2015年2月12日木曜日

20140212


2月の頭から、また直島で過ごしている。

今回は特に何をする予定もなく、ただのんびりお留守番をするためだけに来たけれど、思いがけず友達の来訪が多かったり、こっちの友人たちと過ごしたり、お留守番の期間が短く終わったりもして、なんだかんだといつも誰かと一緒に過ごしていた。


相変わらず、直島という場所はそんなに好きじゃない。
でも、回数を重ねるごとにいろんな場所にできていく新しい記憶が愛着を生んで、私はきっとまたここに戻ってくるんだろう、と思ったりもする。


今回は初めて直島にやってきた友だちが多くて、みんながそれぞれの目で見る新鮮な風景へのリアクションを眺めて、自分がこの場所にもうすっかり慣れてしまっていることと、五感が鈍っていることとをつくづく感じたりもした。


大切な友だちと一緒に、豊島にも出かけた。
彼女と過ごした三日間は、本当に楽しかった。

センスや感覚の合う人との会話がこんなにも軽やかで楽だということを、しばらく忘れていたし、黙っていても成り立つ時間を無理せずきちんと心地よく感じられたのもまた、いい時間だった。


この写真は、心臓音のアーカイブの中にあるリスニングルームで、アーカイブされている私の心臓音を聴いていた彼女が、窓の向こうを歩いている私を撮ってくれたもの。

あのリスニングルームから見る景色がとても好きだったから、そこに私が居た証を知らないうちに彼女が切り取ってくれていたことを、とても嬉しく思った。



嗜好や興味がとても狭いところだけに向かうようになってからは、人との会話が本当につまらなくなってしまっていた。

相手が退屈しているのがわかっていながら、話しても話さなくてもいいようなことを話すのは苦痛だったし、自分が興味を持っていることを相手にわかってもらおうとして言葉を選ぶたびに、本当に言いたいことからはどんどん遠ざかっているような気がしていた。



東京にいる間、繭の中で眠っていたような生活が続いていたけど、直島でいろんな人といろんなことを話していると、これから先の計画が少しずつ決まっていく。


ハッとするような空間や瞬間に触れる機会も多いから、錆びついた感性すらも何かをキャッチしようとして時々うごめく。



何かに対して欲が出てしまうと、足りないものにばかり目がいってしまう。
物質的なあれやこれやというより、自分の才能やセンスに足りないもの。


たとえば昨晩は猛烈に「格」が欲しいと思った。


品格や風格のあるものはとても美しい。

自分の創りだすものにそれらがまったくないとは思わないけど、香るほどでもない。

もちろんそんなものは意識せずとも滲んでこそのものなのだろうけれど、自分の作品に、そして自分自身にそれらが足りていないことがわかる分、歯がゆく苦しくなる。


でも、そこに到達できないいちばんの理由は、私の中に何かをとことん追求したいという情熱がないことだろう、とも思う。


何もかもが中途半端のままずっとずっとここまで来てしまって、何かをつきつめることもなくきっとこれからもこのまま中途半端に私の日々は続いていってしまうんだろう。


それでも、二漕式の古い洗濯機を回しながら、こんなふうに気ままな日々を送れるしあわせを小さくかみしめたりして、結局のところ今はまぁこれでもいいや、と歯がゆさや苦しさを洗濯物と一緒にグルグル回して洗い流してしまえば、欲や情熱の苦しい部分は凪いで、ぼんやりとした明るさだけが手元にまた残る。



旅に出てくる前はいつも、帰りがけにどこを回ろうか、と考えるけど、帰る頃になるとたいてい面倒になって、まっすぐ東京に帰りたくなる。

明日のお昼の便で帰ろう、と決めて、さっき、まるで直島でいちばんお気に入りの場所みたいになっている小さな砂浜へ出かけてきた。


こんな小さな海も、本当はちっとも好きじゃない。
でも、ここから見る海と空の色は時々ひどく心に沁みる。


もうじき、日が暮れる。
早くまた夏が来ればいいのに、と思う。