2015年1月3日土曜日

20150102

昨日、母と妹と三人で、ショートステイの施設にいる母方の祖母に会いに行った。

泣いたり笑ったりしながら私たちを迎えてくれた大好きなおばあちゃんは、今、95歳。
少し前に腰の骨を折って以来、車いすなしで歩くのが難しくなってしまったけど、気持ちはとても元気。

差し入れに、大好物のチョコレートアイスとカステラを買っていったら、嬉しそうにカステラにアイスをつけて食べるハイカラなおばあちゃん。

お洒落も大好きで、私たちの着ているお洋服や、私の作ったジュエリーたちを何度も何度も眺めては、褒めてくれる。


これもデザインしたんだよ、とHIMIKAの指輪を見せたとき、おばあちゃんは私の手をとって、指輪にさわりながらたくさんたくさん褒めてくれたあとで、「おやまぁ、キヨノちゃんとおばあちゃんの手はそっくりだ」と、云った。


重なったふたつの手は、刻まれている時間の長さは違うけど、形も指の長さも爪の大きさもそっくり。

手だけじゃなく、私の容姿はおばあちゃんに似ているところがたくさんある。


嬉しくて、おばあちゃんと手をつないで、笑った。



私はよく母に顔が似ていると云われるし、トーンは違うけど、電話で妹と声を間違われることもある。

母方の一族は血が濃いのかみんな似たような顔をしていて、全員少し舌足らずに話す。

おじいちゃんが亡くなってからは、親戚で集まることもずいぶん減ったけど、それでも時々何かの折に親戚が集まると、性格やライフスタイルや価値観はまったく違っても、やっぱり身体の中に同じ血が流れているんだなぁ、と感じることがある。


血のつながりの不思議。
ひとりで勝手に生まれてきた人はいないから、いつかの誰かからずっとずっとひきついできているのだということに想いを馳せると、なんて途方もないことだろう、と感嘆する。


三河から横浜にお嫁に来たおばあちゃんの家系をたどると、江戸時代まで武家だったことは昔からうっすらと知っていたのだけれど、間違いなく一族にいちばん大きな影響を及ぼしたであろうひとりのご先祖の名前を一年くらい前に知った。

さかのぼること440年前。
その死によって一族の運命を変えたご先祖、鳥居強右衛門。


武田信玄の息子・勝頼と、織田信長・徳川家康の連合軍が戦った長篠の戦いで、武田方に包囲されていた長篠城を守っていた雑兵のひとりだったこのご先祖は、この時一世一代の決断をした。

その決断とは、お城を守る500の兵に対して1万5000の敵に囲まれ、もはや落城寸前だった長篠城から、お殿様の命令で徳川家康のいる岡崎城へ救援を求めに行く役割をかって出ること。

泳ぎが得意で、雑兵ゆえにちっとも顔が知られていなかったご先祖は、夜のうちに下水口から水の中を通って敵に見つかることなくお城を抜け出し、山の上から脱出の成功を知らせる烽火をあげ、その日のうちに走りに走って、岡崎城で援軍の準備をしていた徳川家康と織田信長に謁見し、援軍を要請。

そして、一晩休んでから帰れ、というふたりの優しい申し出を断り、朗報をすぐに味方に知らせようと、来た道をとんぼ返りしてまた山の上から烽火をあげたまでは良かったけれど、火が上がるたびに長篠城から大歓声があがるのを不審に思っていた敵軍につかまってしまう。

そこで、援軍が到着する前に長篠城を落城させたがっていた敵軍の大将・武田勝頼から「援軍は来ないと嘘を伝えれば、身を助け、家臣にとりたてる」という提案をされ、表向きは承諾して、味方に声の届くところまで敵軍とともに行き、嘘をつく代わりに「もうすぐ援軍が来るからそれまでがんばれ!」と叫んで、その場で殺されてしまう。


でも、その死に様が味方の士気を高めて、長篠城は援軍が来るまで持ちこたえ、戦いは織田・徳川軍が勝利。

亡くなったご先祖はその武功により、お城を抜け出す際にお殿様にお願いしていた「もし自分が死んだら妻と子供を頼みます」の願い叶って、子孫はそれからとても厚遇されたのだという。


その話を初めて知った時に思い浮かんだのが、小さい頃から、ちっとも泳げない私におばあちゃんがよく「うちの家系は昔から泳ぐのがとっても上手なんだよ」と得意げに話していたことと、織田信長に対して勝手に抱いていた印象のことだった。

史実では残忍なエピソードをたくさん持っているのに、なぜかとてもいい人という印象が昔から拭えなかったのが、このご先祖のために立派なお墓を作ってくれたのが、仕えていた奥平氏でもその上の徳川氏でもなく、織田信長公だったことを知って、なんとなく腑に落ちた。

実際はわからないけど、予想するにその時代のカリスマみたいな人が自らご先祖の供養を気にかけてくれて、きっと生き残ったご先祖たちはすごく嬉しいやら恐縮したやらだっただろうし、それまでののほほんとしていた生活とは一転、ちょっとした英雄になってしまった強右衛門さんの名に恥じないよう、たぶん多少のプレッシャーも感じながら、真面目に、立派に、品格を持って生きる一族であることを子子孫孫受け継ぐことにしたのではなかろうか。


戦国時代の人口は今の10分の1だというし、さすがに400年も経てばどんどんいろんな血が混じって、私みたいに最近までご先祖のこともよく知らずにいる子孫もたくさんいるのだろうけど、それでもやっぱり、顔つきや話し方が似るのと同じように、先人たちが子孫に託してきた想いもまたDNAのどこかに組み込まれて、私たちに引き継がれているように思われてならない。


強右衛門さんのように現代までその生涯を語り継がれるようなご先祖だけじゃなく、歴史にはなんのドラマティックな話を残さずとも時代を生き抜いて現代まで血をつないできたご先祖たちが数えきれないほどいる。

彼らのひとつひとつの選択の、どれかひとつが欠けていてもひょっとしたら私は今生きていないかもしれない、と思うとそれはもう途方もない奇跡だなぁ、とあらためて感じる。



おばあちゃんの居室は窓側で、外には大きなテラスがあって、空がとてもよく見える。

ちょうどとてもいい雲から光が射していたから、テラスに出て、写真を撮った。


帰り際、おばあちゃんに「淋しくない?大丈夫?」と尋ねたら、おばあちゃんはニコニコしながら、「ここから空を見ていると、雲の形がどんどん変わって、おもしろくてちっとも飽きないよ」と云った。


海と空が大好きなところもたぶん、DNAに組みこまれているのかもしれないな。


最近でこそ物忘れがだいぶ激しくなってしまったけど、それまでずっと毎朝欠かさず一族の健康としあわせ、そして私と妹の良縁を祈ってくれていたおばあちゃん。

これまで一度も云われたことがなかったけど、今回初めて「いい人ができたら、つれてきてね。早くチビちゃんの顔が見たいなぁ」と云われてびっくりした。

私はその願いを叶えられそうにないから我が家では妹にがんばってもらうしかないけど、私は私なりに、先人たちが伝えてきてくれた想いに何かしらの形で応えていけたらいいな、と願う。


以前は、亡くなった大好きなおじいちゃんによく似た超イケメンの男の子を生んで、顔の造作だけじゃない私的超絶いい男に育て上げることを夢見たこともあったけど、別に自分の子どもじゃなくても素敵男子はたくさん育っているのだから、人間の子どもを産んで血をつなぐのは妹にまかせて、私は自分の子どもたる作品たちに心血を注ごうっと。


そういえば、前述の強右衛門さんが一世一代の決断をして死んだのは、36歳の時。
同じ年齢を迎える私も、なんか一世一代の賭けみたいなの、してみたいな。






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