2015年1月26日月曜日

20150126

もともと足が痛い時に限ってヒールの靴を履きたくなる。
そして、ヒールの靴を履いている時に限ってたくさん歩きたくなる。


私の天邪鬼ぶりは自分に対しても向けられるわけなので、そういう時、私は迷わずヒールの靴を履いて、たくさん歩く。


ヒールの靴を履いて歩くと、歩きやすい靴の時より少しだけゆっくり歩く分、いつもよりも周りの景色がよく見える。


今日は渋谷から、東急ハンズ経由で寄り道しながら青山学院の裏手にある青山見本帖に行き、表参道まで遠回りで戻り、駅地下のパン屋さんに寄って千代田線で代々木上原まで行き、そこからまた家まで歩いて帰った。

距離にして、5kmちょっと。


ヒールの靴で歩いていると突然、足が歩くことを放棄する瞬間が必ずやってくる。
足の裏が痛くて痛くて、もうこれ以上一歩も進めないよ、と足が悲鳴をあげる。


そういう時はいつも、人魚姫のことを思い出す。


王子様に見合う人間になりたくて、魔法で尾びれを足に変えてもらった人魚姫は、歩くたびに足の裏にさすような痛みがはしった。

たぶんそれはこんな感じだったんだろうな、と人魚姫になったつもりになると、もうしばらく歩き続けることができる。

でもそのうちに、人魚姫はこんなに痛いのを我慢して、声も失くしてがんばったのに、結局自分の本質を見ぬいてくれなかった愚かな男のために泡になって消えちゃったんだ、とお話の結末を思い出すとやりどころのない怒りがわいてきて、私は自分の天邪鬼さがもたらした自らの愚かさを、見る目のない物語の中の王子のせいにしたりする。

もうこれ以上は無理だ、というところになるとたいていそれは路地裏で、近くに休めるようなところもなかったりする。

だから今度は音楽を聴いて、意識を聴覚に集中させてみたりするけど、もはや足はジンジンとした痛みを全身に響かせて、これ以上ないくらい主張する。

そうしてようやく家についたら、まずいちばんにタイツを脱いで、足の指を開いたり閉じたりしながら冷えとり靴下に履き替えて、痛めつけてごめんね、と足に話しかけるけど、足はもはやふてくされを通り過ぎて、私の猫なで声なんて完全無視する。


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昨日、たまに行く洋服屋さんの鏡に映っていた自分が、あまりにも顔色の悪い、全体的に地味女であることに愕然として、ずいぶんと陽気な柄のパンツやコートやワンピースを久しぶりに買った。


そこで今日はその陽気なコートにシックなヒールの靴を合わせて青山あたりを闊歩してみたわけだけれど、自分の見かけにこだわって出かけるといろんな欲が出てくるもので、素敵な家具屋さんや雑貨屋さんを少し覗いては、まだ見ぬ理想の暮らしをずいぶん久しぶりに思い描いたりもした。


その陽気なコートを母がとても気に入っていたから、という言い訳つきで、今日また新しいコートを買った。

イタリア製の、真っ青な、形のいいコート。
青い服なんて、選んだのは初めてかもしれないけど、それはずいぶん今の私によく似合っている。


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そういえば、表参道の交差点で信号待ちをしていた時、前に立っていた若いサラリーマンが、道路の淵のちょっと段差になっているところに乗っていた。

たぶんそれは彼の無意識の行動なのだけれど、きっと彼は小さい頃、ジャングルジムが好きだったんだろうな、と思いついたら、後ろから抱きついてしまいたいくらい愛おしくなった。


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たまにこうして外に出てみると、文字にしておきたくなるような、とてもどうでもいいようなことが、いくつかあるからおもしろい。









2015年1月12日月曜日

20150111

年が明けてからも私の生活はまったく変わらず、相変わらず一日のほとんどを映像作品を観ることに費やしている。

観ているのは邦画と日本のドラマばかり。
海外の映画やドラマはほとんど観ない。

理由はとても単純。

私は、日本の俳優さんたちがとにかく好きだから、好きな顔や声や所作の人たちがいろんな人生を紡ぎだす様を観ているのが、何より心地がいい。


だから、観る作品を選ぶ時にもまず気にするのは出演している人たちだし、ストーリーがあまりにも好みにそぐわない場合を除けば、好きな俳優さんたちが出ている作品は何時間でもわりと観ていられる。


どうしてこのループがずっと続いているのか、ということの理由は自分なりに答えが出ているから、よっぽどのことがなければしばらくこの生活が変わることはないと思うのだけど、たくさん映像作品を観ながら思いついたことをひとつ、書き残しておきたいと思う。


私は、人の生まれ変わりを信じる。
というよりも、人が過去のさまざまな人生の記憶を持っていることを、身をもって何度も体験しているから、信じる以外の選択肢がない。

厳密に言えば、それが本当にその人の魂が経験した人生なのか、あるいはアカシックレコード上に記録されている誰かの記憶を共有しているのかはわからないけど、とにかく、過去性の概念が存在する前提でいうと、生まれ変わって今に至っている人たちにはみんな共通して、同じ欲がある。


それは、「知りたい」欲。

生まれ変わる人間とそうでない人間に違うところがあるとするなら、それは「知りたい」ことがあるかなくなってしまったか、それだけに過ぎない。

これまではカルマ、なんていう概念もあったけれど、カルマをすべて昇華してもまだ生きている人たちだっている。

それは、生まれ変わってきたこと自体の意味が、「知ること」の中にあるからだ。

だから人間は何度も生まれ変わっては、新しい人生を生きて、新しい知識をどんどん得ていく。
ほとんどの場合、それは限りなく続いていく。

でも、ひとりの人間が一生の間に経験できることなんてとても限られているから、人間は進化の過程の中で誰かが作り上げた「物語」をよりリアルにすることを探究してきたように思う。

言い伝えに始まり、文字に残すようになり、それに絵がつき、芝居が生まれ、それを記録できるようになり、そこに現実と同じ色がつき、さらにはまだ現実にない景色まで作ってしまえるようになった。

過去や現在だけではなく、未来の記憶の物語までも作れるようになったのは、この数十年のこと。


長い長い人間の歴史の中で、どうしてこんなに急にいろんなテクノロジーの進歩が進んだのかといえばそれはきっと、今が地球に存在する生物にとってのとても大きな過渡期に入っていることの大きな現れの一つなのだと思う。



現在、人間の姿をして存在している魂のうち、また来世も人間に生まれ変わる魂は、これまでの数十万年の中でもっとも少なくなる。

自分の希望とは関係なく、また「知りたい」欲が満たされなかったとしても、今回の人生で人間ライフ in 地球に終わりを告げる魂がたくさんいる。

それは良い悪いではなく、これからさらに次元を上げていく地球に対応して生きていくためには、それにちゃんと対応できるスペックを持っていないとやっていけないから、もはや仕方がない。

となると、映像作品を通じて誰かの人生を疑似体験することや知ることは、ある意味では多くの人間ライフ最終章を迎えた人たちにとって、潜在的に持っている「生まれ変わり」の欲求を満たすツールになっているとも考えられる。


本でもよくあるけれど、いろんな映画やドラマを観ていると時々、暗号のようなメッセージや音波が隠れているのを見つけることがある。

何気なく選んだ作品から、何かのヒントを得るような経験をすることもよくあるけど、そういうことだけじゃなく、超音波みたいにまっすぐ届いてくるサインのようなもの。


作り手がそれを意図している場合もあるし、そうでない場合もあるけれど、ただ「観る」のではなく、第六感みたいなものも意識しながら作品に向き合っていると、視覚や聴覚や感情に訴えかけてくる情報以上の何かがいつのまにか眠っている脳のどこかに形のわからない、でも確かな何かをインプットしているような感覚にとらわれる。


そのせいか、最近は眠りの深さと夢の内容が以前とは大きく変わってきていて、私は眠っている間にパラレルワールドでの出来事をしっかり体感していて、目覚めてもしばらくはそこから戻ってこられずにいたりする。



これがまたなかなか楽しい感覚だということもあって、私は外の世界にほとんど触れないで物語と過ごす今の時間を、こよなく楽しんでしまっている。


ちなみに私は、どんな作品であれ、好きなシーンがあるとそこだけ飽きるまで何度も、時には何十回も繰り返し観る癖がある。


そういうシーンは何度観ても言葉にできない、でも心の真ん中にズドンと落っこちてくる何かがあって、私はその何かを繰り返し体感したくて、観続ける。


その何か、の正体が説明できるようになったら、私も物語を作れるようになるのかもしれない。


さて、今夜は何を観ようかな。
まだ夜は長い。



2015年1月3日土曜日

20150102

昨日、母と妹と三人で、ショートステイの施設にいる母方の祖母に会いに行った。

泣いたり笑ったりしながら私たちを迎えてくれた大好きなおばあちゃんは、今、95歳。
少し前に腰の骨を折って以来、車いすなしで歩くのが難しくなってしまったけど、気持ちはとても元気。

差し入れに、大好物のチョコレートアイスとカステラを買っていったら、嬉しそうにカステラにアイスをつけて食べるハイカラなおばあちゃん。

お洒落も大好きで、私たちの着ているお洋服や、私の作ったジュエリーたちを何度も何度も眺めては、褒めてくれる。


これもデザインしたんだよ、とHIMIKAの指輪を見せたとき、おばあちゃんは私の手をとって、指輪にさわりながらたくさんたくさん褒めてくれたあとで、「おやまぁ、キヨノちゃんとおばあちゃんの手はそっくりだ」と、云った。


重なったふたつの手は、刻まれている時間の長さは違うけど、形も指の長さも爪の大きさもそっくり。

手だけじゃなく、私の容姿はおばあちゃんに似ているところがたくさんある。


嬉しくて、おばあちゃんと手をつないで、笑った。



私はよく母に顔が似ていると云われるし、トーンは違うけど、電話で妹と声を間違われることもある。

母方の一族は血が濃いのかみんな似たような顔をしていて、全員少し舌足らずに話す。

おじいちゃんが亡くなってからは、親戚で集まることもずいぶん減ったけど、それでも時々何かの折に親戚が集まると、性格やライフスタイルや価値観はまったく違っても、やっぱり身体の中に同じ血が流れているんだなぁ、と感じることがある。


血のつながりの不思議。
ひとりで勝手に生まれてきた人はいないから、いつかの誰かからずっとずっとひきついできているのだということに想いを馳せると、なんて途方もないことだろう、と感嘆する。


三河から横浜にお嫁に来たおばあちゃんの家系をたどると、江戸時代まで武家だったことは昔からうっすらと知っていたのだけれど、間違いなく一族にいちばん大きな影響を及ぼしたであろうひとりのご先祖の名前を一年くらい前に知った。

さかのぼること440年前。
その死によって一族の運命を変えたご先祖、鳥居強右衛門。


武田信玄の息子・勝頼と、織田信長・徳川家康の連合軍が戦った長篠の戦いで、武田方に包囲されていた長篠城を守っていた雑兵のひとりだったこのご先祖は、この時一世一代の決断をした。

その決断とは、お城を守る500の兵に対して1万5000の敵に囲まれ、もはや落城寸前だった長篠城から、お殿様の命令で徳川家康のいる岡崎城へ救援を求めに行く役割をかって出ること。

泳ぎが得意で、雑兵ゆえにちっとも顔が知られていなかったご先祖は、夜のうちに下水口から水の中を通って敵に見つかることなくお城を抜け出し、山の上から脱出の成功を知らせる烽火をあげ、その日のうちに走りに走って、岡崎城で援軍の準備をしていた徳川家康と織田信長に謁見し、援軍を要請。

そして、一晩休んでから帰れ、というふたりの優しい申し出を断り、朗報をすぐに味方に知らせようと、来た道をとんぼ返りしてまた山の上から烽火をあげたまでは良かったけれど、火が上がるたびに長篠城から大歓声があがるのを不審に思っていた敵軍につかまってしまう。

そこで、援軍が到着する前に長篠城を落城させたがっていた敵軍の大将・武田勝頼から「援軍は来ないと嘘を伝えれば、身を助け、家臣にとりたてる」という提案をされ、表向きは承諾して、味方に声の届くところまで敵軍とともに行き、嘘をつく代わりに「もうすぐ援軍が来るからそれまでがんばれ!」と叫んで、その場で殺されてしまう。


でも、その死に様が味方の士気を高めて、長篠城は援軍が来るまで持ちこたえ、戦いは織田・徳川軍が勝利。

亡くなったご先祖はその武功により、お城を抜け出す際にお殿様にお願いしていた「もし自分が死んだら妻と子供を頼みます」の願い叶って、子孫はそれからとても厚遇されたのだという。


その話を初めて知った時に思い浮かんだのが、小さい頃から、ちっとも泳げない私におばあちゃんがよく「うちの家系は昔から泳ぐのがとっても上手なんだよ」と得意げに話していたことと、織田信長に対して勝手に抱いていた印象のことだった。

史実では残忍なエピソードをたくさん持っているのに、なぜかとてもいい人という印象が昔から拭えなかったのが、このご先祖のために立派なお墓を作ってくれたのが、仕えていた奥平氏でもその上の徳川氏でもなく、織田信長公だったことを知って、なんとなく腑に落ちた。

実際はわからないけど、予想するにその時代のカリスマみたいな人が自らご先祖の供養を気にかけてくれて、きっと生き残ったご先祖たちはすごく嬉しいやら恐縮したやらだっただろうし、それまでののほほんとしていた生活とは一転、ちょっとした英雄になってしまった強右衛門さんの名に恥じないよう、たぶん多少のプレッシャーも感じながら、真面目に、立派に、品格を持って生きる一族であることを子子孫孫受け継ぐことにしたのではなかろうか。


戦国時代の人口は今の10分の1だというし、さすがに400年も経てばどんどんいろんな血が混じって、私みたいに最近までご先祖のこともよく知らずにいる子孫もたくさんいるのだろうけど、それでもやっぱり、顔つきや話し方が似るのと同じように、先人たちが子孫に託してきた想いもまたDNAのどこかに組み込まれて、私たちに引き継がれているように思われてならない。


強右衛門さんのように現代までその生涯を語り継がれるようなご先祖だけじゃなく、歴史にはなんのドラマティックな話を残さずとも時代を生き抜いて現代まで血をつないできたご先祖たちが数えきれないほどいる。

彼らのひとつひとつの選択の、どれかひとつが欠けていてもひょっとしたら私は今生きていないかもしれない、と思うとそれはもう途方もない奇跡だなぁ、とあらためて感じる。



おばあちゃんの居室は窓側で、外には大きなテラスがあって、空がとてもよく見える。

ちょうどとてもいい雲から光が射していたから、テラスに出て、写真を撮った。


帰り際、おばあちゃんに「淋しくない?大丈夫?」と尋ねたら、おばあちゃんはニコニコしながら、「ここから空を見ていると、雲の形がどんどん変わって、おもしろくてちっとも飽きないよ」と云った。


海と空が大好きなところもたぶん、DNAに組みこまれているのかもしれないな。


最近でこそ物忘れがだいぶ激しくなってしまったけど、それまでずっと毎朝欠かさず一族の健康としあわせ、そして私と妹の良縁を祈ってくれていたおばあちゃん。

これまで一度も云われたことがなかったけど、今回初めて「いい人ができたら、つれてきてね。早くチビちゃんの顔が見たいなぁ」と云われてびっくりした。

私はその願いを叶えられそうにないから我が家では妹にがんばってもらうしかないけど、私は私なりに、先人たちが伝えてきてくれた想いに何かしらの形で応えていけたらいいな、と願う。


以前は、亡くなった大好きなおじいちゃんによく似た超イケメンの男の子を生んで、顔の造作だけじゃない私的超絶いい男に育て上げることを夢見たこともあったけど、別に自分の子どもじゃなくても素敵男子はたくさん育っているのだから、人間の子どもを産んで血をつなぐのは妹にまかせて、私は自分の子どもたる作品たちに心血を注ごうっと。


そういえば、前述の強右衛門さんが一世一代の決断をして死んだのは、36歳の時。
同じ年齢を迎える私も、なんか一世一代の賭けみたいなの、してみたいな。






2015年1月2日金曜日

20150101

また新しい一年のはじまり。

今年の、そしてたぶんこれからの私の人生のテーマは、「空」。


それは、そら、であり、くう、であり、から、であり、あき、でもある。


小さい頃から、しあわせだったり、悲しかったり、さみしかったり、心がよく動くときはいつも、空を見あげた。


そこはいつだって静かで、何もなくて、美しくて、そのときの心の在り様によって目に映る景色が変わった。


そしてそこには、私の憧れや夢や、幸福や感謝や、無数のさよならや痛みや、そういうものがたくさんたくさん昇って、溶けていった。


陽が射せば陽を映し、夜になれば闇や月や星を映し、雨が降れば虹を映す、おおきな透明の鏡。
それ自体はなんの実体ももたず、ただあるがままに姿かたちを変えてゆきながら、とどまることなく変わり続ける。


私は、そういうものでありたい。



先日、久しぶりにお友達のところへエサレンマッサージと滋味ごはんのおもてなしを受けに出かけたら、渋谷の駅前でとても素敵な空に出くわした。



私の身体とたくさんお話しながら、私の身体が今ここにあることを一緒に確かめてくれた友だちは施術が終わったあと「キヨノちゃんは、アマノハラってとこにいたよ。そこは何もないけど満ちたりていて、キヨノちゃんは飽きてるくせにここにいたいって言い張って、こっちの方が楽しいよっていくら呼んでもちっともこっちには来ようとしなかったよ」と云った。



アマノハラ、は大空。
たぶん私はしばらく、あるいはずっと、からっぽのそらをあきあきと漂う、なにもないもので在りつづける。



そういう私に、生きている私のかたちを与えてくれるのはただひとつ、私自身の「心」だけ。

そのかたちを誰かとわけあいたくなったら、きっと私は一生懸命に心を動かして、その時々に思いつく何かを創りだしてゆくのだろう。



今年は、今までやってきたことの中で今もやりたいことを続けて、文化的な生活を送る余裕ができるように生活の手立てももっとちゃんと考えるけど、もうひとつ新しいやってみたいことができたから、それに向けて日々をがんばってみよう。



あぁ、それからもうひとつ。
今年は今まででいちばんたくさん、きれいだよって心から云われる人にもなりたい。