼女たちのうちのほとんどとは出会うことすらできなかったし、たとえ出会っていたとしても、こんなふうに密度の濃い時間を過ごすことはできなかったんだなぁ、それは家族との時間も同じだよなぁ、と思い至ったとき、自分で出せる答えではないと思っていたその疑問を解く鍵が、見つかったような気がした。


わたしに初めての親友ができたのは、15歳のとき。
それから20年以上の年月をかけて、わたしには親友と呼べる友だちがたくさんできた。

それぞれの時代を一緒に生きてくれた、性格も個性もバラバラのわたしの親友たちに、たったひとつ共通していること。

それは彼女たちがいかなるときも、わたしを信じることをやめずにいてくれた、ということ。


気分屋のわたしが彼女たちを傷つけたり突き放したりしても、わたしがわたしをあきらめてしまったときですらも、彼女たちはわたしをあきらめずに信じて、待っていてくれた。

ひとり相撲の恋をするたび、男の人はいつも逃げ出したけど、彼女たちはいつだってちゃんと対戦相手になってくれた。

親方みたいにだいじなことを教えてくれることもあれば、鉄砲柱みたいに黙って受け止めてくれることもある。

家族とも恋人とも違う距離を保ちながら、それでもいつも片目で見守り続けてくれながら、長い長い時間をかけてそれぞれのあるがまま、彼女たちはわたしに、人の信じ方や守り方や慈しみ方を教えてくれた。


年齢を重ねるうちに失ったものはたくさんあって、その失ったものが理由で自分はいっそうパートナーシップや結婚から遠ざかっているんじゃないか、という話をよく聞くけれど、それは違う。


わたしの場合、恋に対する執着は自分でもびっくりするくらい、なくなってしまった。
それでもやっぱり、わたしにとってパートナーシップはたぶんすごく大切で必要で、わたしの願うしあわせな人生には欠かせないパーツのひとつであって欲しいとも思う。

そういう重要な、いちど壊れたら元に戻せない繊細なものだからこそ、わたしはわたしが最高のパートナーと一緒に人生を歩む上で欠かせないアイテムを見つける必要があった。
でも、何度恋をしてもそれが何かもわからないまま、もがくだけで、どうにも道に迷い続けていた。

それもそのはず。
だって、そのアイテムを持っていたのは恋をする相手ではなく、いつもそばでわたしを支えてくれていた家族や親友たちだったことに、わたしは今の今まで気づけなかったのだから。
そして、たとえときどき恋を患っていたにせよ、そこにどっぷり浸かることを取り上げられた状態で彼女たちと過ごす時間こそが、わたしにとってどうしても必要なものだったことにも。


いまやわたしの親友たちはみんな、それぞれ小さな悩みや迷いはあれども、かつて望んでいたしあわせの中に身をおいて、穏やかに暮らしている。

自分の心とおなじくらい他人の心を信じることのできる人には、望むしあわせが必ずやってくる。
だから、彼女たちがいまそこにいるのはしごく当然のことだし、それができない人がそこにいないのもまた、当然のことだろう。

わたしにとって、信じることはいつも、いちばんの難敵だ。

自分の心を信じられるようになるまでに、人に話してもほとんど信じてもらえないような不思議なことが次から次へと巻き起こったこの数年間。

何千もの人たちがわたしの人生を通り過ぎてゆく中、ずっと変わらずそばにいてくれた人たちが作ってくれたやわらかな愛情や信頼という繭に包まれながら、わたしは大きく大きく変わっていった。

いわば、今はまだ、スタート地点に立ったばかり。
きっと、これからようやく、他人の心も信じていけるようになるだろうし、そうなって初めて、わたしはこれまでのどのわたしよりも、大切な人をしあわせにすることが、否、大切な人と一緒に心からしあわせになることができるようにもなるんだろう。


またひとつ歳を取って、容姿は劣化し、体力は衰え、あーあって思うこともたくさんあるけど、身体の皮をむいて魂を眺めたら、いままでのどのわたしより、いまのわたしの方が感じがいい。
来年のお誕生日には、もっと感じがよくなっていたら、もっといい。


会話の端からわたしのニーズを拾って素敵なプレゼントに変えてくれる魔法使いのような親友たちが今年の誕生日にくれたいちばん大きなギフトは、間違いなくその鍵だった。


ちなみに今日、お誕生日ディナーの席でこのことを伝えようとした途端、いろんな想いが溢れて泣き出したわたしを、親友たちは思いきり笑い飛ばした。

ちきしょう、いまに見てろよ、と心の中で毒づきながら、いままでもずっとそうやってわたしの痛みや悲しみを笑い飛ばしてきてくれた彼女たちを、心の底から頼もしく感じた。



長すぎるくらい長い時間、わたしを慈しみ、育ててくれた家族と親友たちに、あらためて心から感謝。



ありがとう。

ありがとう。

ありがとう∞


あぁ、今日もとても、楽しかったよ。












2016年3月24日木曜日

20160324

古本屋さんでとても好きな絵のついた絵本を見つけた。
レジの人が、レシートを入れておきますね、と裏表紙を開いたとき、ちらりと、びっしり文字の書かれた読者カードが入っているのが見えた。

お店を出てすぐ、その読者カードを取り出した。
挿絵を描いた人の個展でその絵本を見つけた、というその人は、自分がその絵本にどれだけ感激したか、出会えたことをどれだけ喜んでいるか、を熱のある言葉でつらつらと書き連ねていた。

ハガキの消印が平成15年の有効期限になっているところを見ると、おそらく、彼女がそのカードを書いたのはもう10年以上前ということになる。
記載されていた年齢から推測すると、たぶん今の彼女は、私と同じくらいの年齢だろう。


彼女がどうしてその読書カードを投函しなかったのかはわからないけれど、いつかの宝物だったその絵本を手放すとき、彼女は最後に一度開くことすらしなかったのだ、と思ったら、なんとなく、そんなもんなんだよな、と妙に納得してしまった。

たとえ作り手がどんなに魂をこめて身を削って作ったとしても、そしてそれを受け取った人にそのときどんなに喜びや救いや感激があったとしても、時間が経って心の中が変わっていくにつれ、それらの多くはやがて要らないモノになる。

もういいや、とゴミ箱にポイ捨てされるものもあれば、捨てるのはしのびない、と誰かの手に渡ったり土に埋められたりお寺や神社で燃やされたりするものもあるけれど、どちらにしてもそれはもうその人の人生とは一切関わりのない、ただの不要品。


私だって、ずっと前から持っている宝物と云って思い浮かぶのは12歳のときに母がくれた初めての宝石だけで、他に思いつくものはみんな、失くしたくなかったのに失くしてしまったものばかり。

それらだってもしかすると失くさなければいつか、簡単に手放していたかもしれない。


読書カードを出版社に送るか捨てるか少し迷った結果、二つにたたんで本屋の前のゴミ箱に捨てた。
だけど私はこの絵本を見るたび、彼女がこの本と一緒に手放した感激や喜びのことを、なんとも云えないザラザラした感覚と一緒に何度も思い出すんだろう。


本を持って帰宅したあと、部屋の模様替えをしていたら、最初の個展から何度かの芳名帳が出てきた。

去年までの個展やジュエリー展の芳名帳をひとつにまとめてパラパラと眺めながら、初期の頃と去年とで、来てくれている人がほとんど被っていないことに気づいた。

いろんな字で書かれている、私の人生を通り過ぎていった人たちの名前。
私が彼らのことを思い出すことはこの先たぶんないし、その人たちが私を思い出すこともきっと、おおかたないだろう。

この芳名帳も、捨てるかどうか迷った挙句、ファイルにまとめて引き出しにしまった。
もう会わない人のことは忘れても、その人たちのもとへ渡った、いつか不要品になるであろう大半の作品たちのことを、せめて私だけでも覚えていてやりたい。

個展に出した絵、人それぞれのエネルギアート、数珠のブレス、まだ本物の金を使わずに作っていたアクセサリー、絵本やカードやCD、そしてジュエリーたち。

どれもこれも、一生懸命作ったものたち。
あの作品たちはあれからいったいどんな時間を過ごしたんだろう。
そのうちどれだけの作品が、まだこの世界に残っているんだろう。


答えはわからなくてもいいけど、手放したあと一切忘れてしまっていた自分の作品たちに少し愛着がわいていたことが、なんだか少し、嬉しかった。

私もまた、日々変わってゆく。


********

2月のほとんどを過ごしたハワイで見つけた石たちに、美しいねぇ、と語りかけながら、模様替えの終わった部屋で私は今日もジュエリーを作る。

作ったものは長く大切にしてもらえる方が嬉しいし、それがそばにあることがあたりまえになるくらいその人に日々になじんでもらえたら、作品にとってそれ以上の喜びはない。
だけどその反面、自分の作品が捨てられることを、厭わずにいたい。

私の作品を手にしてくれる人の中には、心の中にある願いを私の作品に委ねる人がいる。
そういう人にとって、作品が要らなくなるときは、その願いが叶ったときかもしれない。
だとすれば、一刻も早く、要らなくなれ、と思ったりもする。

それに、結局そんなもんだし、と心のどこかでうそぶきながら、それでもせつなだけが放つことのできる一瞬の輝きみたいなものを見つけては祈りと共に閉じこめて何かの形に残そうとする、その滑稽な作業の繰り返し、それ自体が私にとって、すでに喜びであり楽しみであり、生きている甲斐でもあるのだから。


















2016年2月3日水曜日

20160202

一月はほとんど、直島にいた。
長期滞在は、たぶんこれが、最後になる。

未だ好きな景色ひとつ見つからないくせに、期せずしてずいぶんたくさんの時間を過ごすことになってしまった小さな島が遠ざかっていくのをフェリーの窓から眺めながら、ふと、私はあの島にいるときの自分が、実はどこにいるときよりも自分らしいな、と思った。


直島には、人をニュートラルにする空気が満ちている。
それはどこか死に近いような気がずっとしていたけれど、ひょっとすると、生まれる前の胎児の感覚に似ていたのかもしれない。


振り返ってみれば、直島は私にとって、その時々に必要なものを必要なだけ与えてくれる場所だった。

完全にひとりになれる空間。
たくさんの人に作品を見てもらえる機会。
奇跡のような一期一会や続く縁。
ずっと探し求めていた存在との出会い。
いちばん深い悲しみとの対話。
自分の心を見つける時間。
そして、不器用で素朴な愛や思いやりや尊敬。
数えきれないほどの、感謝。


大きな出来事がたくさんありすぎて、自分が変わっていくスピードが速すぎてちゃんと見えなかったけど、直島での時間が私に与えてくれたものはいつのまにか、私という人間の根幹を支える大事な筋肉になっていた。


古い印象で「私」を捉えられることへの嫌悪感の向こう側で手を振っている、自分が憧れてやまない形は、もうどこにも消えたりしない。


人である以上、いつもまっさらではいられない。
それでも私は。


夜にかかる虹や、夏の夕暮れのにおいや、まどろみの中で響く優しい音楽のようなものでありたい。


静かで、透明で、はかなくて、美しくて、忘れたくなくて、また出会いたくて、人の心に喜びと感動だけを残す、愛らしく素晴らしいものでありたい。


そういうふうに、生きたい。
そういう私で、いつも誰かと寄り添って、生きたい。


ありがとう。
たいへんお世話になりました。










2016年1月19日火曜日

20160120

過去のほとんどが私の中からすっぽり抜け落ちてしまおうとしているのは、私の見たいものが未来にあって、そこにたどり着くために、できるだけ身軽になりたいからだったんだろう。


ひとつ前のブログを終えるまでの10年間に、いくつかのSNSに書いていた日記のような文章を公の場からすっかり削除するにあたってバックアップを取りながら、ほとんど覚えていない出来事の羅列に、もはや他人の日記を読んでいるような不思議な違和感を覚えていた。

いつも不毛な恋に惑いながらもがいていた、自己中心的で繊細でネガティブでユーモラスなあの子に、さようなら。
あの子の日々を彩ってくれたたくさんの恋とたくさんの奇跡に、心からのアリガトウとバカヤロウを。


私の中からいなくなったかつての私は、今の私にとってはもはや、私ではない。

だから、あの子はもう、私の未来を縛れない。
たとえ他の誰かが、その人の記憶の中にいる過去の私をひっぱりだして私の未来に影を落としたとしても。


不死鳥のように何度も灰になっては再生を繰り返しながらここまでやってきたあの子に、さようなら。

鳥は鳥でも、在りたいように変わり続ける私の成れの果て、望む姿は迦陵頻伽だ。


結んだ糸の先にある、ずっと変わらない、混じり気のない憧れに、きっとたどりつけるように。