2015年4月29日水曜日

20150428

自分で選んでいるはずなのにいつのまにか、神様の手のひらで遊んでいるような。




壁画がようやく完成した。
建物一軒分に描いたのは、空と海と太陽と月。




それから、鳥。

最後に、神さまの顔を入れた。


初めから、すごく好きだと感じた土地で、すごく好きだと感じた人たちにお世話になりながら、すごく好きなものだけを描いた。

相変わらず、ちっともうまくはないけど、心をこめて描いた。

こんなに大きな絵を描くのも、ペンキを使うのも、野外に描くのもぜんぶ初めてだし、期間も短いし、材料も簡単には買いに行けない。
やってもみないでできないっていうのが嫌だっていうちっぽけな意地から始まったこのチャレンジに、めずらしく不安がいっぱいだった。

それでもがんばれたのは、毎日少しずつ届けられる小さな奇跡のおかげだったように思う。

作業をスタートした翌日、もともと予定していた竹富島への滞在で出会った人が、私の作品を好きだと言って大きな仕事をくれた。

その次の日、船が欠航して鳩間島に戻れなくなって一泊することになった西表島で出会った人が、とても限られた時間と場所でしか見ることのできない小さな宇宙を見せてくれた。

鳩間島に戻った日、東京からやってきた友だちと共に、新しい友だちに出会った。
彼らは、誰かと一緒にいることのわずらわしさよりもずっとずっとたくさんの喜びや楽しみや感動や笑いや心強さをくれた。

毎日、いろんな人と少しだけ交わった。
作業をのぞきに何度も足を運んでくれた人。
まだ途中の絵を褒めてくれた人。
写真におさめてくれた人。
がんばれ、と励ましてくれる人。
明るくなっていいねぇ、と笑ってくれた人。
次来る時に完成形を見るのが楽しみ、と言ってくれた人。
うちの壁にも描け!と言ってくれた人。
この絵が好きだ、と言ってくれた人。

絵を描いた建物の裏手は、確かに表からは見えないけれど、島でいちばん大きな 御嶽や灯台へ続く道の途中にあるから、わりと目立つ。

そのことに気づいたのは、島民も観光客も全員参加の避難訓練の帰り道。
少しだけ、おそろしくなった。
神さまの通り道にこんなに目立つものを作ってしまって、よかったんだろうか。
たくさんの人の日常の風景に、この絵はどんなふうに映るだろうか。

アートというものは100人が見てひとりでも好きだと思ってくれる人がいれば儲け物、というのは、いつか何かで読んだ、あるアーティストの言葉。

人がどう感じているのかを気にしてしまいそうになるたびに、私はいつもその言葉を思い出しては、自分にかけられる言葉が心からの賛辞なのか世辞なのかを見極めたりしないように鈍感になろうとする。

相手の表情を伺わずに、言葉だけ受け取る。
もらった言葉は手のひらの上でフッと吹いて、残ったものだけ心の中にしまう。


絵が完成した瞬間は、とても静かだった。
私はひとりで、空は晴れていて、青鳩が壊れた笛みたいな声で鳴いていた。

なぜか、いつものような軽い達成感や安堵感はなかった。
終わったその瞬間に、何かがまた始まったような気がしたから。


暑くて、汗だくで、ぐったりと疲れていたから、片づけを終えてからまず、シャワーを浴びに宿へ戻った。
途中で出会った観光客の女の子に、絵は進んでいますか? と尋ねられたから、ええ、今完成しました、と告げた。

シャワーを浴びて、ペンキだらけの作業着をビニール袋に入れてから、私に仕事を依頼してくれた茶屋のオーナーに完成の報告をしにいかなくちゃ、と外に出たら、縁側に座っていたおじいとおばあが、終わったか、と声をかけてくれた。

やっと終わったよ、と応えると、おじいとおばあは、そうかそうか、と笑った。


茶屋へ向かうと、オーナーはいなかった。
裏に回ってみたら、彼はタバコを吸いながら、完成したばかりの絵を微笑みながら眺めていた。
どうかな、と訊いたら、上等、上等、と答えた。

公共のWIFIが入る場所までお散歩をして、家族や手伝ってくれた友人たちや東京の友だちに完成したばかりの絵の写真を送ってまた宿に戻ると、縁側にいたおじいが私を呼んだ。

足が悪いのに、さっきさっそく絵を見に行ってくれたのだと言う。
よくやった、上等、上等、とおじいは笑った。
とても嬉しそうだった。

それから隣の部屋に滞在していたご夫婦が、作品と私と一緒に写真を撮りたい、と言ってくれたから、三人で裏に回ると、今度はおばあが絵を見てくれていた。

おばあ、どうかね、と訊いたら、いいじゃない、とおばあは答えた。
それから絵をまっすぐ見つめたまま、こんなのは、どこにもないよ、鳩間島では初めてだよ、と言った。
とってもとっても、温かな声だった。


初めから、すごく好きだと感じた土地で、すごく好きだと感じた人たちにお世話になりながら、すごく好きなものだけを描いた。

今度はこの絵が、ここに住む誰かの、そしてここに来る誰かの、好きなものになってくれたらいいな、と思う。


と、ここまで書いたところで夕飯の時間になって、お隣に今日やってきたご夫婦と共におじいとおばあのところへ行ったのだけれど、旅の最後の最後に、神さまからのとんでもないプレゼントが待っていた。


この旅に出る少し前から、「そろそろ神さま仕事に戻れ」といろんな形で言われていた。
神さまのお遣いをすることは、よくも悪くも私の人生の在り方を変えてしまう。
いったいどうすべきなのか、どうしたいのかを、この旅の間もずっと考えていた。

今回、久しぶりに新しく出会った人たちとの時間を過ごしながら、自分の進む(あるいは戻る)方向はなんとなく見えてしまったものの、まだ答えは出したくないし、出さなくてもいいかなぁ、なんて思っていた。

だからこの旅も、最後にまたおじいとおばあと一緒に楽しくご飯を食べて、明日の朝には淋しくて泣きそうになりながらこの島を出るのだと思っていた。

いつものようにゆんたくが始まり、いつものようにおじいが酔っ払って、おばあが叱って、みんなでそれを大笑いしながら眺めて、そんなふうに過ごしている最中、おじいが突然私にこう言った。

「キヨノ、あんたは、ただの人ではないだろう。神さまと関わりがあるんだろう」

びっくりした。
昨晩まで、そんな話は一度だってしたことはなかった。

聞けば、完成した私の絵を見て、おじいとおばあはそう話したのだと言う。

実は、おじいもおばあもそれぞれ島の神司の家系に生まれている。
それを知ったのは旅の初日だったのだけれど、興味本位で尋ねてはいけないことのような気がして、そのことについて詳しく聞いたことはなかった。
特におばあは島の聖域と同じような品格や気の滲み出ている人だったから、おじいとおばあの前で中途半端に神さまのことを口に出したりするのはとても失礼にあたる気がして、お客さん同士でそういう話をチラッとすることはあっても、おじいとおばあには一切話さなかった。

びっくりしている私をよそに、おじいはさらに続ける。

「あんたの見ている世界のことを、人に教えなさい。それがキヨノの役目だ」

酔っ払って呂律も回らなくなりながら、おじいは何度もそう繰り返す。
あぁ、言わされているのだ、と思った。

おじいたちとのゆんたくは18時からおじいが眠る19時半まで、と決まっているから、いつもなら19時半には解散になるのだけど、今夜はおじいが眠ってから、初めておばあとゆっくり話をした。

おばあは私が今まで話さずにいたことを聞いたあとで、これまで語ることのなかったいろんな話をしてくれた。

おじいとおばあの家系のこと、私が島にある五つの御嶽に対して感じたそれぞれの役割と島の伝承とが一致していたこと、御嶽に祀られている宝物にまつわる出来事、そういう大切ないくつかのこと。

それから私の目をじっとみて、「鳩間の神さまは、なんて言ってる?」と私に尋ねた。
その瞬間、これまでどんなに語りかけても無言を貫いていた鳩間島の神さまが、ようやく私にお遣いをさせてくれた。
それは、とてもとても大きな伝言だった。
おばあはそれを、とても真剣な表情で聞いてくれた。
そして、おそらく今まで誰にも言わなかったであろうことを、ぽつりと打ち明けてくれた。

話し声がおじいの睡眠を妨げてしまうから、まだまだ話したいことはたくさんあったけれどゆんたくを終わりにして戻ろうとしたら、おばあがとても残念そうに、もっといろんな話をしたかった、と言った。

私もまったく同感だった。
同時に、悟った。
私はきっと、遠からずまたここに戻ってくることになる。
心残りができるっていうのは、そういうことだ。


私は明日、東京に帰る。
大きな始まりの予感を、確信に変えて。

なんてこった。
鳩間島。
忘れられない旅になってしまった。













2015年4月22日水曜日

20150422

金曜から数日、お昼間は晴れ間こそあまり出ないものの穏やかなのに、夜になると猛烈な暴風雨と雷鳴までとどろいていた。

そして月曜日には与那国島を震源とした大きな地震があって、島がグラグラ揺れた。
津波警報も出たけれど、幸い津波が来ることはなく、海はまた穏やかなまま。
沖縄は本当に、龍蛇神とひとつになっている土地なのだと思う。

警報が解除された後で、海に入った。
鳩間島の海は美しいだけじゃなくて、とても優しくて心地がいい。
干潮のときはイソギンチャクの群れがあるところまでもずっと浅瀬だから、潜らなくても透明な水面越しにいろとりどりの魚たちが見える。

翌日からいよいよ絵を描くことになっていたから、私にとっては身を清める意味もあったけど、海に抱かれればそんなことはすぐに忘れてしまう。


嵐とともに、夜になると滞在しているお部屋に白いヤモリちゃんが現れるようになった。

島にはヤモリがたくさんいる。
鳴き声がどことなく天国に行った小鳥の紅ちゃんに似ているから、聞こえるとなんとなく嬉しいような安心したような気持になるのだけれど、この子は鳴き声だけでなく気配もどこかしら、小鳥ちゃんに似ている。

最初はおずおずと姿を見せたり隠したりしていたのが、月曜日の夜にはどういうわけか大興奮で一晩中部屋の壁をペタペタグルグル歩き回っていて、夜中にふと目が覚めたら私の顔の上にいた。

これにはさすがにびっくりした。
それほど私は気配をなくしていたのか。
もしくは、小鳥ちゃんが白ヤモリちゃんに憑依したのか。
どちらにしても、仲がいい。

そして翌日は、浜下り、という年に一度の女の節句があった。
昔の伝承に基づいているこの節句では、女の人はこの日には必ず潮の引いた時間に海に行って、七つの水たまりを飛び越えるか、もしくは水につかると良いのだという。



朝にはおばあが縁起ものだから、と手作りの節句のお餅をおすそわけしてくれた。

よもぎ餅と豆餅とトリ餅。
自然の色が、なんとも言えずきれい。

おばあと一緒に海に行くつもりが、午前中から下塗り作業を始めてしまったから、15時すぎの干潮の前にひと段落ついて、海へ行くことにした。

近くの浜に寄って水につかってから、水たまりのありそうな浜を探しに島の西側にある浜へ向かう。

いつもと違う道を通ってみよう、と野原の中をグングン歩いて行ったら、あろうことか道を途中で間違えて、見たこともない草原の真ん中に出てしまった。

花が咲き乱れ、白い大きな鳥たちが群れになって飛ぶその場所は、あとで聞いたらかつては一面の畑だったのが今は手つかずになっているのだとか。

道なき道に不安を覚えながらも、鳩間島は小さいから歩いていれば必ずどこかに出る、と歌を歌いながら歩いて行くと、見たことのある道に出た。

ひょっとして、とさらに海の方向へ進んで行くと、たどり着いた浜は初日に偶然たどり着いた、いちばん好きな浜。

海では遠くの方で貝獲りをしている人がひとり。
よく見たら、おばあ。
思わず笑ってしまった。

その浜で水たまりを七つ跳び越えて、帰りは浜から縦の道を延々と歩いていったら、なんとお宿の脇の道。

初日ぐるっと回って帰ってきたからそのあと行きたくても場所がいまいちわからなかったのが、まさか一本道っだったとは。
途中には鳩間島でいちばん大きな御嶽もある。
もちろん中には入れないけど、脇を通るだけで背筋が伸びる。


節句の夜には海のものを食べるのよ、とおばあが採りたての貝を出してくれ、おじいは三線で節句の唄を歌ってくれた。

三線を置いた後、酔ったおじいが唐突に「キヨノ、ずっとここにおりなさい。あんたはいい子だ」と言うのでびっくりして、涙が出てきた。

恋愛にも結婚にも向かなくても、神さまはどうやら家族を作る才能だけは人より多くくれたのかもしれない。

またひとつ、帰る場所が増えた。









2015年4月18日土曜日

20150419




水曜日に鳩間島にやってきて、今日で4日目。
どんなにゆっくり歩いても2時間あれば一周できてしまう小さな島には、とてつもなく美しいエメラルドグリーンの海と青い空と強い風がある。

島民は50人ほど、まだハイシーズンじゃないこともあって、島に点在するいろんな浜はほとんどプライベートビーチみたいに、誰もいない。

港に降りたった瞬間から、私はこの島が、とても好き。


私はここでお散歩をしたり、スコールに降られたり、野生のヤギを観察したり、こっちで知り合った人たちとおしゃべりしたりしながら、文章を書いている。

鳩間島を選んだのはただ、ここに行こう、といういつもの感覚だけで、何か目的があったわけでも何かを狙ってきたわけでもなかったけど、旅先にはなぜかいつもおもしろい出来事が待っている。


今回泊まっているお宿は、おじいとおばあがふたりでゆっくりやっているところ。
港からいちばん近いところにあって、部屋からはいつも海が見える。

素泊まりだから食事は自炊、ということで食材をたくさん買ってきたけれど、来てみたら朝も晩もおばあが美味しいご飯を作ってくれて、一緒に食べる。
このご飯がまたとても温かくて美味しくて、私はぐんぐん優しい気持ちになる。

おじいはいろんな話をしてくれる。
びっくりしたのは、鳩間島は久高島や宮古の大神島と同様に、神の島と呼ばれる場所だったこと。
今回の旅ではあえて久高島も大神島も選択肢に入れず、ただのんびりしようと思って旅に出てきたのだけれど、結局そういうエネルギーの強い場所に惹かれてしまうんだなぁ、と笑ってしまった。

鳩間島に毒ハブがいないのも、神様の力で近づくことができなかったからだ、という伝承が残っているのだとか。
おじいもおばあも島の神事に関わるおうちの生まれだとかで、ふたりの生活の中には(そしてたぶん島に住む人はみんな)自然と、神さまへの畏敬と感謝とが溢れている。
私も、ご飯をいただくときの作法を教えてもらって、おばあのご飯をいただく時には毎日それを実践するようになった。

そして昨日、私の泊まっているお宿の向かいで茶屋と宿をやっている同い年のオーナーさんがほとんど酩酊しながらおじいの三線の音を聞きつけて来て、それをきっかけに彼らのゆんたくに少しだけ顔を出したのだけれど、話の流れで急遽、そのお店の裏手の外壁一面に絵を描くことになってしまった。

ゴールデンウィークにはたくさん人が来るからそれまでに仕上げてほしい、ということなので、とりあえずこっちでの滞在を少し延長して、ある程度の道具を石垣島で買ってから作業に入ることになる。

ひとりでなんとなく何かにまきこまれてどうにかするパターンには慣れているものの、今回はなぜか、ちょっとだけ心細い。
こんなふうに感じることはあまりないから、少し戸惑っている。
昨日の夜、あれこれ考えていたら眠れなくなって、こんな時にあの人がいてくれたらなぁ、と久しぶりに誰かの助けが欲しくなった。
だけど、ひとりでやるべきことならそうなるだろうし、助っ人が本当に必要なら、何かしらの形で現れてくれるだろう。

かなり大きな面を一週間くらいで仕上げないとならないし、お天気がどうなるかもわからないけど、すごく好きな場所に作品を残せるのは嬉しいことだから、がんばってみようと思う。

今日は鳩間島に新しくできた野外ステージの落成式典が朝から開かれている。
もともと音楽の文化が盛んだったこの島では今も音楽は人の和をつなぐものとしてとても大切にされているのだけれど、この式典ではお祝いに沖縄のすべての島々からひとりずつ代表の演奏家がやってきて、それぞれの島に伝わる伝統民謡を披露している。
こんな機会はめったにあることじゃないみたいだから、本当に運がいい。

沖縄は土地も人も、おおらかに見えて厳しい。
ここまでは来てもいいけど、ここから先はダメだよっていうラインがきっちり引かれている感じ。

まぁそれは沖縄に限ったことじゃないし、そのラインを感じるのは私が故郷を持たない、ごった煮の新しい街で生きてきた人間だからなのかな。
そして、きっと私にも何かしらのラインはあって、それがあるからこそ、どこにでも行くことができるし、どこにも属さずにいられるのかもしれない。

天気予報では雨のはずだった今日は、朝からずっとやわらかな陽が出ていて、小さな島のお祭りは今もにぎやかに続いている。

私はおばあと一緒に帰ってきて、今はまた海の見える部屋で、のんびりとは程遠く、狂ってしまったスケジュールの調整や、同時進行しているいくつかの仕事の雑事を、通信速度の遅いインターネットに翻弄されながらこなしている。

明日は材料の一部をとりあえず選びに石垣島へ日帰りする予定。
船がちゃんと出てくれるといいのだけれど。











2015年4月14日火曜日

20150414

また始まってしまうのかな、と思う。

私はただ、穏やかに過ごしていられれば、それでいい。
何もたいしたことはできなくても、人がどんどん離れていっても、いつも低いテンションでおもしろい話のひとつもできなくてももうかまわないからただ、穏やかに過ごしていたい。

取り戻せ、あるべき形に戻れ、とどんなに様々な形で告げられようとも拒んできたのは、また何もかもを得て何もかもを失うあの生き急ぐ日々に立ち返るのがおそろしくてたまらないからだ。

それなのに大きなうねりは時々、まるで力の差を見せつけるみたいに、私をぐるぐる振り回す。


ずっと足の向かなかった沖縄に来ることを決めてしまったあの時から、ひょっとするともう始まっていたんだと思う。

とてもすんなりとした、でも有無を言わせない決まりごとのようにして、私は今、ここにいる。


本当なら今日のうちに鳩間島に渡ってのんびり静養と創作の日々が始まるはずだったのに、石垣島で足止めをくらった。

とりあえず今晩泊まるところを、と見つけたホテルがたまたま昨日レンタカー用にもらったマップでなんとなくひっかかっていたエリアだったのだけれど、その美しい景色に見とれる以上に頭がグァングァンと揺れるエネルギーの強さに圧倒されながら、何時間も海を眺めている。

前日9時間も眠ったにも関わらず、ここにいると眠くて眠くてたまらない。

まるで偶然みたいななりをして連れてこられたこの場所で、あらためて考える。

戻れと言われても、なすべきことをせよと言われても、果たして今の私に何ができるっていうんだろう。

心のどこかで、偶然を必然に結びつけようとする誰かのいたずらにまた乗っかってしまいたくなる自分がいるのも、わかってる。

でも、タフになりすぎた私はもう、小さな無邪気を素直に喜べない。


とりあえず、これからまた、海に行ってくる。
外は、真っ暗闇に満天の星空。