2015年5月18日月曜日

20150517

何ヶ月も前から頼まれていた、とあるCDのジャケ用の絵。

ずっと描けなかったのに、もうじき締切、というところでようやくフッとイメージが浮かんで、木の板にアクリルをのせて指で描き出したら2時間足らずでスルスル描けた。


なんのことはない。
与える側ではなく、求める側に思いを馳せたら、難しかったことはいとも簡単なことに変わったのだった。


その音を求めるのはきっと、些細なことですぐに傷つく弱っちくていとけない心の持ち主たち。

私もおんなじものを持て余しているから、欲している色が溢れ出してくる。

いまの私が心から描きたいものが出てくるまでには、まだもう少し時間がかかりそうだけど、仕事として好きな絵を描かせてもらえるのは本当にありがたいことだと思う。


この間、鳩間島のおばあが電話をくれた。

畑に行く時に壁画を見るのが日課になって、毎日とても楽しくて嬉しい、ありがとう、と言ってくれて、胸がじんわりあったかくなった。

ここ何日か、疎遠になっちゃった人たちのことを考えて淋しくなっていたけれど、代わりに、たとえ遠く離れていてもその人のそばにある私の作品と毎日会話をしてくれている人たちに思いを馳せれば、弱っちい心の痛みもすぐに温もりに変わる。


失ったものに目を向けていても仕方がないから、空いたスペースに新しくしまうものを探すとしよう。

完成した絵の全貌やコンセプトは、音ができてからのお楽しみ、かな。





2015年5月5日火曜日

20150504

私は先生のことを何も知らないけれど、先生は私の身体の仕組みをひょっとするとこの世界の誰よりも知っている。

骨組みも筋肉のつき方も滞りやすい個所も身体の癖も、内臓の位置までも。

目を閉じて先生に身体をゆだねていると時々、あぁ、この人はその気になればいつでも私のことを殺せちゃうんだろうなぁ、なんて思ったりする。


今日、一時期とてもお世話になっていた整体師の先生の施術を受けに行った。
私は職業柄もあって、これまでいろんな施術をされる方にお会いしてきたけれど、最終的にどうしようもないくらい身体がつらくなると必ず、この先生のところに行く。


会社を辞め、ヒーラーを辞めてからは身体にそれほど大きなストレスがかかることもなくなっていたけれど、今回は長旅と、慣れないペンキを使ってのアート制作と、脳や脊髄や心臓に負担をかける神さま仕事の弊害で呼吸がきちんとできないくらいに身体が凝ってしまって困り果てていた時に、先生のことを思い出したのだった。


三年ぶりですね、と笑顔で迎えてくれた先生は私の身体を少し触って、相変わらず追い込んでますねぇ、と言いながら、施術を始めた。


比較的、痛みには強い方だと自覚しているはずなのに、先生の施術は、ものすごく痛い。
少し触られるだけでも、まるで指先に太い針でも仕込んでいるんじゃないかっていうくらい、激痛が走る。

先生のやり方が悪いんじゃなくて、私の身体がいけない。
触れられて心地いいところだってあるから、痛いところはみんな、流れが滞ってしまっているっていうことなのだ。


とはいえ、頭ではそうわかっていても、あんまり痛くて痛くて、だんだん気が遠くなる。
気をそらすこともできないくらい痛くて、ベッドの上から逃げ出したくなる。

そこでいつも、どうすればこの痛みに耐えられるかを一生懸命に考える。

世の中には痛みを快楽に変えることのできる人がいっぱいいるし、人間は誰しもSとMの両極を持っているわけなのだから、私の中にあるMっ気を最大限に活用すればこの痛みを快感に変えられるかもしれない、と思いついてみて、出てこいMっ気、と念じてみたけれど、痛みが快感に変わる前に「いたーい!!!!」と叫んで、汗だくで私の身体を良くしようとしてくれている先生の腕をバシバシ叩いたりつかんだりする始末。

そういえば昔、妹がやっぱりものすごく痛いリフレクソロジーを施してくれた時にも、同じように叫んで彼女を思いっきり蹴り飛ばしたことがあったっけ。
どうやら私には、ドMになれる素質はあまりないらしい。


私が「痛い!」と漏らすたびに、先生は優しい声でうん、うん、と応えるけれど、その指はおかまいなしに次なる激痛を身体に刻む。


身体のケアをしてもらう時はたいていどんなセラピストさんもおののくくらい身体の滞りはひどいことになっているらしいのだけれど、この先生のところへ行くのはいつも最終段階だから、結果として、先生には多大なる負担をかけている、ということになる。


自分の手で患者が癒されることが自分自身の癒しになるんですよ、と先生が言うから、私も先生を癒すために、がんばってほぐれろ!と身体を鼓舞するのだけれど、私の身体はどうやら私に似て聞き分けが悪いようで、身体のいろんなところに先生の指の形のあざができても、ちっともほぐれてくれない。
たぶん、私にしばらくほったらかしにされていたから、もっともっと先生のご厄介になりたいのだろう。

先生からも案の定、このままだと悔いが残りまくりなので、もう一度来られますか、できればなるべく早いうちに、と言われた。


どのくらい早い方がいいですか、と尋ねたら、本音を言えば、今晩ここに宿泊してもらいたいくらいです、と言われて、先生はとても素敵な人だから、これが口説き文句だったらけっこうときめくところだけれど、実際にもしも一晩この施術が続くことを想像してみると、私が痛みで死ぬか先生が疲れで死ぬかの壮絶なバトルになるのは間違いないから、お互いの寿命を延ばすためにも、数日のスパンを空けることにした。


それにしても人の縁の形というのは本当にさまざま。


知り合ってからはもう八年も経っているというのに、私は今日初めて、先生と年が4つしか変わらなかったことや、なんだか月みたいな印象だった先生の名前が、反対から読むと「太陽」だったことを知った。

たった数日に密度を凝縮して作りあげる濃い関わりもあれば、プライベートなことなんてなんにも知らないまま、何年もかけていつのまにか確固たる信頼関係を築いていることもある。

今回私が久しぶりに先生に会いに行ったのは、先生がくれたお手紙がきっかけだった。

つながりを続けていこうとする努力はどんな間柄にもとても大切だし、大切にした分だけちゃんと結果の出るものだと、つくづく思う。


夜、あざだらけの身体で窓から空を見上げたら、真っ白な満月が輝いていた。


先生に限らず、私にはいろんな形で私のケアをしてくれる人がいっぱいいる。

非の打ちどころなくまんまるなお月を眺めながら、そういう縁に出会える奇跡のひとつひとつに、心から感謝したい気持ちになった。


先生、ありがとう。
楽にして頂いた分、私もお仕事がんばります。