2015年7月15日水曜日

20150714

行き先の決まっている絵を描くのが心地よいのは、そこに必ず、明らかな「終わり」がひとつあるからだ。

ひとつ終わるたびに、ひとつ望みが叶ったような気持ちになる。
それは、終わることこそが、ずっと変わってくれない私の望みだからにほかならない。

いろんな想いをのみこんでのみこんでのみこんで、苦しくなるくらい溢れたらやっと、絵が一枚描ける。 

そのとき私から出てくるものがあるべき場所にそぐうものとなっているのか、あるいはあるべき場所にそぐうものを描くために私の心がいちいちその時々異なる衝動に突き動かされる羽目になっているのか。 

いずれにしても、納得のいく絵が描けるときは必ずといっていいほど、精神がギリギリまで追いこまれて、泣き腫らした重たい目で最初の色を選んで描き始めたときばかり。 

絵をオーダーされたときはいつも、ああそれならきっとこんなイメージがいいだろうな、と考えて、そんなイメージの絵を描こうとしてみるけれど、結局のところ一度だってイメージどおりに仕上がったことなんてない。 



この絵だって、最初に塗ったのは橙色だったはずなのに、仕上がったらもう、橙色はどこにもいない。

きれいに描いていたいくつかの円も、途中で暴れだした色に消されて、あとかたもない。 


時々、仕上がった絵をあらためて眺めて、これ本当に私が描いたのかな、と思うことがある。 

誰かに描かされている、なんて言えたらカッコいいけど、難破船が漂流してたどりついた先の島が案外居心地よかった、みたいなラッキー感、という方が、きっと近い。

私に絵を描く才能はない。
ちゃんとした技術もない。

でも、本当に正直な心がそこに在りたいと思う色だけを選ぶからたぶん、それらしいものとして生まれ出てきてくれるのだろう。

額まで作り終えたら、この絵は私の行きつけの整体師さんが念願を叶えてオープンに至った表参道のサロンに飾られる。

その人は私のいろんな痛みをいつも全力で癒してくれる。
疲れますよねぇ、ごめんなさい、と云うと必ず、ヒミさんに触れていると僕の方が癒されるから、むしろ相乗効果ですよ、と健やかに笑う。

彼の施術に、悲鳴をあげたり痛すぎて笑っちゃったり黙りこんだり温まったり安らいだりしている2時間、私はいつも数え切れないくらいのありがとうを心の中で呟いている。

家族でも恋人でも友人ですらもなくとも、誰より私の身体のことを知り尽くしている人。
ほんの一瞬魔がさしたら、やすやすと私を殺すことすらできてしまう人。

そういう人が、プロフェッショナルとしての自覚や技術と一緒に真心をこめて与えてくれる優しいエネルギーに、私はこれまで何度救われてきたか、知れない。

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いろんな想いをのみこんでのみこんでのみこんで、苦しくなるくらい溢れたらやっと、絵が一枚描ける。

いろんな想いをぬりこめてぬりこめてぬりこめて、ひとつの終わりに辿り着いたらまた、空っぽになって透きとおる。

自分だけの作品ならそれで終わりにしてもいいけど、たくさんの人の目に触れる作品だから、まっさらになった心にありがとうの気持ちだけこめて、誰かと共有するための作品へ昇華させる。

糸で描いたのは、施術する人とされる人。

ふたつの温度が重なる場所に、ルチルとダイヤモンドをあしらった。
この絵はきっとこれからあの場所で、たくさんの痛みが生みだすたくさんのありがとうを栄養にして、優しく育っていくんだろうな。












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