2015年12月30日水曜日

20151230

まるで昨日となんら変わらないように過ぎていくような日々だと思いきや、私たちはこの数年、何百年、あるいは何千年に一度起こるくらいの大きな大きなパラダイムシフトの渦の中に、いつのまにか巻き込まれている。


このパラダイムシフトが終わったあとにやってくる世界は、たとえるなら、真っ暗闇。

だからこの数年というのはある意味、来たりくるその真っ暗闇な世界を迎えるにあたっての準備期間のようなもの、と云える。


真っ暗闇の世界、と一言に云っても、その在り方は人それぞれで異なる。

ある人にとっては、不安や恐怖や絶望に満ちた世界。
ある人にとっては、静かに眠ることのできる世界。
ある人にとっては、今まで見えていたものが消え、見えなかったものが現れる世界。
ある人にとっては、いっそう自分の感覚が研ぎ澄まされる世界。
そしてすべての人にとって、ひとつひとつの魂たちのほんとうの形が、これまでよりもずっとずっとよく見える世界であり、その形を見つけるために必要な自分なりの「光」の所在を、意識的に探す世界でもある。


もちろん、これまでだってずっと、世界の見え方はいつも自分のものの見方に委ねられてきたわけだから、いつどこで何をしていても変わることのない自分をすでに持っている人たちにとっては、特になんら変わらない、とも云える。

地球の波動や次元が上昇したので、人間もそれに合わせてシフトします、物体の影響力はさらに弱まり、概念の力が強くなるため、その概念のエネルギーに合わせて私たちの意識や細胞の在り方も変わっていきます、なんて云われたところでピンとくる人なんてたぶんほとんどいないだろうし、実際のところ、どんなに急激に地球が変わったって、今生きている私たちがこれから急にあと200年生きられるようになるわけでも、突然性別が変わったり若返ったりするわけでもなく、この肉体はこれまでと同じように少しずつ衰えて、やがて失われることも、やっぱり変わらない。

それでも、このパラダイムシフトの期間は、まずひとつひとつの魂が自分の「本来のかたち」を見つけるために設定されている。
その「かたち」を見つけたうえで、まだ必要があれば今の肉体を維持しながらもうちょっと人としての人生を続けることになるし、本来のかたちに戻るときが来れば、それが周りの人にとってどんなに唐突なタイミングだとしても、肉体を脱ぎ捨てることになる。

そして、その選択は運命でも神さまでもなく、自分の魂が選んだとおりになる。

どちらにしても、この一年をピークに2018年頃まで続くパラダイムシフトの期間中、私たちに求められているのは、真っ暗闇な世界の中での自分の在り方や発光の仕方を「決める」こと。


私たちの多くにとって、多かれ少なかれしあわせを感じられるのは、自分の存在する世界に自分の思う「愛」が在るときだ、と私は考える。

大切な人がそばにいる。居心地の良い景色の中にいる。「何か」を熱烈にいとおしむ。
「何か」の温かいぬくもりの中で安心している。

人間にとってのしあわせには必ず、自分以外の「何か」や「誰か」という対象が存在する。


だけど、真っ暗闇の世界の中では、今までよりもずいぶん工夫しなければ、それらを見つけることはもちろん、これまで簡単にできていた「共有」や「共感」や「共鳴」といった具合に他者と何かをわかちあうことが、とても難しくなる。

その代わりに、自分の感覚をフル活用して見つけてわかちあったものは、今までよりもずっとずっと深くて大きな「愛」となって、自分の世界に存在するようになる。


これからやってくる真っ暗闇の世界というのは、まったく見知らぬ世界ではなく、これまであたりまえのようにそこにあった光が消えた、もともとの世界、という方がニュアンスとしては正しいかもしれない。

信じる信じないは別として、その光の正体は、いわゆる神さまとか天使とか守護霊とか亡くなった人の魂とか呼ばれる類の、生きている人間の数よりもずっとずっとたくさんいる、目に見えないサポーターたちだった。

彼らはこのパラダイムシフトの期間中、作為的に自分の光を消している。

いなくなったわけじゃない。
今でも、あたりまえのようにそばにいるけど、彼らは自分たちの在り方を変えている。

真っ暗闇の世界の中で、恐怖や不安や疑いに飲みこまれることなく、自分以外の「誰か」や「何か」の存在を信じたい者たちが目をこらし、自分で作り出した(あるいは見つけた)光でそれらの本当の姿を照らし出すのを、ただじっと、待っている。


彼らはこれまで、無限に「与える」ことを選んできた。
それは今もこれからも変わらない。

ただし今、彼らは私たちに「与える」ものに、ちょっとしたスパイスを加えている。
痛み、というスパイスを。

なぜなら、私たちはみんな、しあわせや喜びの記憶はすぐに忘れてしまい、痛みの記憶ばかり持っておこうとしたがる。

だから、ちゃんと知っていたはずなのに忘れてしまっていた大切なことや、今まで気づくことのできなかった大切なことをもう一度しっかりと思い出してもう忘れないために、なかなか忘れることのできない痛みの記憶を加えることで、私たちの魂のいちばん深いところにまで届く傷をつけて、残そうとしている。


たとえるなら、震災後の都心の夜。


まるで昼みたいにいつでも煌々と明かりの灯っていた街から、明かりが消えた夜。

夜の暗さや心細さと月や星の明るさを思い出して、今まですっかり忘れていたとても大切なことに触れたような気分になったとき、私の心に浮かんだのは、きっと私とは違う気持ちで同じ空を見上げているであろう誰かの悲しみと、見えなくなっていたけれどずっとそこにあった美しいものを見つけた喜びと、それらをないがしろにしていたことへの反省と、また見つけられたことへの感謝だった。

そして、また街に明かりが戻ったとき、私の心に浮かんだのは、まだ明かりの戻らない場所で空を見上げているかもしれない誰かの悲しみと、ふたたび便利で快適に暮らせる喜びと、それらがあることが当たり前だと思っていたことへの反省と、そういう日常を作ってくれていた先人やあらゆる人たちへの感謝だった。

相反するふたつの環境の中でも、心に浮かぶ感情は同じ。

今のパラダイムシフトでは、これと似たようなことがたくさん起こる。



結論から云ってしまえば、昼であろうと夜であろうと空がそこに「在る」ように、世界が真っ暗闇になっても自分の世界がそこに「在る」ことに変わりはない。

つまり、その真っ暗闇とのつきあい方次第で、自分の世界の景色はすっかり変わるから、いかにしてつきあうか、は自分で決めてしまえばいい。


********

この数ヶ月、あるいは数年の間に、ささいなことをきっかけに自分の心のいちばん深いところに隠れていた真っ暗闇を直視するような出来事があった人は、少なくないと思う。

そして、そこからもう二度と抜け出せないような絶望感の中に今もまだいつづける人もいれば、ほんの数分、気づかないくらいの一瞬の絶望だけを経験しただけで終わった人もいるだろう。


真っ暗闇に向き合う時間や密度は人それぞれ違う。

その違いがどこにあるのかと云えばそれは、たとえ外側から照らされている光が消えても、自分で発電できる予備のバッテリーを、それまで生きてきた時間の中でどれだけ蓄えてきたか、によるのかもしれない。

そのバッテリーというのは、たとえば自分の未来に対する夢や目標であったり、愛したい、守りたい人やものであったり、自分の可能性を信じる気持ちであったり、そもそも何も考えなくても「生きる」ことが自然にできるスキルであったり。
それもまた、人によって異なる。

だから、少々の停電ではビクともしないようなバッテリーを持っている人は、知らずのうちにそれを使うことができてしまう。
けれど、寿命の短いバッテリーしか持っていなければ、必然的に新しいバッテリーを自分で作り出すか、もしくはまったく光のない真っ暗闇の中に目を慣らして何かを見つけるか、あるいは、真っ暗闇の中で目を閉じて、そのままずっと眠り続けるか、はたまたこれまでと同じように自分を照らし出してくれる光を探すか、いずれにしても自分で決めて何かしらの策を講じなければならない。


そこで起こるさまざまな体験や感じ方もどれひとつ同じものがないし、どれが正しくてどれが正しいということもない。

私が知っているのは、私のバッテリーが完全に切れたときに見た真っ暗闇だけだ。
でも、それを一例として出すならば、光ひとつない真っ暗闇の中で、私はようやく、自分の全貌をはっきりと見たような気がしている。


これまでも私の人生はずいぶん険しい山あり谷ありだったけれど、この一年はある意味その集大成のような、そんな一年だった。


自分の選択に後悔しないように、自分に恥じないように、生きていたつもりだった。
それでも真っ暗闇の中で、今の私を作りあげてきた自分なりのいろんな価値観になぞらえて「私」という人間を眺めてみたとき、彼女は私にとって、なんの価値も見出せない存在だった。


今年が始まったとき、私はほんとうのからっぽの中にいた。
一度絶望の中に落っこちたときはまだ悲しみがそこにあったけれど、それすらもない、ほんとうのからっぽだった。

たぶん外側から見た私は、落ち込んではいるもののそれほど深刻には見えなかったのかもしれないけど、私の中は、そうではなかった。


いちばんの願いをなくしたとき、誰かを愛する心も、愛されたいという望みも消えた。
あることをきっかけに、うすうす気づいていたけれどどうしても認められなかった「才能のなさ」を痛感して、最後の夢を失くした。
表現したい自分は完全に消滅し、作品を作り出すことも言葉を綴ることもできなくなった。
身体から免疫力や抵抗力は失われ、臓器はみんな、さぼりがちになった。
もともと好きではない容姿はますます劣化するばかりで、鏡を見るたびにまったく知らない人間がそこにいるようで気味が悪かった。
きわめつけに、記憶に障害が出始めて、私は未来を、あきらめた。

その瞬間、私のバッテリーは完全に切れて、目の前に真っ暗闇が現れた。

それまでと変わらず、周りに優しくて温かい家族や友だち、そして私の仕事に感謝したり感激したりしてくれる人の気配を感じることはできたけれど、私は目を閉じて、自分の世界の周りに透明な薄い膜を張ることを選んだ。

そしてその膜の中で、私にとってちっとも価値のないこの人間こそ、ずっと違和感を感じながらも紛れもない今の私の姿であることを、ゆっくりゆっくり、飲み込んだ。

あのとき、私の世界には、私以外に誰も何も、存在していなかった。

そこで私は初めて、いつも誰かと誰か、誰かと自分、自分と自分を比べることで作り上げてきた価値観を、もう持たなくてよくなったことに気づいた。

そうして再び目を開けたとき、私の目に映る膜の外の世界は、すっかり変わっていた。

私にとってなんの価値もない、興味も期待も持てない「キヨノ」という名前のこの人間に対して、周りの存在がくれる優しさや愛情や感謝や賞賛はみんな、びっくりするくらいキラキラ光って、私の世界を照らしてくれた。

そしてそのキラキラは、私の世界を覆っている透明な膜に反射するたび、私の世界から、感嘆や喜びや愛やしあわせが、ちょっとずつ生まれていった。

膜のおかげで、光以外のものは、私の世界に届かなくなった。
いつかこの膜がなくなるときがくるとしても、今のところ、私の世界はとても静かで穏やかで、いつもキラキラと美しく、少しだけ淋しい。

肉体を捨てようとしている魂と、それを必死に止めている肉体とのせめぎあいに、勝ったのはどうやら肉体の方だった。

だから私は、愛着のない今の「キヨノ」のかたちに、ほんとうの私がいちばん好きなかたちを作って、加えてあげることにした。


過去を司る左側は、消えてしまったもとのかたちの代わりに、ついた傷を輝きに変えるダイヤモンドにして、星の光と同じ印をつけた。

未来を司る身体の右側は、生まれたてのたましいと同じ金色のまんまるな球体を半分もらって、在りたいことばを刻んだ。

そして今を司るまんなかに、永遠の祈りをくっつけ、そうしてできた新しいかたちに「sakihai=幸ひ」という名前をつけた。

向き合った人にしか届かない、ささやかな光。
でも、たとえ私がそこにいてもいなくても、そのさきに無限の可能性を秘めた、強くて美しい光。

それは私にとって、今まで作り出したものの中でいちばんキラキラしていたから、私はとても、嬉しくなった。

この小さな光が、よその世界にも届くといいな、と思ったら、また新しい希望が生まれた。


人間の肉体は、他の誰も何も介在できない自分の世界と外側との世界とをつなぐためのツールになるために存在している。

だから、私たちはみんな肉体を持っている限り、その形の内側にあるものをできるだけ知りつくしてフル活用しながら、外側に存在する無数の世界に触れるチャンスを得ることができる。

それがどれだけ素晴らしくて嬉しいことなのか。
そのことを、私たちひとりひとりがもっともっと実感するために、これからの世界は真っ暗闇になる。


大きなパラダイムシフトは、まだまだ続くから、私が今たどりついた場所もただの折り返し地点に過ぎないのかもしれないけれど、いちばん大きなうねりの中にいた一年が終わろうとする今、私は自分なりに見つけた答えに心から賛同し、感謝し、満足している。


あとどれだけこの肉体で生きられるのかもわからないにせよ、私は真っ暗闇の中でかくれんぼをしている神さまたちを描いたり、自分の心を音にしたり、交わる魂のしあわせへの祈りをジュエリーにしたりしながら、やっと見つけた穏やかで静かな自分だけの世界とよその世界を交錯させることを、できるだけ楽しんでいきたい。

そして、よその世界が私と交わるとき、そこに残るものはいつも、大なり小なりの愛に溢れた「しあわせ」で在りたい。


そういうふうに、生きていきたい。


まとまらないな。
まぁ、いいか。

終わりよければ、すべて良し。




sakihai

ミエヌヤミ アキラケキモノユエ
見えない闇は まぶしいものだから

キエヌヤミ イトケナルユエ
消えない闇は 大切なものだから


サキミタマ ナレバ テハナスマイ
結ばれる魂なら 互いに手を離すまい

クシミタマ サレバ ワスレマイ
もう会えない魂なら きっと忘れない


ソノ ◎ ウツクシミタマヘ
その痛み 悲しみ 喜びのすべてを どうか慈しんでください

コノ ◎ ウツクシミタマフ
この痛み 悲しみ 喜びのすべてを 私も慈しむから


ミココロガユメ カナイサキハヒマツレ
あなたの心の願いが 叶い幸いますように

ウツシヨニナシ カナイサキハヒマツレ
あなたの世界で現実となり 叶い幸いますように


ミホギタマフ
私は祈ります

アメツチカミマシテ
天地あらゆる神たちに

タイラケク ヤスラケクアレリ
あなたのいる世界がいつも平和で 愛に満ちたものであるように












2015年12月8日火曜日

20151208

また性懲りもなく体調を崩して、この数日は昼夜のべつなく眠りこけていたのが、少し良くなったら今度は目が冴えて、久しぶりに考えを言葉にまとめた長い文章を夜通し書いているうちに、気づいたら朝の7時を回っていた。

少し外に出てみようか、とコートを着、その上から最近お気に入りの、友だちがくれたネイティブ柄の大きなショールを羽織って、郵便物を手に外を出た。

思いのほか、空気が冷たい。


すぐそばのコンビニにポストインするか、それとも坂をくだったところにある郵便局まで歩いてみるか少し迷って、坂をくだってみることにした。

朝の人たちはなぜかみんな、私とは反対方向に歩いている。

学生もサラリーマンも、お米をトラックから運び出す人たちも警察官もウォーキングをする主婦までも、そろいもそろって私とすれ違う。

まるで、私だけがいつのまにか、世の中の大半の人たちにとってあたりまえみたいな営みからずいぶん離れてしまっているみたい。

少し心もとなくなって、冷たくなった耳に手をおしあてて曇った空を見上げたら、尾っぽの長い黄色い鳥のつがいが、ビルの壁のダクトから中に入っていくのが見えた。


自分の在り方について、私はなんにも思わない。
淋しいわけでも誇らしいわけでもなく、いろんな取捨選択や思考や感覚ののちに、なんとなくたどりついた、今の生き方。

心地は悪くない。
でもいつからか、自分と世界とを透明な膜がいつも確かに隔てているのを、感じている。


ピュウッと冷たい風が吹いたから、ネイティブ柄の大きなショールでしっかり身体を包みながら、坂道をゆっくりと、今度は上がる。

ネイティブ柄のショールは、もともと友だちのお気に入りだった。
誰かの持ち物を欲しいと思うことなんてめったにないのに、今日は寒いから、と彼女が貸してくれたそのショールを巻いた瞬間に、あぁ、これが私のだったらよかったのに、と強く思った。
そして彼女は、それを察して、私にお気に入りのショールをくれた。
キヨノちゃんの真似をしてみたよ、と笑いながら。


私がそれを欲しがったのは、そのネイティブ柄のせいだった。
そのネイティブ柄は、同じ柄の毛布にくるまって一緒に眠った人のことを、否応なしに思い出させた。
その人の存在は私にとって、私の生き方と同じくらい、なんにも思わないもの。
それはつまり私にとって、よくもわるくも結果的にいちばんしっくりくるもの、だ。

もともとわずかしかないその人との記憶はもう過去にしかなくても、その人が私を抱きしめたほんの数時間に覚えたあのしっくりくる感じの安心感を、私はきっと今もなお、現在進行形で大切にしたがっている。


ネイティブ柄の大きなショールを羽のように広げて自分の身体をくるんだとき、私はとても鮮明に、彼の腕の中で見つけた、いつかの自分がずっと求めていて、そしてやっと出会うことのできた膜のないあの安心感を、蘇らせることができた。

あのとき私は、せつないでも嬉しいでもなく、ただ、安心していた。
だからどうしても、あのショールが欲しかったんだ。

そして今、ネイティブ柄の大きなショールはしっかりと私の身体を包みこんで、世の中の人たちとさかさまみたいに歩いている私にそっと、寄り添っている。
その、心強さ。

これがあればじゅうぶんだ、と強がって、私はいさましく、家までの坂を上がっていく。


今朝は、ずいぶんと寒い。
朝の人たちの一日は、もうすっかり始まっている。

みんなの一日が、それぞれにとって、それなりに良いものでありますように。


小さく願って、私はたぶんもうじきまた、昼夜のべつなく深い眠りにつくんだろう。








20151207

意地悪や、ひりひりのない世界にいたい。
そんなのはきれいごとだ、なんていう人は、私の世界には要らない。

もっともっと、みんながみんなに優しくあればいいのに、と思う。


怒り、という感情は、とても厄介だ。
理由は明確なのに、コントロールするのがとにかく難しい。


怒りの感情が生まれる理由はたったひとつ。
人(あるいは出来事)の実態が、自分の価値観ではどうにも受け容れられないものだから。それに尽きる。

そこに、日々少しずつふくらんでいた小さなストレスや、身体のバイオリズムや、ちょっとした気分、そういったもののタイミングが最悪の位置で合ってしまうと、怒りの感情は爆発し、手がつけられないくらい厄介なものになる。


少し前に、久しぶりにそういう手のつけられない怒りの感情を覚えたことがある。
今借りている家と向かいのマンションの間に、新しい 塀が作られたときのことだ。


私は実のところ、この三年ほど住んでいる今の家が、ちっとも好きではない。

この家は、ボロい。
人さまのものだから貶すのは失礼だけれど、この家は風情のある類の古屋ではなく、近所の心ない住人からは、みすぼらしい、と蔑まれている。

入居するときに、当時の貯金をありったけつぎこんで、2Fに新しく床を張ったり、台所のシンクは新しくしたり、壁を塗り直したり、できるだけのことはしたけれど、家は日々少しずつ傾き、大風が吹けば外壁に穴が開き、大雨が降ればそこらじゅうで水が漏れ、天井裏にはさまざまな動物が生息しており、窓はひとつとして隙間なく閉まらない。

特に1Fにある私の部屋は湿気がひどくて、納戸スペースにしまってあるものは洋服もバッグも作品までも、すべてカビの餌食になってしまう。

何もかもがきちんと整理整頓されていれば被害は多少少ないのかもしれないけど、もともと1DKでひとり暮らしをしていたときに厳選したいずれまた使う生活用品、サロンにあった備品、さらには増える一方の作品や材料など、捨てられないものでさらにゴチャゴチャしている上に、私の片付け方も中途半端だから、3年経ってもまだ一度も、この部屋で完璧な居心地の良さを感じたことは、ない。


どうしてそんな家に住むことにしたのかといえば、そこにはもちろんいろんな事情があって、立地や広さや家賃を考えればやっぱりこの家に住むより良い選択肢はあのときにはなかった、という側面も多分にあるし、いろんな利便性を考えればいいところもある。

でもやっぱり、私はこの家が嫌い。
そして、この「嫌い」という前提が、ささいな出来事を大きな怒りにつなげるきっかけとなってしまった。


数ヶ月前、近隣の住宅の建て替えが重なったときに、もともと地盤が緩い土地だったからか、家の周りを覆っていた古い石垣の一部が崩れ落ちた。

しばらくそのままだったのが、先だってついに、小さな庭を隔てて私の部屋の向かいに建っている低層マンションとの境目の塀が作り直されることになったのだけれど、ある朝、トンテンカンテンと、石塀を作るのとはおよそかけ離れた音をさせて工事が終わると、目の前に現れたのは驚愕の風景だった。

私はこれまで、塀というものは「ふたつのものを隔てて隠す」ために存在していると思っていた。

それが、塗装すらされていない細い丸太に、半透明のポリカーボネート波板が貼られただけのものが、新しい「塀」として家の敷地の境目いっぱいにできあがっている。
完全に昭和初期の懐かしさを感じさせる仕上がりは、一見すれば爽やかにも見えなくない。
でもそれは、私にとってあまりにも都合の悪い代物だった。


私の部屋から庭に面したところは一面がガラス戸になっていて、庭に向く方向に、大きな作業机を置いている。
居心地の悪い部屋で創作をするためにはせめて、庭の緑と空だけを見ていたいからだった。

それが今では庭の向こうに、これまで隠れていた向かいのマンションの敷地がよく見える。
景観が悪くなった以上に問題だったのは、向かい側からも私の部屋の中が丸見えになってしまったことだった。

まず、大家さんに若干腹が立った。
いくらあと数年で取り壊すからと言って、こんなにしょぼい塀を作るとは思いもしなかったし、しかも、ポリカ板を選ぶにしてもわざわざ半透明にしなくても透けない色を選ぶくらいの配慮があってもよかったんじゃないだろうか。
ひょっとして、地味な嫌がらせだろうか。そういうタイプの人ではないはずだけど。

とりあえず現状を把握して落ち着こう、と外に出た。
色だけの問題なら、たとえば上から色を塗っちゃうとか、一面に絵を描いた板を貼るとか、そういうふうにすればかえっておもしろくなるかも、なんていうことをなるべく楽観的に考えながら、塀に近づいた。

そこで私は、ある重大なことに気づいた。

塀は、私の身長よりも低かった。
つまり、ポリカの部分をいくら隠そうとも、大人の身長ならどのみち目線の先は丸見えなのだった。


私は、激昂した。


工事に先立って、大家さんからは塀に対するリクエストを聞かれていた。
まさかこんな素材を塀に使われるなんて考えもしなかったから、素材については何も言わなかったけれど、高さのことだけは、絶対に低くしないでください、と再三再四お願いしていた。

なのに、この始末。
これはいったい、どういうことだ。


自分の怒りのエネルギーの凄まじさがどれほどのものかわかっているから、普段は少しイラっとすることはあっても、本気で怒ることはほとんどないけれど、この時ばかりは自分を抑えられなかった。


すべて自分の都合だということはわかっていた。

事実はただ、これまでは人にのぞかれる心配のなかった自分の部屋が、これからは誰かに見られる可能性がある、という、つまらないこと。

それによって、空が見えないと息がつまってしまうから、と年がら年中開けっ放しにしているカーテンを閉めておかなければならなくなるのが嫌だ、とか、ナギちゃんを始めとする私の大切な植物たちにお日さまの光をちゃんとあげられなくなってしまう、とか、ただでさえみすぼらしくてみっともない家がこの貧相な塀のせいでますますみすぼらしくてみっともなくなって惨めな気持ちになる、とか、そんなくだらないこと。

だけどその日の私は、そのくだらないことを、くだらない、の一言で笑い飛ばすことが、どうしてもできなかった。

そのとき、私は展示が終わってすぐから数日間もひどく体調が悪くて寝込んでおり、ただでさえゴチャゴチャしている自分の部屋は、展示前の慌ただしさでしっちゃかめっちゃかに散らかっていた。

加えて、すっかり慣れたつもりになっていたけど、薄い板一枚隔てた部屋の天井では四六時中、ネズミやネコやハクビシンだと推測される何かしらの動物が走り回っていて、眠っていても耳をそばだててしまうほど気を張っているのが実はいつだって嫌で仕方なかったことや、遊びに行った友だちの家が新築だったり、古くても居心地がよかったりするのを見るたびに、自分の生活している空間に対する違和感がいっそう強まっていることをとりあえず今はどうしようもないし、とあきらめ半分でごまかしているのもまた嫌で仕方なかったことにまで、気づいてしまった。

そういった小さなモヤモヤのひとつひとつが怒りの感情に輪をかけて、それがこの塀の誕生というタイミングに重なったことで、一気に爆発してしまったのだった。

大家さんとの、話し合って事情は理解したもののもうどうすることもできず、ただ互いに気分が悪くなるだけの電話を切ったあと、私は数年に一度あるかないかの本気の呪詛の言葉を吐き、その醜くて強い言霊のエネルギーで咳が止まらなくなり、苦しみながら涙目で身支度を整え、熱があるにもかかわらず、とりあえず今すぐ窓の目隠しシートを買いにいかなくちゃ、と私のパワースポット・東急ハンズに出かけようとした。

すると、おそらく般若のような形相だった私を見かねて、今日は具合も悪いんだから、とりあえずこれで目隠ししたら?と妹がインドで買ったサリーを一枚貸してくれた。

発色のいいグリーンとピンクのそのサリーは、妹が買ってきたときに、かわいいなぁ、いいなぁ、と思った一枚だった。

実際、とても出かけられるような体調ではなかったし、冷静に対処されるとわりとすぐ冷静になるもので、私はしぶしぶサリーを受け取って自分の部屋へ戻り、空が見えるように天窓の30cmほどだけ隙間を空けて、あとをぜんぶサリーで覆ってみた。

すると、内側からも外側からもぼんやりと互いの風景が透けるだけで、目線はまったく気にならなくなった。
白い絞りが点々と入った庭の緑と同じグリーン色には重さもなく、明るいピンクは夜でも部屋を明るくした。
むしろ、今までは作業に集中していても無意識のうちに気になっていた、向かいのマンションの時々点灯する縦長の窓が見えなくなって、以前よりも居心地の良さを感じるほど。

ナギちゃんたちは、直射日光が少しでも当たるように、日中はサリーの向こう側に置いておくことにした。


数時間経って怒りの感情が少しずつおさまってくると、今度は、大家さんにちょっと悪いことをしちゃったな、という反省の念が湧いてきた。

基本的には、あの人はいい人なのだ。
いばったところもないし、クリエイターっぽい雑さやいい加減さも共感できるし、以前のブログを読んで私の生き方をおもしろがってくれるような気さくさもあるし、飲んべえでよく記憶が飛んじゃうことがあっても、母が頼めば庭の木を切りに来てくれるような、根の優しい、いい人なのだ。

今回ばかりは少しだけ、価値観が違っただけ。
彼の家の台所事情はわからないけど、あと数年で取り壊すことが確定している家のためにお金を出して塀を作らなくちゃならないんだから、コストを最優先するのは当たり前だし、大丈夫だ、とうまく言いくるめてこの素材や仕様を選ばせた業者さんを信用した大家さんは、ちょっと見る目がなかったかもしれないけど、別に何も悪くない。


反省ができるくらいに感情が鎮まってくると、今度は頭が思考の整理を始める。
この出来事があったことで私はかえって、自分が今の環境に対して抱えていたストレスを認識し、「こうしたい」と思うヴィジョンが明確になった。
今度また家を選ぶときには、こんなことに気をつけて、こんな空間を作ろう。

そういう整理が終わる頃には、怒りはどこかに消え失せ、このサリーの感じが気に入ったから、目隠しシートなんてもう買わなくてもいいや、なんていうことになる。

それなのに、相手に明らかな悪意があったならともかく、私が私の怒りをコントロールできなかったばかりに、大家さんは私がフルパワーで吐いた呪詛のエネルギーをたぶん真っ向から受け取ったわけで、ひょっとしたらその日一日、あるいはもうちょっとの間、具合が悪くなったり、ちょっと不運が続いたりしたかもしれない。
とんだとばっちりだ。


********

怒りに身をまかせるということは、自分のもっともおそろしくて汚い部分をまきちらす害悪に他ならず、そこから生み出されるものは自分も周りもすり減らすだけで、いいことなんて何もない。


どんな理由であれ、怒りを覚えるのはすべて自分のせいで、他の誰の、何のせいにもしちゃいけないものだけれど、怒りの原因を辿っていくことは自分が根底に抱えているコンプレックスや問題、あるいは痛みや悲しみといった深い感情に向き合うことにもつながるから、たいていの場合は自己防衛のために、誰かや何かのせいにして、やり過ごしてしまおうとする。

一時的にはその方が楽だし、怒りのループから完全に抜け出せるまで自分の根底を見つめる作業は自分の中にある膿を出し切るまで終わらないから、相当の痛みも伴うし、気分も悪い。

よっぽど時間と心に余裕があって、かつ自分から一切の興味を失う心構えと準備ができていなければ、最後までやりきることは到底かなわない。


だから、私たちのほとんどは、たいていすぐに怒りの感情にのみこまれてしまう。
自分の怒りはもちろん、他人の怒りにも敏感に反応して、イライラしたり悲しくなったり、がっかりしたりする。

そして、その感情をもたらした(と勘違いしがちな)外的な原因に対して、嫌いになったり失望したりしては、また外側のせいにして、何度でも同じループの中で苦しむことになる。


大なり小なり怒りにのみこまれると、人は簡単に、優しさを失う。
そして簡単に、他人を傷つける。

それだけじゃない。
優しさを失うことは、自分の余裕のなさや了見の狭さを露呈し、表情を醜く変え、思考をどこまでも凶暴にする。
そして、ふだんの優しさまで、本当は嘘だったのかもしれない、という失望と不信感を、相手にも自分にも抱かせる。


怒りの感情をもつことは本当に、いいことなしだ、とつくづく思う。


でも、たとえ側からみたらどんなにくだらないことで怒っているように見えても、すべての怒りの向こう側には必ず、なんらかの悲しみがある。

そして、悲しみの裏側には、その人にとって大切にしたい、なんらかの愛がある。


世界を見渡すと、その愛を傷つけられた悲しみから生まれた怒りがたくさんたくさん溢れていて、それがまた新たな悲しみと怒りを生み出すような出来事が毎日のように繰り返されている。
それらはたぶんこれからの数年間、もっともっと、増えていくことになるだろう。

これが唯一の答えではないけれど、怒りのループがスピードや規模を増しているのにはちゃんと理由がある。

あまりにも多くの怒りや悲しみがさまざまな距離感で自分の日常に溢れてくるたびに、人はどんどん冷静になる。

感情が麻痺しているのではないか、自分は冷淡なのではないか、と思えるくらいに、いろんな出来事や人の感情に対して、それから自分の感情に対しても、客観的な目をもつようになっていることに、多くの人が気づき始める。

それは、その怒りや悲しみの向こう側にあるそれぞれの愛のかたちを、ゆがめることなくそのままの形で直視するための近道でも、ある。


それぞれの愛のかたち、そして怒りや悲しみのかたちには、正しいも間違っているもない。
善悪もない。

たとえそれが自分の価値観では理解できないものであったとしても、人それぞれの価値観は、誰にも否定も干渉もできない。簡単に変えることも、できない。

たったひとつできることがあるとすれば、お互いにただ、そう在ることを認める、それだけ。


どんなきっかけであれ、そのことに気づいて、それを完全に自分の中で昇華するまで、その人の世界にはさまざまな形で怒りの感情が溢れ続けるだろう。


だからこそ、自分の中に生まれる可能性のある怒りの火種がまだ小さいうちに、私はそれをちゃんとコントロールできる人でありたい、と願う。

他人の怒りに対しては、私は怯えるか軽蔑するばかりで、なんの策も講じない。

そういう小さな人間だからせめて、自分だけの都合で怒りの感情を抱いてしまうような狭量さくらいは、さっさと手放してしまいたい。


一年に1〜2回、だいたいどうでもいいきっかけでやってくる激昂の気まずさも、この何日かずっと残っている苦味も、しばらくすればどうせ忘れてしまうのだから、残しておかなければその方がたぶん表面的にはハッピーでいられるのだけれど、自戒の念もこめて、めずらしく長い時間をかけて考えたことの答えを、残しておこうと思う。













2015年12月3日木曜日

20151202

公開前から楽しみにしていた映画『FOUJITA』を、やっと観た。

寝てる人はいっぱいいたけど、私にはとても、おもしろかった。

何が、と問われたら、うまく答えられない。
でも、好き。

美しいものが、たくさんたくさんつまっていた。

映像も、人たちも、言葉も、音楽も、衣装の柄も、そして何より映画の中のフジタの人生そのものが、とてもとても美しかった。

常に美しく、バカバカしくあろうとする人の生き方の、美しさ。

実際のフジタもきっととてつもなく魅力的だったのだろうけれど、オダギリジョーさんのフジタみたいな人が存在したら、あんまりにも素敵すぎて、わたしがあの時代のフランスの女の人だったら気絶するかもしれない。


そのあと、雨の中、閉じこめられたみたいな静かなお店で、大好きな友だちと月一恒例ご飯を食べた。

彼女は、HIMIKAの新作でもあるSakihaiを作る決心をさせてくれた人であり、オーダー第一号の人でもある。

やっと渡せたSakihaiのネックレスと、お誕生日プレゼントに作ったハーキマーダイヤモンドのピアスが、あんまり嬉しくてご飯が喉を通らないよって笑う彼女の耳元と首元でキラキラしてて、とっても美しかった。


そして彼女は私に、沖縄で選んできた琉球グラスをプレゼントしてくれた。

見つけた瞬間、ピッタリだ!と思ったんだよ、という水の粒を閉じこめたグラスは、まるで透明の星空みたいで、藍色の布の上においてみたら、すっかり宇宙になって、夢のように美しかった。



今日はとても、美しいばかりの一日で、わたしはとても、しあわせだった。



2015年11月28日土曜日

20151127

バスの中でふと、いつか願っていたことが叶ったときっていうのはたいてい、小さいことでも大きなことでも、それを願っていたこと自体すっかり忘れてしまっているもんだなぁ、と思った。

そんなことを考えられたのは、私の小さな願いがまたひとつ叶っていた何よりの証だったから、それに気づけた今日はいい日だな、と思った。


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渋谷から表参道に向かう道すがら知り合いにバッタリ会った。

いつもは時間ならどうにでもなるのに今日に限って分刻みに急いでいて、相手もたぶんびっくりしているうちに20秒くらいで立ち去らなくちゃいけなかった。 

電車に乗った後で、そういえばあの人に会うのはたぶん数年ぶりになるんなんだろうな、とか、元気かどうかくらい訊けばよかったな、とか、鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔より笑った顔が見たかったけどそういう自分は笑ってたかな、とか、びっくりした、よりも、嬉しい、ってとっさに言えたらよかったな、なんてことや、今朝起きてからのお互いの行動がどこかで5秒ずれていたら会えなかったくらいの確率の奇跡についてあれこれ考えて、たとえ一瞬でも、そのあとあれこれ考えたくなるような人と再会できた今日は、いい日だな、と思った。


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それから母と合流して出かけた浅草で、とてもささやかな、でも遠いいつかにふと思い出せたらきっとコロコロとしあわせの粒が零れ落ちてくるような時間を過ごした。 

大切な記憶の話をたくさんしながら毎年恒例のお礼参りをしたあと見上げた空は青くて、雲がぽっかり、強い風が吹いている今日は、ずいぶんいい日だな、と思った。 


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人生は初めから終わりまでジェットコースターみたいで、その高低差はどういうわけか、年を重ねるごとにどんどん大きくなる。 

ときどき、こんなに暗く深く沈んでしまったらもうここから上がることなんて二度とできないんじゃないかって思ったりもするけど、どんな暗闇も時が経てばいずれ明けるように、振り返らずにその先を見上げていればきっといつか、いつのまにか空に昇っていたことに気づく日が来るんだろう。 



シャスタの旅を終えてからは毎日ずっといい日だけれど、なかなか出てこなくなった言葉が出てきた今日は、とってもとってもいい日だった。












2015年11月3日火曜日

20151103

本日のアトリエは、近所の地区会館の誰でも使える大きな和室。 

展示スペースの壁隠し用に買った大きな布、無地じゃ味気ないからササッとお絵描き。 

数日前に描いたもう一枚には、ニョロニョロみたいなのが現れた。 

描こうとしてた色のイメージと出来上がる色のイメージはなぜかいつもかけ離れてしまうけど、これはこれで。 


ダルマの目を入れる時のような心持ちでお顔を描いたら、秋晴れの、夕焼けの陽が射しこんだ。


2015年10月31日土曜日

20151031

今まで使っていたアクセサリーポーチの在庫がなくなるのを機に、何かもっと可愛くてその後も無駄にならないようなパッケージはないか、とこの2ヶ月くらいずーっと考えていたけど、未だ妙案は出てこず。

ハンカチサイズの手拭いで包む案が最有力だったけど、数パターン作ってみた手拭いのデザインがどうもしっくり来なくて、今回は見送ることに。

それでも何か作りたい。

そこで試しに用意してみたのが、HIMIKAの桐箱を特注している桐箱屋さんで見つけた豆箱。

レーザーカッターで掘ったみんな同じお顔の小さな神さまに、ひとつひとつ違う色をつけてゆくと、表情が変わって個性が出てくる。

 箱の中には藍染の生地をペロリと敷き、仕上げの文字は、渡す人に合わせて浮かんだ言葉を書いていく予定。

 完全な自己満足のわりにはわりと手間がかかるし、かといってこれに値段をつけるのもむつかしいから、これは一定額以上のオーダーかつ希望者のみの非売品になる模様。


それでも、できあがっていく小さな神さまたちは、なんとなくウキウキしながら、みんなでこっちを見ています。



2015年10月30日金曜日

20151029






石を結ぶワイヤーはランダムに見えるけど、実はぜんぶ、水引のあわじ結びを応用したもの。

結んだしあわせがほどけないように。
そんな祈りから生まれたこの結び方が、とても好き。

ジュエリーの職人さんや同じようにワイヤーと石を組み合わせてアクセサリーを作っている人と話すと、石を結ぶワイヤーにまで10金や18金を使うなんて(コスト的に)あり得ない!とよく驚かれるけど、石たちのエネルギーとのバランスや美しさを重視すれば、たとえ高くてもちゃんとした金を使うとやっぱり、メッキや14KGFとは仕上がりがまったく違う。

たとえお財布には優しくなくても、良い素材で作られたものは着けたり見たりするたび何度でも新鮮な喜びをくれる。

私にはそっちの方が大事だもん、と、絶望的に原価計算のできない自分の計算力のなさをごまかしている面もなきにしもあらずだけれど、なんとかギリギリでもお仕事が成りたっているのだから、やっぱりとても、恵まれているのだと思う。

もう何百と結んだあわじ結びの喜びやしあわせをいちばんもらっているのは、ひょっとすると私なのかもしれない。









2015年10月18日日曜日

20151017

Even if I’ll forget everything in my past soon, memories of our dear days will forever be together in my soul like a nutrition for plants.

昨日、前の会社でお世話になっていた先輩と久しぶりに会った。

一緒に仕事をしていた頃よりももっと親しみを感じたのは、お互い前よりずっと大人になって、強さも優しさもやわらかさもあきらめもたくさん知ったからかもしれない。

あの頃、誰とどんな時間を過ごして、どんな気持ちでいたのか。

もうあらかた忘れてしまっていてもなお思い出そうと試みる時、印象にはとても愛おしくて何か大切なものがギュッとつまっているから、たぶんきっと、仕事をしていたっていうだけじゃないかけがえのない瞬間のかたまりが、そこにはたくさんあったんだろう。


思い出は深く沈みこんで取り出すことが難しくなっても、私の細胞のどこかに、記憶はちゃんと息づいている。

心に浮かんだあの日々にメロディをつけたら、こんな曲が生まれてきた。
会いたいって思い出すことすらできないけど、せめて、ありがとうの代わりに。












2015年10月5日月曜日

20151004

初のポートランド&シャスタひとり旅。 

今回は10日足らずの短い旅だけど、身体に不安を抱えての移動の長い旅程だから、とにかく無理をしないことを第一に考えて、欲張らずにできるだけミニマムな旅をしている。



初日は午前中にポートランドに着いたおかげで、移動の前にPortland Art Museumに寄れた。 


広いスペースになんでもかんでもつめこんだアート空間。

海外のミュージアムはどこもたいてい自由に写真が撮れるし、とても近くで作品を眺められるものも多くて、嬉しい。


街を見だしてしまったらキリがなくなりそうだったから、具合のわるくならないご飯が確実に食べられるWhole foodsで栄養とカフェインを補給して、また車に乗り込む。

ポートランドからシャスタまでは約600km。 

ひとりで一気に行くのはつらいから、初日は半分くらいのところで一泊して、2日目のお昼前にようやくシャスタに到着。 

まず向かったのは、お山。
去年は時期の都合で途中のバニーフラットまでしか行けなかったから、パンサーメドウズやその先の源泉のある場所に行くのは、3年ぶり。 

自分の中ではいろいろ思うところもあって、行く前は果たしてどんな気持ちでお山に入るのかなぁと少し緊張すらしていたのだけれど、途中でヒッチハイクのおじさんを拾って(彼はサンタクルーズからシャスタに移住してきたミュージシャンだった)なんだかんだとしゃべっていたら、なんの感慨もなく源泉のさらに奥までたどり着いてしまった。 

でも、おじさんがどこぞに消えてから、寝っ転がるのにちょうどいい大きな石の上で横向きになってシャスタのお山と真っ青な空を見ているうちに、お山のエネルギーが以前とはすっかり変わっていることに気づいた。 

たくさんの人が場を荒らしたとか、泉のお水がほとんど枯れてしまったとかいうこととは関係がなく、シャスタ山はその役割をもうじき終えようとしている。 

他に誰もいなかったから、お山に聴いて欲しかった曲をかけた。 forumiで作った最後の曲、『towa』。 

レクイエムとして作ったこの曲を聴きながらふと、そうか、私もシャスタももうほとんど死にかけてるんだなぁ、としんみりした。 

身体だけじゃなく、魂に終わりが来るとき、そこにはいったい何が待っているんだろう。 

ともあれ、またここに来られて私はしあわせだね、とお山に話しかけたら、強い風が吹いて、山の上に積もっていた雪が蒸発しながらハート型の雲を作って、空に消えた。

←写真は雲ができあがり始めた頃


その日の午後と翌日は、石を選ぶのに集中。 

シャスタには馴染みの石屋さんが3つあって、それぞれ個性の違う石が置いてあるから、用途別に選んでいく。 

去年買った石で作ったジュエリーの写真や実物もいくつか見せたら、どのお店の人もみんなとっても喜んでくれて、すごく嬉しかった。 

今回はスコットのお店だけじゃなくどこのお店でも、入ったばかりの石やなかなか手に入らないという希少な石をたくさん見せてもらえたり、ちょっとしたおまけをもらったり、ずいぶん良くして頂いた。 

いちばん嬉しかったのは、あるお店で完全に自分好みのキラキラで美しい石ばかりを選んでレジに並べた時、お店中の人たちが集まってきて口々に褒めたり感嘆したりしてくれたこと。 

いつもよくしてくれるおばちゃんの店員さんが「彼女は最高の目を持ってるのよ!」とまるで自分の身内みたいに誇らしげに言って、みんながドッと笑う。 

その笑顔は日本で展示会をやった時に来てくれた人たちとおんなじで、やっぱり、きれいなものをきれいだと感じる心の在り方は世界共通なんだな、とすごくしあわせな気持ちになった。


記憶障害のせいで、旅はいろんな不便がつきまとう。
紙とペンとiPhoneは欠かせないし、前に行った場所へ行きたくても、思い出せないからたどり着けない。

仕入れでも、石の名前が覚えられなかったり、袋別に石を分けたはいいものの、きれいなお水のあるところで浄化する時に一度袋から出したらどれがどれに入っていたか覚えておけないからひとつずつしかお水に浸しておくことができなくてすごく時間がかかったりする。 

でも、不自由がある分ひとつひとつに丁寧さが加わるし、作業の間にゆっくりと考える時間を持つこともできた。

今回の旅はひとりだけど、泊まったところも含めて行く先々でいろんな人に出会って、少しずつだけど、いろんな会話をした。 

どういうわけか、アーティストやクリエイティブな仕事をしている人が多かったのも不思議だったけど、知らない人と15分だけ友達になって一緒にひなたぼっこをしたり、月食の赤い月の写真を見せてもらったり、お互いの作品について話をしたり、ぶどうを食べたり、他にもすでに忘れちゃったけどそういう大事な一期一会がたくさんあった。

さっき、さいごにまたお山に行って、パンサーメドウズのお気に入りの大きな石に寄っかかって、自分とまるでそっくりな石たちとおんなじものになって静かに考えていたら、答えではないけれど、この3年間に起きたいろんなことの決着みたいなものが、ようやくついた気がした。

「覚えておく」という機能が失われると同時に、私の中から言葉や何かを表現したいという衝動や、その根本にあるはずの「何か」が消えた。 

そこで初めて、私は自分の創作がいかに記憶に頼っていたか、そして、憧れていた言葉での表現に対していかに才能がなかったかを痛感した。 

ただでさえ、いろんな不自由や、誰かとの関係を作る上でのハードルになり得る記憶の障害にショックを受けていたのに、音楽やアートのみならず、いちばん大切にしてきた言葉の表現まで才能がないことに気づかされるなんて、いったい何の罰だろう、と悲しくなることも多かった。

でも、これは罰でもなんでもなく、私がこれからの時間を本当にしあわせに過ごしていくためにちょうどいいきっかけなのだと今は思う。

自分のすることが誰かの喜びとつながっていたい。

これはずっと変わらずに願ってきたけれど、これまでずっとこの「自分のすること」はどこか犠牲的で無理があった(と感じてしまっていた)。 

でも、それはもう過去の話で、自分が好んでやっていることが誰かの小さな喜びにつながって、そのことがまた私の喜びになる、という循環の中に私はいつのまにかちゃんとたどり着いていたことに、やっと気づくことができた。 

自分の才能や可能性を信じてやみくもになっていた時には、針の先ほども細いところにひっかかるような結果が出せなければ何も叶わないと思っていたけれど、私がジュエリーを作ろうが絵を描こうが洗濯物をたたもうがあたたかいお茶を淹れようが誰かのために調べ物をしようが、私がやって当然と思うことややりたくてやったことによって、誰かが喜ぶ。 

そのことになんら代わりはなく、誰かが喜ぶと、どれも同じだけ、私も嬉しくなる。 

これまではただ、私が誰かの喜びに結びつく自分の行動の範囲を勝手に狭めていただけのことだった。

 夢や理想の中身が変わるたびに、これは逃げじゃないか、とか、努力が足りないからいけないんじゃないか、と何かや誰かと比べては自分で自分を苦しめてきたけど、これからはもっともっと、小さく楽に生きていける。


来年から先、私はある場所に移住を考えている。 

大きな海と空がいつもあって、素敵なアートスペースといい温泉に、ホームセンターも本屋さんもあって、車で近県の東急ハンズにも行けるその場所に移住することができたら、小さな宿屋さんの真似ごとのようなことをしながら、好きなものを作って、時々東京でたくさんの人に会いながら仕事をして。そういうふうに生きていきたい。 

たくさんの一期一会の心地良さや、何があっても変わらずにいてくれようとする絆の心強さの中で、やっとたどりつけたこと。 

それは、自分の身の丈に合った、本当に自分らしい生き方。

 3年前、お山に変な約束をしてしまったせいで去年のシャスタはちょっと後ろめたくてお山に入れなくてむしろホッとしたくらいだったから、今回はなんの約束もしなかった。 

その代わりに、この旅に出てきて200回目くらいの「ありがとう」を呟いて、去った。

旅はもう折り返し。
シャスタ最後の夜、楽しい夢を見られるといいな。









2015年8月27日木曜日

20150826

何度も思い出すのにやがて忘れてしまって、でもふとした時にまた思い出してハッと何もかもがリセットされる、そういう大切なことがある。


今朝、誰かが読経している夢を見た。
おそらく、子どものころ大好きだった、母方の菩提寺のおじいさん住職の声だったように思う。


目覚めて、打ち合わせでちょっと遠出をするために支度をしながらふと、高野山の宿坊でお世話になったひとりのお坊さんのことを思い出した。

そういえば、あの人がお経を読む声は結局聞けなかったな。
聞いてみたかったな。


そんなことを考えながら電車に揺られ、いつもと違うルートを選んだ途中駅での長い乗り換え時間を潰すためにフラリと本屋に立ち寄ったら、いちばん目立つところに、高野山のあるお寺のお坊さんたちの読経と声明のCDが付録になった本がズラッと並んでいた。

あら、これはもしや、と手に取るとやっぱり、それは私が泊まったお寺で、奥付に読経をしている僧侶のひとりとして、その人の名前がちゃっかり載っている。

久しぶりにちゃんと仕事をしよう、と思い立ったからすぐに願いを叶えてくれたのかな、わかりやすいな、となんだか可笑しいような気持ちでその本を買って、そそくさと打ち合わせに向かった。


帰宅してから、そのCDを聴いた。

初めは人それぞれの声のバイブレーションについて考察してみたり、他のことをしながら聞き流したりしていたのだけれど、般若理趣経が流れ始めて少しした頃に、それは突然やってきた。


そのお経はとても心地が良くて、作業する手をとめて思わず目を閉じたら、パアーッと明るい光が瞼の裏に射す。


そして、思い出した。


すべての喜びも悲しみも怒りも孤独も欲も祈りも、ありとあらゆるものがそれを常に照らす●によって起こり●に帰す、同じものであること。

(●、と伏字にしているのは、それに似た意味の言葉はあるけれど、厳密にそれと言い切れる言葉がないゆえ)

形あるものもないものも、過ぎたこともこれから起こることも、ありとあらゆるすべてが●から生まれて消えてを繰り返す中で、自分は●と同じものであり、他の人もみんな●と同じものであり、この世界のすべてはつながっていて常に相互作用しているから、自分の行動や感情や祈りのひとつひとつはのべつまくなく余すところなく世界に映され、世界や他の在りようはのべつまくなく余すところなく自分に映されること。


そして、この感覚を思い出すときは私が私の中にある●をもっとも■していると同時に、●が●の中にいる私をもっとも■しているときでもあること。


言葉にしてみるとまったくもって訳がわからないことになるけれど、私はさっきこのことを思い出して、目からうろこが落ちると同時に、ずいぶん長かったとんでもない閉塞感からやっとまともに呼吸のできる場所へワープしたみたいな気分になった。


ああ、よかった。
そうだ、この安心感。



明日の朝になったらまた忘れちゃうかもしれないけど、次はすぐに思い出せるように、「起きたらブログをもう一度読む」って付箋をつけて、今日は眠ることにしよう。


それから、またいつかあのお坊さんに逢うことがあったなら、いや実はこんなことがありましてねっておもしろおかしく話してお礼を言おう。














2015年8月26日水曜日

20150825

自分の中から言葉がほとんど出てこなくなったまま、もうじき夏が終わる。

今日はとても寒くて、これからまたあの寒くて寂しい季節がやってくるのかと思ったら、背筋がゾッとした。

夏はいい思い出の多い、好きな季節だったような気がしていたから、心も身体もとにかく休養することしかやれなかった今年の夏はたぶんこれまでの人生でいちばん地味で、つまらなかった。

たぶん、というのは、他の夏と比べたくても、もうちっとも思い出せない。
記憶は日々、失われていく。


私の中に残っている夏の思い出はみんな、もはや出来事じゃなく、ただの印象にすぎない。


それでもいつかの私は、夏の間にいくつかの、大切な瞬間を過ごしていた。


夏の終わりを名残惜しんだ衝動が、そのことを私に教えてくれた。
だからせめてそのことだけでも、来年の夏の私のために残しておいてやりたくて、こんな短い文章を書いている。














2015年7月31日金曜日

20150730

所用で数年ぶりに、3歳から20歳まで住んでいた街に足を運んだ。

埋立地の新興住宅地だった私の地元は、震災で液状化被害はあったもののそれほど大きく変わったところもないはずが、久しぶりに降り立ったその場所に感じたのは懐かしさよりも違和感だった。

もともと地元にはあまりいい思い出も愛着もなかった上に、現在はもう10代から20代前半の記憶はほとんど埋もれて、消えてしまっている。

それなのにどうしてこんなに強い違和感を感じるんだろう、とおぼろげな道のりを歩きながら考えていたら、夢のせいだということに気づいた。

一時期、地元の街の夢をよく見た。
その当時の知り合いなどが夢に出てくることはなく、私はたいていひとりで、そしていつも、家に帰れなくて迷子になっている。
地元の街の風景は、ところどころはハッキリしているけれど、どこかあやふやでグニャグニャしていて、知らない道がたくさん出てくる。
でも、夢の中に出てくる街はいつも同じだった。


いつのまにか、私にとっての地元の街は、リアルな街ではなく、夢に出てきたあの街に取って代わられていたらしい。


記憶はどんどん上書きされていく。
それが「真実」であろうとなかろうと、上書きされた新しい記憶が、自分にとっての「真実」になってしまう。


**********

用のついでに立ち寄った伯母夫婦の家で夜ごはんを食べて、21時すぎの電車に乗った。

地下鉄に乗り換えたら、残業帰りのサラリーマンだらけ。
ふだん、ほとんど電車に乗ることもなくなっているから、通勤の風景すら目新しい。

すごく疲れきっている人よりも、多少の不条理と充実感と共存しながら一生懸命に仕事をしている方が大多数だと思われる30代から50代くらいの人々の姿を観察していたら、また強い違和感を感じる。

なんだろう。

一生懸命に考えを巡らせて、あることに気づいた。

私は、彼らの身体のフォルムに、どうやら違和感があるのだった。

いわゆる「メタボ体型」のおなか。
その中には、いろんなものがつまっている。
それは彼らが日々、いろんなストレスや不条理を抱えながらもすごくすごくがんばっている証拠であると同時に、とてもだらしがなくて、物悲しい。

触り心地のちっとも想像できないその大きなおなかたちを眺めながら、私の周りにはああいう体型の人があんまりいないなぁ、私の大好きだったあの人の身体とはずいぶん違うなぁ、とふと思って、それからハッとした。

自分がそのとき思い浮かべた身体の主がいったい誰なのか、思い出せない。


いろんな記憶がなくなっていくのにはもうだいぶ慣れたけれど、けっこう前に少しだけショックだったことがひとつある。

それは、かつて好きだった人の中に、もう思い出せない人がいたこと。

少し前まで完全な恋愛体質だった私は、どうでもいいことはすぐに忘れても、好きになった人との思い出や記憶はわりと鮮明にいろんなことを覚えていたのだけれど、どうやら記憶がどんどん消えていると気づいてから少し経ったあるとき、自分を試すつもりで、これまで好きになった人を書き出して年表を作る、という馬鹿げた取り組みをしてみた。

その時の記憶で、幼稚園の年少さんからつい二年前まで私は毎年誰かしらに恋をしていたはずだから、年表はぜんぶ埋まってしかるべきなのに、あろうことか、いくつかの空欄ができてしまった。

そこで、答え合わせをするために過去の日記をさかのぼった。
それによって思い出せた人もいたけれど、日記を捨ててしまったことで、ひょっとすると二度と思い出せないかもしれない人もいた。

なんてこった。
これだけは忘れるわけがない、という自信があったのに。

ちょっと凹んだ私は、自分をなんとか納得させるべく、つきあったつきあわないを問わず、覚えている人と忘れてしまった人の何が違うのかをあれこれ考えてみた。
結果、ひとつの共通点にたどりつく。


たとえば恋人という名前がついていても、気持ちが薄らいだり離れたりした途端に、慣れ親しんでいたはずのにおいや触れた感触に違和感を感じることがあるけれど、それとは逆で、恋人でもなんでもなくても、お互いの間に強い愛情やつながりみたいなものが芽生えると、たとえはっきりした言葉や形ではなくても、その想いは触れた皮膚から身体や心に流れこんでくる。

私が覚えていたのは、そういう瞬間を共有したことのある人たちだけだった。

表面的にはもうずいぶん長いこと、うまくいく恋愛からはかけ離れたところにいるにもかかわらずあんまり卑屈にならずにいられたのはたぶん、身体のいろんな細胞に流れこんできたそういう刹那的な、だけどとてつもなく密度の濃いいつかの想いのかけらたちが、無意識のうちに私の精神を満たしてくれていたからなのかもしれない。

今や、尼寺からもはや核シェルターに入ったかというほど、気分的に世間から隔絶した生活を送っている私はひょっとしたらこの先誰ともそういう想いを共有して触れ合うことなく生きていく可能性も、なきにしもあらず。

そうなればそのうち、あの地元の街の風景と同じように、現実に覚えていた記憶の代わりに、夢やイメージの中のあやふやな記憶ですべてが上書きされてしまうんだろう。

さっき思い出した誰かの身体だって実はもう、特定の誰かじゃなくて、大好きだった人や夢の中でよく会う人たちのいろんなパーツが組み合わさってできた、どこにもいない、だけど私にとってはいちばん親しみのある身体なのかもしれない。


本当のところがどうあれ、心が穏やかでいられるなら私はそれでかまわないと考える一方で、今はまだ、思い出すと心がキュウっとなったり温かくなったり懐かしくなったりする誰かさんたちの優しい指先や手足や背中やメタボじゃなかったおなかや柔らかな声と一緒に過ごした愛おしい時間のかけらがこの身体の中に残っていることを、嬉しく思う。


私の大好きだった誰かさんたちも、今やひょっとするとあんなふうに大きなおなかを抱えて生きているのかな。

だとするならばせめて、そのおなかの中にあるものがストレスや欲よりも、喜びや楽しみで満たされていてほしいと願う。

そして、その想いのかけらが今でも私の身体を優しく包んでくれているように、彼らの細胞のどこかにも、私の想いのかけらが心地よい愛の形をして残っていてくれたらいいな、なんていうことも、願ってみたりする。


じきに、満月だ。










2015年7月16日木曜日

20150715

今日はたぶん日本のそこかしこで、東京ではことさら、とてつもない不条理に対する怒りや憎悪の念が渦巻いていたから、具合の悪くなった人やピリピリした人も多かったのではないかと思う。 

用事があって表参道に出たら、半ば引きずられるような感じで明治神宮に足が向いた。 

初めて、神社の本殿で強い逆風に吹かれながら、神さま、今日のこと、どう思います?とラフに尋ねたら、神さまはとてもおそろしい声で一言こう告げた。

 「腹に据えかねる」

 腹に据えかねるとは、心の中にある怒りを抑えきれなくなること。 

なるほど。
そういうことか。

最近、何人かの女友達と話していて、最近のどうも不条理な感じについて触れたとき、「あの人早く暗殺されればいいのにねぇ」なんていう台詞を一度ならず耳にした。 
普段はとても優しくて、人の悪口すらめったに言わないような子たちが、そんなことをさらりと言ってのける。 

たぶん今日本でいちばんたくさんの憎悪の念を受けているにも関わらずしっかり生きている「あの人」はひょっとするともうとっくに「人でないもの」になっているのかもしれないし、「人でないもの」にとって憎悪や怒りはいちばんの栄養だから、それがますます不条理を加速させてしまっているのかもしれない。 

私も「あの人」は嫌い。
「あの人」に関わらず、顔にノイズみたいな真っ黒がかかっている人たちはきれいじゃないから、みんな嫌い。

でも、今のこの世界には結末は同じだけれどまったく異なる方法を選んでいる人種がたくさんいるから、それはもう、来た星が違うから仕方がない、くらいの心もちでいるようにしている。


選挙に関心をもつようになってから、旅先で気づいたことがある。 

都市部ではたくさんの政党から候補者が乱立していても、地方はまったく違う。 
そもそも、選択肢がない。

だから、投票する政党も限られるし、嫌だったら投票しない選択をするしかない。 
これもまた、不条理。 

だけど、この不条理がそもそもどうしてまかり通るようになってしまったのかということを辿っていったら、それはつまるところ、戦後の日本に訪れた平和な時間やたくさんのモノたちをあたりまえのように享受していることになんの感情も抱かずにきた私たちの「無関心」と「感謝の欠落」に所以している。 

誰が、何が悪かったのか。

良い悪いじゃない。
ただ、そうなっていた。
少しずつ入り始めていたヒビにも、まだ大丈夫だ、割れてないし、しばらく割れそうにないし、と流して(流せて)きただけ。

でも、3.11の直後に「風の谷のナウシカ」を観て、私は背筋が凍った。

それまでも何十回も観たことがあるのに、そんなふうになったのは初めてだった。 

なぜか。
もしかしたら、こんな未来が近いうちに現実になるのかもしれない、と心底実感したからだった。

震災をきっかけに、意識が何かしら変わった人はたくさんいたと思う。 

だけど、変わらなかった人も大勢いる。

なぜか。
おそらくは、実感がなかったから。

実感やよほどの強い思想がなければ、人はなかなか変われない。

それは当たり前のことだし、誰も悪くない。

変わることも変わらないことも無関心でい続けることもあきらめることも人それぞれが自由に決めることだけど、良い悪いじゃなくひとつの事象としてこの不条理をとらえたとき、これから肝心になってくるのは「なぜこうなったか」ではなくて、「これをきっかけに自分の意識や心がどんなふうに反応しているか」をきちんと把握することなんじゃないかとふと考える。

神さまが「腹に据えかねる」と言ったのは、別に神さまが怒っているわけじゃなく、今、私たちがおなかの中に抱えている怒りや憎悪を消化できないまま放っておいたら、いずれガンのように私たち自身を蝕んでいくことを示唆している。

だから、自分たちでとりあえずなんとかしてみなよ、自分の中の感情を消化できるのは自分だけなんだからさ、と正論で突き放されている。 

じゃあどうするか。

こんな時、私の脳は結局、スピリチュアル論で答えを出す。

怒りや憎悪をつきつめていくと、必ず悲しみにたどりつく。

悲しみには必ず、大切なものや守りたいものに対する愛着がある。 

怒りや憎悪を共有してしまったら、それが議論上の正義であろうが悪であろうが、向かう先には何かしらの破滅が待っているけれど、突き詰めたところにある愛着を共有できれば、向かう先に待っているのは再生だ。


天変地異も含めて、今起こっているいろんな物事がこれまで軽んじてきたものや忘れてしまっていたことに対するしっぺ返しみたいなものだとすれば、これから大切にしたり愛着を持ったりしたものにはその先に必ず同じものが返ってくる。 

それが、10年先のことなのか100年先のことなのかはわからないけど、そのスピードさえ、たぶん自分たちで決められる。

正直なところ、自分の人生すらさして大事にできない私のような者はこの世界に対して怒りも憎悪もない分強い愛着を持つこともないから、ある意味ここに書いたことはすごい机上の空論でしかないのかもしれないけど、それでも今日こうして考えたことを共有したいと思ったこと自体が、私なりの愛着の表現なんだろうと思う。


今日は一日中ひどい頭痛に悩まされたし、明日の雨できっとまた少し具合が悪くなるかもしれないけど、それでも今日も明日も嫌なことと同じくらい、あるいはそれ以上の、いいことを見つけられる。

そういう楽観をせめて失わないことから、続けられたらいいな、と思う。











2015年7月15日水曜日

20150714

行き先の決まっている絵を描くのが心地よいのは、そこに必ず、明らかな「終わり」がひとつあるからだ。

ひとつ終わるたびに、ひとつ望みが叶ったような気持ちになる。
それは、終わることこそが、ずっと変わってくれない私の望みだからにほかならない。

いろんな想いをのみこんでのみこんでのみこんで、苦しくなるくらい溢れたらやっと、絵が一枚描ける。 

そのとき私から出てくるものがあるべき場所にそぐうものとなっているのか、あるいはあるべき場所にそぐうものを描くために私の心がいちいちその時々異なる衝動に突き動かされる羽目になっているのか。 

いずれにしても、納得のいく絵が描けるときは必ずといっていいほど、精神がギリギリまで追いこまれて、泣き腫らした重たい目で最初の色を選んで描き始めたときばかり。 

絵をオーダーされたときはいつも、ああそれならきっとこんなイメージがいいだろうな、と考えて、そんなイメージの絵を描こうとしてみるけれど、結局のところ一度だってイメージどおりに仕上がったことなんてない。 



この絵だって、最初に塗ったのは橙色だったはずなのに、仕上がったらもう、橙色はどこにもいない。

きれいに描いていたいくつかの円も、途中で暴れだした色に消されて、あとかたもない。 


時々、仕上がった絵をあらためて眺めて、これ本当に私が描いたのかな、と思うことがある。 

誰かに描かされている、なんて言えたらカッコいいけど、難破船が漂流してたどりついた先の島が案外居心地よかった、みたいなラッキー感、という方が、きっと近い。

私に絵を描く才能はない。
ちゃんとした技術もない。

でも、本当に正直な心がそこに在りたいと思う色だけを選ぶからたぶん、それらしいものとして生まれ出てきてくれるのだろう。

額まで作り終えたら、この絵は私の行きつけの整体師さんが念願を叶えてオープンに至った表参道のサロンに飾られる。

その人は私のいろんな痛みをいつも全力で癒してくれる。
疲れますよねぇ、ごめんなさい、と云うと必ず、ヒミさんに触れていると僕の方が癒されるから、むしろ相乗効果ですよ、と健やかに笑う。

彼の施術に、悲鳴をあげたり痛すぎて笑っちゃったり黙りこんだり温まったり安らいだりしている2時間、私はいつも数え切れないくらいのありがとうを心の中で呟いている。

家族でも恋人でも友人ですらもなくとも、誰より私の身体のことを知り尽くしている人。
ほんの一瞬魔がさしたら、やすやすと私を殺すことすらできてしまう人。

そういう人が、プロフェッショナルとしての自覚や技術と一緒に真心をこめて与えてくれる優しいエネルギーに、私はこれまで何度救われてきたか、知れない。

********

いろんな想いをのみこんでのみこんでのみこんで、苦しくなるくらい溢れたらやっと、絵が一枚描ける。

いろんな想いをぬりこめてぬりこめてぬりこめて、ひとつの終わりに辿り着いたらまた、空っぽになって透きとおる。

自分だけの作品ならそれで終わりにしてもいいけど、たくさんの人の目に触れる作品だから、まっさらになった心にありがとうの気持ちだけこめて、誰かと共有するための作品へ昇華させる。

糸で描いたのは、施術する人とされる人。

ふたつの温度が重なる場所に、ルチルとダイヤモンドをあしらった。
この絵はきっとこれからあの場所で、たくさんの痛みが生みだすたくさんのありがとうを栄養にして、優しく育っていくんだろうな。












2015年7月8日水曜日

20150708

あの日はよく晴れていて、私の心はとても空っぽだったけど不思議なくらい澄んでいて、どこまでも静かで穏やかだった。

その心持ちを忘れてしまわないように、61秒の短い曲を作った。

タイトルに選んだ「inane」には、空っぽとか、意味のない、という言葉と一緒に、無限の空間、という意味がある。

その言葉を見つけたとき、なんて今の気分にぴったりなんだろう、と思った。

ある日妹が、この曲にお祈りの言葉をつけて歌いたい、と云った。

彼女が「inane」につけてくれたお祈りの言葉は、「sarvesham」というマントラだった。

sarvesham svastir bhavatu
sarvesham shantir bhavatu
sarvesham purnam bhavatu 
sarvesham manglam bhavatu

みんなみんながしあわせで在るように。
みんなみんながたいらけく在るように。
みんなみんなが満ちたりて在るように。
みんなみんなが祝福と共に在るように。


心の中がからっぽだと、いろんなものがいつもよりよく見える。
そういう時の祈りはたぶん、いつもより少し、透きとおる。

一日遅れの七夕の願いの代わりに、私たちから祈りをひとつ、贈ります。



2015年7月1日水曜日

20150701

直島で出会ったご婦人から「人の憩う場所に飾りたい」と作品のオーダーを頂いた。

お題はまたもや、海と空とお日さま。

直島のニュートラルで穏やかな海と空に、いつも人の役に立つことばかり考えて生きていらしたご婦人のイメージでお日さまの色と神さまのお顔を描いた。


まるで子どもの落書きみたいな絵でも、喜んでくれる人がいる、という幸せ。


もうずーっと空っぽな心を表面的な忙しさでごまかしたところで、自分から湧き上がるものは結局まだ出てこないけど、仕事、という形で作品と向き合う機会をもらえることに、心から感謝。

今回の直島滞在では、あんまりたくさんの人に会いすぎたのかこの何日かはとても体調が悪くてなんにもできずにいた。

くらやのおかみさんが帰ってきたから、今はずいぶん甘えて過ごしている。

ああなんかもっと描いたり作ったりしたいなぁ。

自己表現のためじゃなく、誰かのために。






















2015年6月26日金曜日

20150628

直島に来て20日あまりが過ぎようとしているけれど、まだ作品はひとつも描けない。

引き受けた宿の仕事やネコの世話や日常のことを懸命にやればそれだけで一日はすぐに終わってしまうし、先週、今週はその代りみたいにいろんな場所からたくさん人が訪ねてきて、なんとなくバタバタしているから、という物理的な理由もあるけれど、描けないいちばんの理由は、心の中に表現したいことが実のところまだ何もなかったからだ、というのもわかっている。


直島に来る前には絵が描きたくてたまらなくなって、画材をみんなスーツケースにつめて送ったというのに。
実際にキャンバスを広げて色を選ぼうとしても、どれも光らない。

私の心は今、無色透明。
そこには、なんの色もついていない。



このところなぜか、過去の話をよくする。

それは確かに私がほんの少し前に経験したはずの出来事なのに、どこかもう他人事みたいで、なんの感情も湧き上がらないいつかの物語。


今になって考えてみれば、どのみち結果は「壊れる」以外になかったんだろう。

それでもあのとき私が現実を直視することから逃げる方を最終的に選んだのは、結局自己防衛本能だったように思う。


求めていた想いと与えられていた想いの種類が違うことなんて、最初からわかっていた。

だけどそれを認めてしまったら、たぶん私はもっと卑屈になって、悲しくて、もっと苦しんだ。
誰かのせいにして、誰にも入って来られない悲しみの中に自分の身を置いてしまうことで、私はその受け入れがたい事実から逃げたんだと思う。


その選択自体は悔やんでいないけれど、たったひとつだけ、後悔していることがある。


わかったフリなんてしないで、あのときあの人が本当はどんな状態だったのか、どんなことを考えていたのか、ちゃんと教えてもらえばよかった。



一度は確かに得たはずのいちばん大切な感覚を、私はまた失ってしまったから、たぶん私が誰かを見つけることはもうできないけど。


ここにいることを自分以外の誰かにちゃんと確かめてもらいたいと望むことは、そんなに分不相応なことなんだろうか。













2015年6月3日水曜日

20150603

私は、脆い。

優しく強くありたいといくら願ってもなお。










2015年5月18日月曜日

20150517

何ヶ月も前から頼まれていた、とあるCDのジャケ用の絵。

ずっと描けなかったのに、もうじき締切、というところでようやくフッとイメージが浮かんで、木の板にアクリルをのせて指で描き出したら2時間足らずでスルスル描けた。


なんのことはない。
与える側ではなく、求める側に思いを馳せたら、難しかったことはいとも簡単なことに変わったのだった。


その音を求めるのはきっと、些細なことですぐに傷つく弱っちくていとけない心の持ち主たち。

私もおんなじものを持て余しているから、欲している色が溢れ出してくる。

いまの私が心から描きたいものが出てくるまでには、まだもう少し時間がかかりそうだけど、仕事として好きな絵を描かせてもらえるのは本当にありがたいことだと思う。


この間、鳩間島のおばあが電話をくれた。

畑に行く時に壁画を見るのが日課になって、毎日とても楽しくて嬉しい、ありがとう、と言ってくれて、胸がじんわりあったかくなった。

ここ何日か、疎遠になっちゃった人たちのことを考えて淋しくなっていたけれど、代わりに、たとえ遠く離れていてもその人のそばにある私の作品と毎日会話をしてくれている人たちに思いを馳せれば、弱っちい心の痛みもすぐに温もりに変わる。


失ったものに目を向けていても仕方がないから、空いたスペースに新しくしまうものを探すとしよう。

完成した絵の全貌やコンセプトは、音ができてからのお楽しみ、かな。





2015年5月5日火曜日

20150504

私は先生のことを何も知らないけれど、先生は私の身体の仕組みをひょっとするとこの世界の誰よりも知っている。

骨組みも筋肉のつき方も滞りやすい個所も身体の癖も、内臓の位置までも。

目を閉じて先生に身体をゆだねていると時々、あぁ、この人はその気になればいつでも私のことを殺せちゃうんだろうなぁ、なんて思ったりする。


今日、一時期とてもお世話になっていた整体師の先生の施術を受けに行った。
私は職業柄もあって、これまでいろんな施術をされる方にお会いしてきたけれど、最終的にどうしようもないくらい身体がつらくなると必ず、この先生のところに行く。


会社を辞め、ヒーラーを辞めてからは身体にそれほど大きなストレスがかかることもなくなっていたけれど、今回は長旅と、慣れないペンキを使ってのアート制作と、脳や脊髄や心臓に負担をかける神さま仕事の弊害で呼吸がきちんとできないくらいに身体が凝ってしまって困り果てていた時に、先生のことを思い出したのだった。


三年ぶりですね、と笑顔で迎えてくれた先生は私の身体を少し触って、相変わらず追い込んでますねぇ、と言いながら、施術を始めた。


比較的、痛みには強い方だと自覚しているはずなのに、先生の施術は、ものすごく痛い。
少し触られるだけでも、まるで指先に太い針でも仕込んでいるんじゃないかっていうくらい、激痛が走る。

先生のやり方が悪いんじゃなくて、私の身体がいけない。
触れられて心地いいところだってあるから、痛いところはみんな、流れが滞ってしまっているっていうことなのだ。


とはいえ、頭ではそうわかっていても、あんまり痛くて痛くて、だんだん気が遠くなる。
気をそらすこともできないくらい痛くて、ベッドの上から逃げ出したくなる。

そこでいつも、どうすればこの痛みに耐えられるかを一生懸命に考える。

世の中には痛みを快楽に変えることのできる人がいっぱいいるし、人間は誰しもSとMの両極を持っているわけなのだから、私の中にあるMっ気を最大限に活用すればこの痛みを快感に変えられるかもしれない、と思いついてみて、出てこいMっ気、と念じてみたけれど、痛みが快感に変わる前に「いたーい!!!!」と叫んで、汗だくで私の身体を良くしようとしてくれている先生の腕をバシバシ叩いたりつかんだりする始末。

そういえば昔、妹がやっぱりものすごく痛いリフレクソロジーを施してくれた時にも、同じように叫んで彼女を思いっきり蹴り飛ばしたことがあったっけ。
どうやら私には、ドMになれる素質はあまりないらしい。


私が「痛い!」と漏らすたびに、先生は優しい声でうん、うん、と応えるけれど、その指はおかまいなしに次なる激痛を身体に刻む。


身体のケアをしてもらう時はたいていどんなセラピストさんもおののくくらい身体の滞りはひどいことになっているらしいのだけれど、この先生のところへ行くのはいつも最終段階だから、結果として、先生には多大なる負担をかけている、ということになる。


自分の手で患者が癒されることが自分自身の癒しになるんですよ、と先生が言うから、私も先生を癒すために、がんばってほぐれろ!と身体を鼓舞するのだけれど、私の身体はどうやら私に似て聞き分けが悪いようで、身体のいろんなところに先生の指の形のあざができても、ちっともほぐれてくれない。
たぶん、私にしばらくほったらかしにされていたから、もっともっと先生のご厄介になりたいのだろう。

先生からも案の定、このままだと悔いが残りまくりなので、もう一度来られますか、できればなるべく早いうちに、と言われた。


どのくらい早い方がいいですか、と尋ねたら、本音を言えば、今晩ここに宿泊してもらいたいくらいです、と言われて、先生はとても素敵な人だから、これが口説き文句だったらけっこうときめくところだけれど、実際にもしも一晩この施術が続くことを想像してみると、私が痛みで死ぬか先生が疲れで死ぬかの壮絶なバトルになるのは間違いないから、お互いの寿命を延ばすためにも、数日のスパンを空けることにした。


それにしても人の縁の形というのは本当にさまざま。


知り合ってからはもう八年も経っているというのに、私は今日初めて、先生と年が4つしか変わらなかったことや、なんだか月みたいな印象だった先生の名前が、反対から読むと「太陽」だったことを知った。

たった数日に密度を凝縮して作りあげる濃い関わりもあれば、プライベートなことなんてなんにも知らないまま、何年もかけていつのまにか確固たる信頼関係を築いていることもある。

今回私が久しぶりに先生に会いに行ったのは、先生がくれたお手紙がきっかけだった。

つながりを続けていこうとする努力はどんな間柄にもとても大切だし、大切にした分だけちゃんと結果の出るものだと、つくづく思う。


夜、あざだらけの身体で窓から空を見上げたら、真っ白な満月が輝いていた。


先生に限らず、私にはいろんな形で私のケアをしてくれる人がいっぱいいる。

非の打ちどころなくまんまるなお月を眺めながら、そういう縁に出会える奇跡のひとつひとつに、心から感謝したい気持ちになった。


先生、ありがとう。
楽にして頂いた分、私もお仕事がんばります。










2015年4月29日水曜日

20150428

自分で選んでいるはずなのにいつのまにか、神様の手のひらで遊んでいるような。




壁画がようやく完成した。
建物一軒分に描いたのは、空と海と太陽と月。




それから、鳥。

最後に、神さまの顔を入れた。


初めから、すごく好きだと感じた土地で、すごく好きだと感じた人たちにお世話になりながら、すごく好きなものだけを描いた。

相変わらず、ちっともうまくはないけど、心をこめて描いた。

こんなに大きな絵を描くのも、ペンキを使うのも、野外に描くのもぜんぶ初めてだし、期間も短いし、材料も簡単には買いに行けない。
やってもみないでできないっていうのが嫌だっていうちっぽけな意地から始まったこのチャレンジに、めずらしく不安がいっぱいだった。

それでもがんばれたのは、毎日少しずつ届けられる小さな奇跡のおかげだったように思う。

作業をスタートした翌日、もともと予定していた竹富島への滞在で出会った人が、私の作品を好きだと言って大きな仕事をくれた。

その次の日、船が欠航して鳩間島に戻れなくなって一泊することになった西表島で出会った人が、とても限られた時間と場所でしか見ることのできない小さな宇宙を見せてくれた。

鳩間島に戻った日、東京からやってきた友だちと共に、新しい友だちに出会った。
彼らは、誰かと一緒にいることのわずらわしさよりもずっとずっとたくさんの喜びや楽しみや感動や笑いや心強さをくれた。

毎日、いろんな人と少しだけ交わった。
作業をのぞきに何度も足を運んでくれた人。
まだ途中の絵を褒めてくれた人。
写真におさめてくれた人。
がんばれ、と励ましてくれる人。
明るくなっていいねぇ、と笑ってくれた人。
次来る時に完成形を見るのが楽しみ、と言ってくれた人。
うちの壁にも描け!と言ってくれた人。
この絵が好きだ、と言ってくれた人。

絵を描いた建物の裏手は、確かに表からは見えないけれど、島でいちばん大きな 御嶽や灯台へ続く道の途中にあるから、わりと目立つ。

そのことに気づいたのは、島民も観光客も全員参加の避難訓練の帰り道。
少しだけ、おそろしくなった。
神さまの通り道にこんなに目立つものを作ってしまって、よかったんだろうか。
たくさんの人の日常の風景に、この絵はどんなふうに映るだろうか。

アートというものは100人が見てひとりでも好きだと思ってくれる人がいれば儲け物、というのは、いつか何かで読んだ、あるアーティストの言葉。

人がどう感じているのかを気にしてしまいそうになるたびに、私はいつもその言葉を思い出しては、自分にかけられる言葉が心からの賛辞なのか世辞なのかを見極めたりしないように鈍感になろうとする。

相手の表情を伺わずに、言葉だけ受け取る。
もらった言葉は手のひらの上でフッと吹いて、残ったものだけ心の中にしまう。


絵が完成した瞬間は、とても静かだった。
私はひとりで、空は晴れていて、青鳩が壊れた笛みたいな声で鳴いていた。

なぜか、いつものような軽い達成感や安堵感はなかった。
終わったその瞬間に、何かがまた始まったような気がしたから。


暑くて、汗だくで、ぐったりと疲れていたから、片づけを終えてからまず、シャワーを浴びに宿へ戻った。
途中で出会った観光客の女の子に、絵は進んでいますか? と尋ねられたから、ええ、今完成しました、と告げた。

シャワーを浴びて、ペンキだらけの作業着をビニール袋に入れてから、私に仕事を依頼してくれた茶屋のオーナーに完成の報告をしにいかなくちゃ、と外に出たら、縁側に座っていたおじいとおばあが、終わったか、と声をかけてくれた。

やっと終わったよ、と応えると、おじいとおばあは、そうかそうか、と笑った。


茶屋へ向かうと、オーナーはいなかった。
裏に回ってみたら、彼はタバコを吸いながら、完成したばかりの絵を微笑みながら眺めていた。
どうかな、と訊いたら、上等、上等、と答えた。

公共のWIFIが入る場所までお散歩をして、家族や手伝ってくれた友人たちや東京の友だちに完成したばかりの絵の写真を送ってまた宿に戻ると、縁側にいたおじいが私を呼んだ。

足が悪いのに、さっきさっそく絵を見に行ってくれたのだと言う。
よくやった、上等、上等、とおじいは笑った。
とても嬉しそうだった。

それから隣の部屋に滞在していたご夫婦が、作品と私と一緒に写真を撮りたい、と言ってくれたから、三人で裏に回ると、今度はおばあが絵を見てくれていた。

おばあ、どうかね、と訊いたら、いいじゃない、とおばあは答えた。
それから絵をまっすぐ見つめたまま、こんなのは、どこにもないよ、鳩間島では初めてだよ、と言った。
とってもとっても、温かな声だった。


初めから、すごく好きだと感じた土地で、すごく好きだと感じた人たちにお世話になりながら、すごく好きなものだけを描いた。

今度はこの絵が、ここに住む誰かの、そしてここに来る誰かの、好きなものになってくれたらいいな、と思う。


と、ここまで書いたところで夕飯の時間になって、お隣に今日やってきたご夫婦と共におじいとおばあのところへ行ったのだけれど、旅の最後の最後に、神さまからのとんでもないプレゼントが待っていた。


この旅に出る少し前から、「そろそろ神さま仕事に戻れ」といろんな形で言われていた。
神さまのお遣いをすることは、よくも悪くも私の人生の在り方を変えてしまう。
いったいどうすべきなのか、どうしたいのかを、この旅の間もずっと考えていた。

今回、久しぶりに新しく出会った人たちとの時間を過ごしながら、自分の進む(あるいは戻る)方向はなんとなく見えてしまったものの、まだ答えは出したくないし、出さなくてもいいかなぁ、なんて思っていた。

だからこの旅も、最後にまたおじいとおばあと一緒に楽しくご飯を食べて、明日の朝には淋しくて泣きそうになりながらこの島を出るのだと思っていた。

いつものようにゆんたくが始まり、いつものようにおじいが酔っ払って、おばあが叱って、みんなでそれを大笑いしながら眺めて、そんなふうに過ごしている最中、おじいが突然私にこう言った。

「キヨノ、あんたは、ただの人ではないだろう。神さまと関わりがあるんだろう」

びっくりした。
昨晩まで、そんな話は一度だってしたことはなかった。

聞けば、完成した私の絵を見て、おじいとおばあはそう話したのだと言う。

実は、おじいもおばあもそれぞれ島の神司の家系に生まれている。
それを知ったのは旅の初日だったのだけれど、興味本位で尋ねてはいけないことのような気がして、そのことについて詳しく聞いたことはなかった。
特におばあは島の聖域と同じような品格や気の滲み出ている人だったから、おじいとおばあの前で中途半端に神さまのことを口に出したりするのはとても失礼にあたる気がして、お客さん同士でそういう話をチラッとすることはあっても、おじいとおばあには一切話さなかった。

びっくりしている私をよそに、おじいはさらに続ける。

「あんたの見ている世界のことを、人に教えなさい。それがキヨノの役目だ」

酔っ払って呂律も回らなくなりながら、おじいは何度もそう繰り返す。
あぁ、言わされているのだ、と思った。

おじいたちとのゆんたくは18時からおじいが眠る19時半まで、と決まっているから、いつもなら19時半には解散になるのだけど、今夜はおじいが眠ってから、初めておばあとゆっくり話をした。

おばあは私が今まで話さずにいたことを聞いたあとで、これまで語ることのなかったいろんな話をしてくれた。

おじいとおばあの家系のこと、私が島にある五つの御嶽に対して感じたそれぞれの役割と島の伝承とが一致していたこと、御嶽に祀られている宝物にまつわる出来事、そういう大切ないくつかのこと。

それから私の目をじっとみて、「鳩間の神さまは、なんて言ってる?」と私に尋ねた。
その瞬間、これまでどんなに語りかけても無言を貫いていた鳩間島の神さまが、ようやく私にお遣いをさせてくれた。
それは、とてもとても大きな伝言だった。
おばあはそれを、とても真剣な表情で聞いてくれた。
そして、おそらく今まで誰にも言わなかったであろうことを、ぽつりと打ち明けてくれた。

話し声がおじいの睡眠を妨げてしまうから、まだまだ話したいことはたくさんあったけれどゆんたくを終わりにして戻ろうとしたら、おばあがとても残念そうに、もっといろんな話をしたかった、と言った。

私もまったく同感だった。
同時に、悟った。
私はきっと、遠からずまたここに戻ってくることになる。
心残りができるっていうのは、そういうことだ。


私は明日、東京に帰る。
大きな始まりの予感を、確信に変えて。

なんてこった。
鳩間島。
忘れられない旅になってしまった。













2015年4月22日水曜日

20150422

金曜から数日、お昼間は晴れ間こそあまり出ないものの穏やかなのに、夜になると猛烈な暴風雨と雷鳴までとどろいていた。

そして月曜日には与那国島を震源とした大きな地震があって、島がグラグラ揺れた。
津波警報も出たけれど、幸い津波が来ることはなく、海はまた穏やかなまま。
沖縄は本当に、龍蛇神とひとつになっている土地なのだと思う。

警報が解除された後で、海に入った。
鳩間島の海は美しいだけじゃなくて、とても優しくて心地がいい。
干潮のときはイソギンチャクの群れがあるところまでもずっと浅瀬だから、潜らなくても透明な水面越しにいろとりどりの魚たちが見える。

翌日からいよいよ絵を描くことになっていたから、私にとっては身を清める意味もあったけど、海に抱かれればそんなことはすぐに忘れてしまう。


嵐とともに、夜になると滞在しているお部屋に白いヤモリちゃんが現れるようになった。

島にはヤモリがたくさんいる。
鳴き声がどことなく天国に行った小鳥の紅ちゃんに似ているから、聞こえるとなんとなく嬉しいような安心したような気持になるのだけれど、この子は鳴き声だけでなく気配もどこかしら、小鳥ちゃんに似ている。

最初はおずおずと姿を見せたり隠したりしていたのが、月曜日の夜にはどういうわけか大興奮で一晩中部屋の壁をペタペタグルグル歩き回っていて、夜中にふと目が覚めたら私の顔の上にいた。

これにはさすがにびっくりした。
それほど私は気配をなくしていたのか。
もしくは、小鳥ちゃんが白ヤモリちゃんに憑依したのか。
どちらにしても、仲がいい。

そして翌日は、浜下り、という年に一度の女の節句があった。
昔の伝承に基づいているこの節句では、女の人はこの日には必ず潮の引いた時間に海に行って、七つの水たまりを飛び越えるか、もしくは水につかると良いのだという。



朝にはおばあが縁起ものだから、と手作りの節句のお餅をおすそわけしてくれた。

よもぎ餅と豆餅とトリ餅。
自然の色が、なんとも言えずきれい。

おばあと一緒に海に行くつもりが、午前中から下塗り作業を始めてしまったから、15時すぎの干潮の前にひと段落ついて、海へ行くことにした。

近くの浜に寄って水につかってから、水たまりのありそうな浜を探しに島の西側にある浜へ向かう。

いつもと違う道を通ってみよう、と野原の中をグングン歩いて行ったら、あろうことか道を途中で間違えて、見たこともない草原の真ん中に出てしまった。

花が咲き乱れ、白い大きな鳥たちが群れになって飛ぶその場所は、あとで聞いたらかつては一面の畑だったのが今は手つかずになっているのだとか。

道なき道に不安を覚えながらも、鳩間島は小さいから歩いていれば必ずどこかに出る、と歌を歌いながら歩いて行くと、見たことのある道に出た。

ひょっとして、とさらに海の方向へ進んで行くと、たどり着いた浜は初日に偶然たどり着いた、いちばん好きな浜。

海では遠くの方で貝獲りをしている人がひとり。
よく見たら、おばあ。
思わず笑ってしまった。

その浜で水たまりを七つ跳び越えて、帰りは浜から縦の道を延々と歩いていったら、なんとお宿の脇の道。

初日ぐるっと回って帰ってきたからそのあと行きたくても場所がいまいちわからなかったのが、まさか一本道っだったとは。
途中には鳩間島でいちばん大きな御嶽もある。
もちろん中には入れないけど、脇を通るだけで背筋が伸びる。


節句の夜には海のものを食べるのよ、とおばあが採りたての貝を出してくれ、おじいは三線で節句の唄を歌ってくれた。

三線を置いた後、酔ったおじいが唐突に「キヨノ、ずっとここにおりなさい。あんたはいい子だ」と言うのでびっくりして、涙が出てきた。

恋愛にも結婚にも向かなくても、神さまはどうやら家族を作る才能だけは人より多くくれたのかもしれない。

またひとつ、帰る場所が増えた。









2015年4月18日土曜日

20150419




水曜日に鳩間島にやってきて、今日で4日目。
どんなにゆっくり歩いても2時間あれば一周できてしまう小さな島には、とてつもなく美しいエメラルドグリーンの海と青い空と強い風がある。

島民は50人ほど、まだハイシーズンじゃないこともあって、島に点在するいろんな浜はほとんどプライベートビーチみたいに、誰もいない。

港に降りたった瞬間から、私はこの島が、とても好き。


私はここでお散歩をしたり、スコールに降られたり、野生のヤギを観察したり、こっちで知り合った人たちとおしゃべりしたりしながら、文章を書いている。

鳩間島を選んだのはただ、ここに行こう、といういつもの感覚だけで、何か目的があったわけでも何かを狙ってきたわけでもなかったけど、旅先にはなぜかいつもおもしろい出来事が待っている。


今回泊まっているお宿は、おじいとおばあがふたりでゆっくりやっているところ。
港からいちばん近いところにあって、部屋からはいつも海が見える。

素泊まりだから食事は自炊、ということで食材をたくさん買ってきたけれど、来てみたら朝も晩もおばあが美味しいご飯を作ってくれて、一緒に食べる。
このご飯がまたとても温かくて美味しくて、私はぐんぐん優しい気持ちになる。

おじいはいろんな話をしてくれる。
びっくりしたのは、鳩間島は久高島や宮古の大神島と同様に、神の島と呼ばれる場所だったこと。
今回の旅ではあえて久高島も大神島も選択肢に入れず、ただのんびりしようと思って旅に出てきたのだけれど、結局そういうエネルギーの強い場所に惹かれてしまうんだなぁ、と笑ってしまった。

鳩間島に毒ハブがいないのも、神様の力で近づくことができなかったからだ、という伝承が残っているのだとか。
おじいもおばあも島の神事に関わるおうちの生まれだとかで、ふたりの生活の中には(そしてたぶん島に住む人はみんな)自然と、神さまへの畏敬と感謝とが溢れている。
私も、ご飯をいただくときの作法を教えてもらって、おばあのご飯をいただく時には毎日それを実践するようになった。

そして昨日、私の泊まっているお宿の向かいで茶屋と宿をやっている同い年のオーナーさんがほとんど酩酊しながらおじいの三線の音を聞きつけて来て、それをきっかけに彼らのゆんたくに少しだけ顔を出したのだけれど、話の流れで急遽、そのお店の裏手の外壁一面に絵を描くことになってしまった。

ゴールデンウィークにはたくさん人が来るからそれまでに仕上げてほしい、ということなので、とりあえずこっちでの滞在を少し延長して、ある程度の道具を石垣島で買ってから作業に入ることになる。

ひとりでなんとなく何かにまきこまれてどうにかするパターンには慣れているものの、今回はなぜか、ちょっとだけ心細い。
こんなふうに感じることはあまりないから、少し戸惑っている。
昨日の夜、あれこれ考えていたら眠れなくなって、こんな時にあの人がいてくれたらなぁ、と久しぶりに誰かの助けが欲しくなった。
だけど、ひとりでやるべきことならそうなるだろうし、助っ人が本当に必要なら、何かしらの形で現れてくれるだろう。

かなり大きな面を一週間くらいで仕上げないとならないし、お天気がどうなるかもわからないけど、すごく好きな場所に作品を残せるのは嬉しいことだから、がんばってみようと思う。

今日は鳩間島に新しくできた野外ステージの落成式典が朝から開かれている。
もともと音楽の文化が盛んだったこの島では今も音楽は人の和をつなぐものとしてとても大切にされているのだけれど、この式典ではお祝いに沖縄のすべての島々からひとりずつ代表の演奏家がやってきて、それぞれの島に伝わる伝統民謡を披露している。
こんな機会はめったにあることじゃないみたいだから、本当に運がいい。

沖縄は土地も人も、おおらかに見えて厳しい。
ここまでは来てもいいけど、ここから先はダメだよっていうラインがきっちり引かれている感じ。

まぁそれは沖縄に限ったことじゃないし、そのラインを感じるのは私が故郷を持たない、ごった煮の新しい街で生きてきた人間だからなのかな。
そして、きっと私にも何かしらのラインはあって、それがあるからこそ、どこにでも行くことができるし、どこにも属さずにいられるのかもしれない。

天気予報では雨のはずだった今日は、朝からずっとやわらかな陽が出ていて、小さな島のお祭りは今もにぎやかに続いている。

私はおばあと一緒に帰ってきて、今はまた海の見える部屋で、のんびりとは程遠く、狂ってしまったスケジュールの調整や、同時進行しているいくつかの仕事の雑事を、通信速度の遅いインターネットに翻弄されながらこなしている。

明日は材料の一部をとりあえず選びに石垣島へ日帰りする予定。
船がちゃんと出てくれるといいのだけれど。











2015年4月14日火曜日

20150414

また始まってしまうのかな、と思う。

私はただ、穏やかに過ごしていられれば、それでいい。
何もたいしたことはできなくても、人がどんどん離れていっても、いつも低いテンションでおもしろい話のひとつもできなくてももうかまわないからただ、穏やかに過ごしていたい。

取り戻せ、あるべき形に戻れ、とどんなに様々な形で告げられようとも拒んできたのは、また何もかもを得て何もかもを失うあの生き急ぐ日々に立ち返るのがおそろしくてたまらないからだ。

それなのに大きなうねりは時々、まるで力の差を見せつけるみたいに、私をぐるぐる振り回す。


ずっと足の向かなかった沖縄に来ることを決めてしまったあの時から、ひょっとするともう始まっていたんだと思う。

とてもすんなりとした、でも有無を言わせない決まりごとのようにして、私は今、ここにいる。


本当なら今日のうちに鳩間島に渡ってのんびり静養と創作の日々が始まるはずだったのに、石垣島で足止めをくらった。

とりあえず今晩泊まるところを、と見つけたホテルがたまたま昨日レンタカー用にもらったマップでなんとなくひっかかっていたエリアだったのだけれど、その美しい景色に見とれる以上に頭がグァングァンと揺れるエネルギーの強さに圧倒されながら、何時間も海を眺めている。

前日9時間も眠ったにも関わらず、ここにいると眠くて眠くてたまらない。

まるで偶然みたいななりをして連れてこられたこの場所で、あらためて考える。

戻れと言われても、なすべきことをせよと言われても、果たして今の私に何ができるっていうんだろう。

心のどこかで、偶然を必然に結びつけようとする誰かのいたずらにまた乗っかってしまいたくなる自分がいるのも、わかってる。

でも、タフになりすぎた私はもう、小さな無邪気を素直に喜べない。


とりあえず、これからまた、海に行ってくる。
外は、真っ暗闇に満天の星空。






2015年3月28日土曜日

20150327




いつも私の背中のネジを巻いてくれる人と、目黒川の桜を愛でながら、5時間。
同じ目線で世界を眺められる人の存在の、心強さ。
晴れた空もやわらかな光も夜のちょうちんもみんな桜を美しく照らしたけど、私は夕闇の蒼に浮かんだ桜の色が、いちばん好きだった。


嫌いなものは嫌いと、怖いものは怖いと、ちゃんと言える人は好き。

風がまだ少し冷たかったから、ブランケットが嬉しかった。












2015年3月27日金曜日

20150326

もうじき、誕生日がやってくる。
私は毎年、自分の誕生日に自分へ贈り物をする。
何をあげたかはほとんど覚えていないけれど、なんだかんだと贈り物をする。


今年の誕生日、私は私に、新しい名前をあげることにした。
本名でもヒミキヨノでもない、第三の名前を。

思い返せば、ヒミキヨノが現れたのは今から三年半前。
きっかけは、あるアーティストさんに楽曲を提供したことだった。
当時まだ本名でヒーラーの仕事をしていた私は、クレジットの名前どうする?と尋ねられたとき、新しい名前で作品を出すことを選んだ。
理由は単純で、本名で名前検索された時に出てくる内容が、その曲を世に出したいと思った純粋な理由やイメージを壊してしまうからだった。

そのあとに私は恩人を亡くし、やっとシャスタに行き、その年の暮れにはセッションをやめた。
それから、ヒミキヨノは私の人生の主演女優になった。


彼女は、天から与えられた役割みたいなものと自分の好きなこととを融合させて世に出すことを目的に生み出された。

だから、その後は受ける仕事によって名前を使い分けるようになった。
役割と好きなこと、そしてその仕事が作品となること。
この三つの条件がそろっているものはヒミキヨノが、それ以外のものは本名の私が担当した。


彼女は、たくさんの人とのご縁に恵まれながら、アートを描いたりジュエリーや音楽を作ったりしている。

作品を好きだと言ってくれる人たちもいるけれど、それはごく少数で、彼女の作品はほとんどの人の目に触れることもなければ、世間の不特定多数の人の関心を集めることもない。
理由は明確で、気質とこだわりだけはいっぱしに持っているものの、アートと音楽とジュエリーという三つのカテゴリにおいては、作品の質もセンスもスキルも所詮2.8流の域を出ないし、生涯かけて努力してもきっと、さして変わることはない。
周りがなんと言おうと、それは当人がいちばんよくわかっている。

彼女の作るものはほとんどが、たったひとりにだけ向いている。
大多数の人にとってはなんの価値もなくても、そのたったひとりが喜んでくれればそれで完結する、そういうものを作るのがたぶん、彼女の役割なのだろうと思う。

自分を過大評価しすぎていた私はそのことに気づくまでずいぶん時間がかかってしまったけれど、与えられた役割と自分のやりたいこととを仕事の上で融合させながらヒミキヨノが少しでも世の中と交わり、役立つためには、そうやってとにかくひとつひとつの仕事に丁寧に向き合いながら、細々と形にしていくことがいちばん誠実だし、その形があってこそ、心からのやりがいや感謝の気持ちを抱くことができる。

何より、ヒミキヨノが現れてくれたおかげで、私の人生は飛躍的に楽しくなった。

彼女は、本名の私が積み上げてきたたくさんの点と点を結んで、小さな円を描いた。
これからはその小さな円を地道にグルグル回しながら少しずつ大きくしていければ、それでいい。


じゃあなぜ第三の名前なんてつけるのかというと、それにもそれなりの理由はある。

子どもの頃から何度トライしてもうまくできなかったいちばん大きな課題に、本気で挑戦するためだ。

この一年半は間違いなく、人生最悪の、どん底みたいな日々だった。
衣食住はあったし、家族や優しい友人たちがそばにいてくれたからなんとかやってこられたものの、やっと出会えた愛も望みも夢も希望も信じる気持ちもお金も仕事も言葉も生まれた時からずっと一緒に生きてきたみずからの魂さえも順番にぜんぶ失くした時、私は初めて、それまであたりまえのようにできていたことの一切ができなくなった。

何度ももうダメだ、と思うたびに、私を最終的にひっぱりあげてくれたのはいつも、ヒミキヨノのちっぽけなプライドと、彼女のおかげで取り戻すことができた「心」だった。

彼女はこの一年半、からっぽの私と一緒にとことん苦しんでくれた。
そして、目に見えないものや目に見える親切な人たちと一緒になって、インスタントな夢とそれを叶えるための気力と行動力、じっくり考えるための時間と余裕とチャンスを私にくれた。

そのうち、何も生み出すことのない、人生のうちでもっとも動きの止まった日々を過ごしながら、私はずっと待ちわびていた「タイミング」の中にいつのまにか自然に流れ込んでいることに気づいた。

私が小さい頃からずっとうまくやれた試しのない、大きな課題。
それは「自分なりの美しい言葉でひとつの物語を完成させること」だった。

さっき、それがようやく完成した。
原稿用紙に換算したらたった150枚足らずの作品だけど、書けるという手応えを感じた日に、誕生日までに書き上げると決めて、この作品の執筆中はほとんど他のことはせずにひたすらパソコンに向かって、何十回も書き直してはプリントアウトし、ほとんど真っ赤な修正原稿をまたパソコンで直しまた真っ赤にして、を繰り返し続けた。

この作品には、本名の私が三十年以上かけて磨いてきたセンスとスキル、それからヒミキヨノのインスピレーションとこだわり、それに、私たちふたりの「心」のぜんぶが詰まっている。

だから、この作品の表紙には、そこには二人分のエッセンスを入れた新しい名前が必要だった。


今や、作ったものを世に出すのはとても簡単なことだから、いつものように自分で形を作って出す場所を用意すれば、これも簡単に世に出すことはできてしまう。

でも、新しい名前をつける作品は、私のことをまったく知らない赤の他人に見出してもらいたい。
そしてその人の手で、私とヒミキヨノの力だけでは到底及ばないところに、その作品をつれていってもらいたい。

そんなふうに願って、私は明日、この作品を手放す。


明日からはまたしばらく、ヒミキヨノと二人三脚の日々。
控えていた人との約束もまた少しずつ入れながら、痺れたままの脳と腕を少しだけいたわってあげたい。


P.S. こうして書いてみると、ぜんぶ失くしても自分の世界に自分しか存在していない傲慢さだけはどうやら持ち越してきたことがよくわかる。
それ、いちばん要らないはずなんだけど。
















2015年3月12日木曜日

20150311

あえて触れる人もあえて触れない人も、心のどこかにひっかかっていることに変わりはない。

どこかの国の時差で生きている私はさっき目が覚めて、散らかった本棚と神棚の上をグルグル廻る虹をぼんやり眺めている。

変わることを選んだ地球は今日も穏やかにグルグル廻り、変わり方を選び損ねた人間もまたどんどん増える不安や恐怖や絆の中で、グルグル廻る。

ギリギリにならないとすごい力を発揮しないから、ギリギリの状態に追いこまれる。
 それはつまり誰かが何かが、すごい力の在り処を知っていて、それをひっぱり出したがってるってことなのだけれど。


明るい日の射す時間にしかできないことがあるように、夕暮れの一瞬にしか見えないものがあるように、夜の静けさの中でしかなし得ないことがあるように、とどまることなく変わっていくものに合わせながらちっぽけな私はやれることを、やりたいことをやる。


死んだって終わりにはならないグルグル廻る世界の中で、生きてるうちにしかできないことを、一生懸命にやる。

今日はことさら、いい仕事ができそうだ。




2015年3月5日木曜日

20150305

気づけばもう三月。

今年に入ってから、私はずっと、言葉と向き合っている。
目標を決めて、テーマを定めて、文章を書いている。

去年の10月にシャスタに行ってから、12月に石の展示会はやったものの、三か月間はずっと映像漬けの生活で、直島に行って少しリズムは変わったものの帰ってきたらまたひきこもりみたいに過ごしているけれど、映像作品を観ている時間の比率よりも文章を書いている時間の比率の方が少しずつ増えてきた。

音楽を作る作業と文章を書く作業は、とても良く似ている。
頭の中ではいつも音符や言葉がグルグルととめどなく回っていて、あるタイミングに、ひとつの作品やフレーズの核になるものがストン、と落ちてくる。

その後、思いつくものを思いつくままに足して、それからどんどん、そぎ落としていく。


私はずっと、この「そぎ落とす」という作業が上手にできなかった。
それが、いつのまにかモノを捨てることが上手になったように、少しずつ「そぎ落とす」ことのコツをつかんできたような気がしている。

音楽や文章はそもそもが余計なものだから、シンプルさばかりを追求してしまったら何も残らなくなる。
だから、按配がとても難しい。
たとえば文章なら、その一文のどこが幹でどこが枝葉なのか、とか、枝葉の重さに幹がしなってはいないか、みたいなことをつきつめ始めると、本当にキリがない。

私は本を読むときでも何をするときでも、すぐ先に進みたくなって、じっくり立ち止まることがあまりない。
でもせっかく時間がたっぷりあるのだから、今は根気よく丁寧に向き合う、ということを、とことんやってみたいと思う。


不思議。
ずっとやりたくてできなかったことに、ごく自然な流れでいつのまにかたどり着いている。


12月の展示会にたくさん人が来てくれて、その前後にアクセサリーのオーダーを個人的にしてくれた人もたくさんいたおかげで、節約して暮らせば3か月くらいはやりたいことにとことん集中できる、とわかったら途端にすごく気が楽になって、多少貧しくても心が豊かでいられるうちにとにかくやれるだけやってみよう、というのが最近の私のスタンス。

これがあと一か月もすればまた、さて、どうやって暮らして行こうか、と考えなければならないのだけれど、家の中で自分を研ぎ澄ませて言葉と向き合っていられる今の時間は、かけがえがない。



月に一度必ず会う大切な友達が、誰の文章よりも私の文章がいちばん好きだ、と会うたびに言ってくれる。

その言葉を支えに、私は今日も、いくつかの言葉を紡ごうともがく。



そういえば、昨晩、屋根の上でドタン、とすごい音がした。
我が家の屋根裏には、太った白猫(私たちはネコガミと呼んでいる)が住みついているのだけど、どうやらネコガミが上の屋根から下の屋根に降りたらしい。

太りすぎて着地に失敗したんじゃないか、と慌てて外を見たら、ネコガミの姿はなく、代わりにお月がものすごい光を放ってこちらを見ていた。


その圧倒的なエネルギーを誰かと共有したくて、写真を撮って、インスタとFacebookとTwitterに同時でアップした。

何人かの人がすぐに反応してくれたことが、とても嬉しかった。
浅いつながり。
でも、そういうものが時々くれる偶然の、そして何かとても温かいものを心に届けてくれる刹那的な瞬間に、救われることが、確かにある。



明日は満月だ。





2015年2月12日木曜日

20140212


2月の頭から、また直島で過ごしている。

今回は特に何をする予定もなく、ただのんびりお留守番をするためだけに来たけれど、思いがけず友達の来訪が多かったり、こっちの友人たちと過ごしたり、お留守番の期間が短く終わったりもして、なんだかんだといつも誰かと一緒に過ごしていた。


相変わらず、直島という場所はそんなに好きじゃない。
でも、回数を重ねるごとにいろんな場所にできていく新しい記憶が愛着を生んで、私はきっとまたここに戻ってくるんだろう、と思ったりもする。


今回は初めて直島にやってきた友だちが多くて、みんながそれぞれの目で見る新鮮な風景へのリアクションを眺めて、自分がこの場所にもうすっかり慣れてしまっていることと、五感が鈍っていることとをつくづく感じたりもした。


大切な友だちと一緒に、豊島にも出かけた。
彼女と過ごした三日間は、本当に楽しかった。

センスや感覚の合う人との会話がこんなにも軽やかで楽だということを、しばらく忘れていたし、黙っていても成り立つ時間を無理せずきちんと心地よく感じられたのもまた、いい時間だった。


この写真は、心臓音のアーカイブの中にあるリスニングルームで、アーカイブされている私の心臓音を聴いていた彼女が、窓の向こうを歩いている私を撮ってくれたもの。

あのリスニングルームから見る景色がとても好きだったから、そこに私が居た証を知らないうちに彼女が切り取ってくれていたことを、とても嬉しく思った。



嗜好や興味がとても狭いところだけに向かうようになってからは、人との会話が本当につまらなくなってしまっていた。

相手が退屈しているのがわかっていながら、話しても話さなくてもいいようなことを話すのは苦痛だったし、自分が興味を持っていることを相手にわかってもらおうとして言葉を選ぶたびに、本当に言いたいことからはどんどん遠ざかっているような気がしていた。



東京にいる間、繭の中で眠っていたような生活が続いていたけど、直島でいろんな人といろんなことを話していると、これから先の計画が少しずつ決まっていく。


ハッとするような空間や瞬間に触れる機会も多いから、錆びついた感性すらも何かをキャッチしようとして時々うごめく。



何かに対して欲が出てしまうと、足りないものにばかり目がいってしまう。
物質的なあれやこれやというより、自分の才能やセンスに足りないもの。


たとえば昨晩は猛烈に「格」が欲しいと思った。


品格や風格のあるものはとても美しい。

自分の創りだすものにそれらがまったくないとは思わないけど、香るほどでもない。

もちろんそんなものは意識せずとも滲んでこそのものなのだろうけれど、自分の作品に、そして自分自身にそれらが足りていないことがわかる分、歯がゆく苦しくなる。


でも、そこに到達できないいちばんの理由は、私の中に何かをとことん追求したいという情熱がないことだろう、とも思う。


何もかもが中途半端のままずっとずっとここまで来てしまって、何かをつきつめることもなくきっとこれからもこのまま中途半端に私の日々は続いていってしまうんだろう。


それでも、二漕式の古い洗濯機を回しながら、こんなふうに気ままな日々を送れるしあわせを小さくかみしめたりして、結局のところ今はまぁこれでもいいや、と歯がゆさや苦しさを洗濯物と一緒にグルグル回して洗い流してしまえば、欲や情熱の苦しい部分は凪いで、ぼんやりとした明るさだけが手元にまた残る。



旅に出てくる前はいつも、帰りがけにどこを回ろうか、と考えるけど、帰る頃になるとたいてい面倒になって、まっすぐ東京に帰りたくなる。

明日のお昼の便で帰ろう、と決めて、さっき、まるで直島でいちばんお気に入りの場所みたいになっている小さな砂浜へ出かけてきた。


こんな小さな海も、本当はちっとも好きじゃない。
でも、ここから見る海と空の色は時々ひどく心に沁みる。


もうじき、日が暮れる。
早くまた夏が来ればいいのに、と思う。







2015年1月26日月曜日

20150126

もともと足が痛い時に限ってヒールの靴を履きたくなる。
そして、ヒールの靴を履いている時に限ってたくさん歩きたくなる。


私の天邪鬼ぶりは自分に対しても向けられるわけなので、そういう時、私は迷わずヒールの靴を履いて、たくさん歩く。


ヒールの靴を履いて歩くと、歩きやすい靴の時より少しだけゆっくり歩く分、いつもよりも周りの景色がよく見える。


今日は渋谷から、東急ハンズ経由で寄り道しながら青山学院の裏手にある青山見本帖に行き、表参道まで遠回りで戻り、駅地下のパン屋さんに寄って千代田線で代々木上原まで行き、そこからまた家まで歩いて帰った。

距離にして、5kmちょっと。


ヒールの靴で歩いていると突然、足が歩くことを放棄する瞬間が必ずやってくる。
足の裏が痛くて痛くて、もうこれ以上一歩も進めないよ、と足が悲鳴をあげる。


そういう時はいつも、人魚姫のことを思い出す。


王子様に見合う人間になりたくて、魔法で尾びれを足に変えてもらった人魚姫は、歩くたびに足の裏にさすような痛みがはしった。

たぶんそれはこんな感じだったんだろうな、と人魚姫になったつもりになると、もうしばらく歩き続けることができる。

でもそのうちに、人魚姫はこんなに痛いのを我慢して、声も失くしてがんばったのに、結局自分の本質を見ぬいてくれなかった愚かな男のために泡になって消えちゃったんだ、とお話の結末を思い出すとやりどころのない怒りがわいてきて、私は自分の天邪鬼さがもたらした自らの愚かさを、見る目のない物語の中の王子のせいにしたりする。

もうこれ以上は無理だ、というところになるとたいていそれは路地裏で、近くに休めるようなところもなかったりする。

だから今度は音楽を聴いて、意識を聴覚に集中させてみたりするけど、もはや足はジンジンとした痛みを全身に響かせて、これ以上ないくらい主張する。

そうしてようやく家についたら、まずいちばんにタイツを脱いで、足の指を開いたり閉じたりしながら冷えとり靴下に履き替えて、痛めつけてごめんね、と足に話しかけるけど、足はもはやふてくされを通り過ぎて、私の猫なで声なんて完全無視する。


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昨日、たまに行く洋服屋さんの鏡に映っていた自分が、あまりにも顔色の悪い、全体的に地味女であることに愕然として、ずいぶんと陽気な柄のパンツやコートやワンピースを久しぶりに買った。


そこで今日はその陽気なコートにシックなヒールの靴を合わせて青山あたりを闊歩してみたわけだけれど、自分の見かけにこだわって出かけるといろんな欲が出てくるもので、素敵な家具屋さんや雑貨屋さんを少し覗いては、まだ見ぬ理想の暮らしをずいぶん久しぶりに思い描いたりもした。


その陽気なコートを母がとても気に入っていたから、という言い訳つきで、今日また新しいコートを買った。

イタリア製の、真っ青な、形のいいコート。
青い服なんて、選んだのは初めてかもしれないけど、それはずいぶん今の私によく似合っている。


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そういえば、表参道の交差点で信号待ちをしていた時、前に立っていた若いサラリーマンが、道路の淵のちょっと段差になっているところに乗っていた。

たぶんそれは彼の無意識の行動なのだけれど、きっと彼は小さい頃、ジャングルジムが好きだったんだろうな、と思いついたら、後ろから抱きついてしまいたいくらい愛おしくなった。


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たまにこうして外に出てみると、文字にしておきたくなるような、とてもどうでもいいようなことが、いくつかあるからおもしろい。









2015年1月12日月曜日

20150111

年が明けてからも私の生活はまったく変わらず、相変わらず一日のほとんどを映像作品を観ることに費やしている。

観ているのは邦画と日本のドラマばかり。
海外の映画やドラマはほとんど観ない。

理由はとても単純。

私は、日本の俳優さんたちがとにかく好きだから、好きな顔や声や所作の人たちがいろんな人生を紡ぎだす様を観ているのが、何より心地がいい。


だから、観る作品を選ぶ時にもまず気にするのは出演している人たちだし、ストーリーがあまりにも好みにそぐわない場合を除けば、好きな俳優さんたちが出ている作品は何時間でもわりと観ていられる。


どうしてこのループがずっと続いているのか、ということの理由は自分なりに答えが出ているから、よっぽどのことがなければしばらくこの生活が変わることはないと思うのだけど、たくさん映像作品を観ながら思いついたことをひとつ、書き残しておきたいと思う。


私は、人の生まれ変わりを信じる。
というよりも、人が過去のさまざまな人生の記憶を持っていることを、身をもって何度も体験しているから、信じる以外の選択肢がない。

厳密に言えば、それが本当にその人の魂が経験した人生なのか、あるいはアカシックレコード上に記録されている誰かの記憶を共有しているのかはわからないけど、とにかく、過去性の概念が存在する前提でいうと、生まれ変わって今に至っている人たちにはみんな共通して、同じ欲がある。


それは、「知りたい」欲。

生まれ変わる人間とそうでない人間に違うところがあるとするなら、それは「知りたい」ことがあるかなくなってしまったか、それだけに過ぎない。

これまではカルマ、なんていう概念もあったけれど、カルマをすべて昇華してもまだ生きている人たちだっている。

それは、生まれ変わってきたこと自体の意味が、「知ること」の中にあるからだ。

だから人間は何度も生まれ変わっては、新しい人生を生きて、新しい知識をどんどん得ていく。
ほとんどの場合、それは限りなく続いていく。

でも、ひとりの人間が一生の間に経験できることなんてとても限られているから、人間は進化の過程の中で誰かが作り上げた「物語」をよりリアルにすることを探究してきたように思う。

言い伝えに始まり、文字に残すようになり、それに絵がつき、芝居が生まれ、それを記録できるようになり、そこに現実と同じ色がつき、さらにはまだ現実にない景色まで作ってしまえるようになった。

過去や現在だけではなく、未来の記憶の物語までも作れるようになったのは、この数十年のこと。


長い長い人間の歴史の中で、どうしてこんなに急にいろんなテクノロジーの進歩が進んだのかといえばそれはきっと、今が地球に存在する生物にとってのとても大きな過渡期に入っていることの大きな現れの一つなのだと思う。



現在、人間の姿をして存在している魂のうち、また来世も人間に生まれ変わる魂は、これまでの数十万年の中でもっとも少なくなる。

自分の希望とは関係なく、また「知りたい」欲が満たされなかったとしても、今回の人生で人間ライフ in 地球に終わりを告げる魂がたくさんいる。

それは良い悪いではなく、これからさらに次元を上げていく地球に対応して生きていくためには、それにちゃんと対応できるスペックを持っていないとやっていけないから、もはや仕方がない。

となると、映像作品を通じて誰かの人生を疑似体験することや知ることは、ある意味では多くの人間ライフ最終章を迎えた人たちにとって、潜在的に持っている「生まれ変わり」の欲求を満たすツールになっているとも考えられる。


本でもよくあるけれど、いろんな映画やドラマを観ていると時々、暗号のようなメッセージや音波が隠れているのを見つけることがある。

何気なく選んだ作品から、何かのヒントを得るような経験をすることもよくあるけど、そういうことだけじゃなく、超音波みたいにまっすぐ届いてくるサインのようなもの。


作り手がそれを意図している場合もあるし、そうでない場合もあるけれど、ただ「観る」のではなく、第六感みたいなものも意識しながら作品に向き合っていると、視覚や聴覚や感情に訴えかけてくる情報以上の何かがいつのまにか眠っている脳のどこかに形のわからない、でも確かな何かをインプットしているような感覚にとらわれる。


そのせいか、最近は眠りの深さと夢の内容が以前とは大きく変わってきていて、私は眠っている間にパラレルワールドでの出来事をしっかり体感していて、目覚めてもしばらくはそこから戻ってこられずにいたりする。



これがまたなかなか楽しい感覚だということもあって、私は外の世界にほとんど触れないで物語と過ごす今の時間を、こよなく楽しんでしまっている。


ちなみに私は、どんな作品であれ、好きなシーンがあるとそこだけ飽きるまで何度も、時には何十回も繰り返し観る癖がある。


そういうシーンは何度観ても言葉にできない、でも心の真ん中にズドンと落っこちてくる何かがあって、私はその何かを繰り返し体感したくて、観続ける。


その何か、の正体が説明できるようになったら、私も物語を作れるようになるのかもしれない。


さて、今夜は何を観ようかな。
まだ夜は長い。



2015年1月3日土曜日

20150102

昨日、母と妹と三人で、ショートステイの施設にいる母方の祖母に会いに行った。

泣いたり笑ったりしながら私たちを迎えてくれた大好きなおばあちゃんは、今、95歳。
少し前に腰の骨を折って以来、車いすなしで歩くのが難しくなってしまったけど、気持ちはとても元気。

差し入れに、大好物のチョコレートアイスとカステラを買っていったら、嬉しそうにカステラにアイスをつけて食べるハイカラなおばあちゃん。

お洒落も大好きで、私たちの着ているお洋服や、私の作ったジュエリーたちを何度も何度も眺めては、褒めてくれる。


これもデザインしたんだよ、とHIMIKAの指輪を見せたとき、おばあちゃんは私の手をとって、指輪にさわりながらたくさんたくさん褒めてくれたあとで、「おやまぁ、キヨノちゃんとおばあちゃんの手はそっくりだ」と、云った。


重なったふたつの手は、刻まれている時間の長さは違うけど、形も指の長さも爪の大きさもそっくり。

手だけじゃなく、私の容姿はおばあちゃんに似ているところがたくさんある。


嬉しくて、おばあちゃんと手をつないで、笑った。



私はよく母に顔が似ていると云われるし、トーンは違うけど、電話で妹と声を間違われることもある。

母方の一族は血が濃いのかみんな似たような顔をしていて、全員少し舌足らずに話す。

おじいちゃんが亡くなってからは、親戚で集まることもずいぶん減ったけど、それでも時々何かの折に親戚が集まると、性格やライフスタイルや価値観はまったく違っても、やっぱり身体の中に同じ血が流れているんだなぁ、と感じることがある。


血のつながりの不思議。
ひとりで勝手に生まれてきた人はいないから、いつかの誰かからずっとずっとひきついできているのだということに想いを馳せると、なんて途方もないことだろう、と感嘆する。


三河から横浜にお嫁に来たおばあちゃんの家系をたどると、江戸時代まで武家だったことは昔からうっすらと知っていたのだけれど、間違いなく一族にいちばん大きな影響を及ぼしたであろうひとりのご先祖の名前を一年くらい前に知った。

さかのぼること440年前。
その死によって一族の運命を変えたご先祖、鳥居強右衛門。


武田信玄の息子・勝頼と、織田信長・徳川家康の連合軍が戦った長篠の戦いで、武田方に包囲されていた長篠城を守っていた雑兵のひとりだったこのご先祖は、この時一世一代の決断をした。

その決断とは、お城を守る500の兵に対して1万5000の敵に囲まれ、もはや落城寸前だった長篠城から、お殿様の命令で徳川家康のいる岡崎城へ救援を求めに行く役割をかって出ること。

泳ぎが得意で、雑兵ゆえにちっとも顔が知られていなかったご先祖は、夜のうちに下水口から水の中を通って敵に見つかることなくお城を抜け出し、山の上から脱出の成功を知らせる烽火をあげ、その日のうちに走りに走って、岡崎城で援軍の準備をしていた徳川家康と織田信長に謁見し、援軍を要請。

そして、一晩休んでから帰れ、というふたりの優しい申し出を断り、朗報をすぐに味方に知らせようと、来た道をとんぼ返りしてまた山の上から烽火をあげたまでは良かったけれど、火が上がるたびに長篠城から大歓声があがるのを不審に思っていた敵軍につかまってしまう。

そこで、援軍が到着する前に長篠城を落城させたがっていた敵軍の大将・武田勝頼から「援軍は来ないと嘘を伝えれば、身を助け、家臣にとりたてる」という提案をされ、表向きは承諾して、味方に声の届くところまで敵軍とともに行き、嘘をつく代わりに「もうすぐ援軍が来るからそれまでがんばれ!」と叫んで、その場で殺されてしまう。


でも、その死に様が味方の士気を高めて、長篠城は援軍が来るまで持ちこたえ、戦いは織田・徳川軍が勝利。

亡くなったご先祖はその武功により、お城を抜け出す際にお殿様にお願いしていた「もし自分が死んだら妻と子供を頼みます」の願い叶って、子孫はそれからとても厚遇されたのだという。


その話を初めて知った時に思い浮かんだのが、小さい頃から、ちっとも泳げない私におばあちゃんがよく「うちの家系は昔から泳ぐのがとっても上手なんだよ」と得意げに話していたことと、織田信長に対して勝手に抱いていた印象のことだった。

史実では残忍なエピソードをたくさん持っているのに、なぜかとてもいい人という印象が昔から拭えなかったのが、このご先祖のために立派なお墓を作ってくれたのが、仕えていた奥平氏でもその上の徳川氏でもなく、織田信長公だったことを知って、なんとなく腑に落ちた。

実際はわからないけど、予想するにその時代のカリスマみたいな人が自らご先祖の供養を気にかけてくれて、きっと生き残ったご先祖たちはすごく嬉しいやら恐縮したやらだっただろうし、それまでののほほんとしていた生活とは一転、ちょっとした英雄になってしまった強右衛門さんの名に恥じないよう、たぶん多少のプレッシャーも感じながら、真面目に、立派に、品格を持って生きる一族であることを子子孫孫受け継ぐことにしたのではなかろうか。


戦国時代の人口は今の10分の1だというし、さすがに400年も経てばどんどんいろんな血が混じって、私みたいに最近までご先祖のこともよく知らずにいる子孫もたくさんいるのだろうけど、それでもやっぱり、顔つきや話し方が似るのと同じように、先人たちが子孫に託してきた想いもまたDNAのどこかに組み込まれて、私たちに引き継がれているように思われてならない。


強右衛門さんのように現代までその生涯を語り継がれるようなご先祖だけじゃなく、歴史にはなんのドラマティックな話を残さずとも時代を生き抜いて現代まで血をつないできたご先祖たちが数えきれないほどいる。

彼らのひとつひとつの選択の、どれかひとつが欠けていてもひょっとしたら私は今生きていないかもしれない、と思うとそれはもう途方もない奇跡だなぁ、とあらためて感じる。



おばあちゃんの居室は窓側で、外には大きなテラスがあって、空がとてもよく見える。

ちょうどとてもいい雲から光が射していたから、テラスに出て、写真を撮った。


帰り際、おばあちゃんに「淋しくない?大丈夫?」と尋ねたら、おばあちゃんはニコニコしながら、「ここから空を見ていると、雲の形がどんどん変わって、おもしろくてちっとも飽きないよ」と云った。


海と空が大好きなところもたぶん、DNAに組みこまれているのかもしれないな。


最近でこそ物忘れがだいぶ激しくなってしまったけど、それまでずっと毎朝欠かさず一族の健康としあわせ、そして私と妹の良縁を祈ってくれていたおばあちゃん。

これまで一度も云われたことがなかったけど、今回初めて「いい人ができたら、つれてきてね。早くチビちゃんの顔が見たいなぁ」と云われてびっくりした。

私はその願いを叶えられそうにないから我が家では妹にがんばってもらうしかないけど、私は私なりに、先人たちが伝えてきてくれた想いに何かしらの形で応えていけたらいいな、と願う。


以前は、亡くなった大好きなおじいちゃんによく似た超イケメンの男の子を生んで、顔の造作だけじゃない私的超絶いい男に育て上げることを夢見たこともあったけど、別に自分の子どもじゃなくても素敵男子はたくさん育っているのだから、人間の子どもを産んで血をつなぐのは妹にまかせて、私は自分の子どもたる作品たちに心血を注ごうっと。


そういえば、前述の強右衛門さんが一世一代の決断をして死んだのは、36歳の時。
同じ年齢を迎える私も、なんか一世一代の賭けみたいなの、してみたいな。






2015年1月2日金曜日

20150101

また新しい一年のはじまり。

今年の、そしてたぶんこれからの私の人生のテーマは、「空」。


それは、そら、であり、くう、であり、から、であり、あき、でもある。


小さい頃から、しあわせだったり、悲しかったり、さみしかったり、心がよく動くときはいつも、空を見あげた。


そこはいつだって静かで、何もなくて、美しくて、そのときの心の在り様によって目に映る景色が変わった。


そしてそこには、私の憧れや夢や、幸福や感謝や、無数のさよならや痛みや、そういうものがたくさんたくさん昇って、溶けていった。


陽が射せば陽を映し、夜になれば闇や月や星を映し、雨が降れば虹を映す、おおきな透明の鏡。
それ自体はなんの実体ももたず、ただあるがままに姿かたちを変えてゆきながら、とどまることなく変わり続ける。


私は、そういうものでありたい。



先日、久しぶりにお友達のところへエサレンマッサージと滋味ごはんのおもてなしを受けに出かけたら、渋谷の駅前でとても素敵な空に出くわした。



私の身体とたくさんお話しながら、私の身体が今ここにあることを一緒に確かめてくれた友だちは施術が終わったあと「キヨノちゃんは、アマノハラってとこにいたよ。そこは何もないけど満ちたりていて、キヨノちゃんは飽きてるくせにここにいたいって言い張って、こっちの方が楽しいよっていくら呼んでもちっともこっちには来ようとしなかったよ」と云った。



アマノハラ、は大空。
たぶん私はしばらく、あるいはずっと、からっぽのそらをあきあきと漂う、なにもないもので在りつづける。



そういう私に、生きている私のかたちを与えてくれるのはただひとつ、私自身の「心」だけ。

そのかたちを誰かとわけあいたくなったら、きっと私は一生懸命に心を動かして、その時々に思いつく何かを創りだしてゆくのだろう。



今年は、今までやってきたことの中で今もやりたいことを続けて、文化的な生活を送る余裕ができるように生活の手立てももっとちゃんと考えるけど、もうひとつ新しいやってみたいことができたから、それに向けて日々をがんばってみよう。



あぁ、それからもうひとつ。
今年は今まででいちばんたくさん、きれいだよって心から云われる人にもなりたい。