2015年1月12日月曜日

20150111

年が明けてからも私の生活はまったく変わらず、相変わらず一日のほとんどを映像作品を観ることに費やしている。

観ているのは邦画と日本のドラマばかり。
海外の映画やドラマはほとんど観ない。

理由はとても単純。

私は、日本の俳優さんたちがとにかく好きだから、好きな顔や声や所作の人たちがいろんな人生を紡ぎだす様を観ているのが、何より心地がいい。


だから、観る作品を選ぶ時にもまず気にするのは出演している人たちだし、ストーリーがあまりにも好みにそぐわない場合を除けば、好きな俳優さんたちが出ている作品は何時間でもわりと観ていられる。


どうしてこのループがずっと続いているのか、ということの理由は自分なりに答えが出ているから、よっぽどのことがなければしばらくこの生活が変わることはないと思うのだけど、たくさん映像作品を観ながら思いついたことをひとつ、書き残しておきたいと思う。


私は、人の生まれ変わりを信じる。
というよりも、人が過去のさまざまな人生の記憶を持っていることを、身をもって何度も体験しているから、信じる以外の選択肢がない。

厳密に言えば、それが本当にその人の魂が経験した人生なのか、あるいはアカシックレコード上に記録されている誰かの記憶を共有しているのかはわからないけど、とにかく、過去性の概念が存在する前提でいうと、生まれ変わって今に至っている人たちにはみんな共通して、同じ欲がある。


それは、「知りたい」欲。

生まれ変わる人間とそうでない人間に違うところがあるとするなら、それは「知りたい」ことがあるかなくなってしまったか、それだけに過ぎない。

これまではカルマ、なんていう概念もあったけれど、カルマをすべて昇華してもまだ生きている人たちだっている。

それは、生まれ変わってきたこと自体の意味が、「知ること」の中にあるからだ。

だから人間は何度も生まれ変わっては、新しい人生を生きて、新しい知識をどんどん得ていく。
ほとんどの場合、それは限りなく続いていく。

でも、ひとりの人間が一生の間に経験できることなんてとても限られているから、人間は進化の過程の中で誰かが作り上げた「物語」をよりリアルにすることを探究してきたように思う。

言い伝えに始まり、文字に残すようになり、それに絵がつき、芝居が生まれ、それを記録できるようになり、そこに現実と同じ色がつき、さらにはまだ現実にない景色まで作ってしまえるようになった。

過去や現在だけではなく、未来の記憶の物語までも作れるようになったのは、この数十年のこと。


長い長い人間の歴史の中で、どうしてこんなに急にいろんなテクノロジーの進歩が進んだのかといえばそれはきっと、今が地球に存在する生物にとってのとても大きな過渡期に入っていることの大きな現れの一つなのだと思う。



現在、人間の姿をして存在している魂のうち、また来世も人間に生まれ変わる魂は、これまでの数十万年の中でもっとも少なくなる。

自分の希望とは関係なく、また「知りたい」欲が満たされなかったとしても、今回の人生で人間ライフ in 地球に終わりを告げる魂がたくさんいる。

それは良い悪いではなく、これからさらに次元を上げていく地球に対応して生きていくためには、それにちゃんと対応できるスペックを持っていないとやっていけないから、もはや仕方がない。

となると、映像作品を通じて誰かの人生を疑似体験することや知ることは、ある意味では多くの人間ライフ最終章を迎えた人たちにとって、潜在的に持っている「生まれ変わり」の欲求を満たすツールになっているとも考えられる。


本でもよくあるけれど、いろんな映画やドラマを観ていると時々、暗号のようなメッセージや音波が隠れているのを見つけることがある。

何気なく選んだ作品から、何かのヒントを得るような経験をすることもよくあるけど、そういうことだけじゃなく、超音波みたいにまっすぐ届いてくるサインのようなもの。


作り手がそれを意図している場合もあるし、そうでない場合もあるけれど、ただ「観る」のではなく、第六感みたいなものも意識しながら作品に向き合っていると、視覚や聴覚や感情に訴えかけてくる情報以上の何かがいつのまにか眠っている脳のどこかに形のわからない、でも確かな何かをインプットしているような感覚にとらわれる。


そのせいか、最近は眠りの深さと夢の内容が以前とは大きく変わってきていて、私は眠っている間にパラレルワールドでの出来事をしっかり体感していて、目覚めてもしばらくはそこから戻ってこられずにいたりする。



これがまたなかなか楽しい感覚だということもあって、私は外の世界にほとんど触れないで物語と過ごす今の時間を、こよなく楽しんでしまっている。


ちなみに私は、どんな作品であれ、好きなシーンがあるとそこだけ飽きるまで何度も、時には何十回も繰り返し観る癖がある。


そういうシーンは何度観ても言葉にできない、でも心の真ん中にズドンと落っこちてくる何かがあって、私はその何かを繰り返し体感したくて、観続ける。


その何か、の正体が説明できるようになったら、私も物語を作れるようになるのかもしれない。


さて、今夜は何を観ようかな。
まだ夜は長い。



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