2014年12月28日日曜日

20141227

小さい頃から、貯金の才能が1mmもない私は、入ってきたお金は余すところなくすぐに使ってしまうけれど、使うお金からの有形無形の対価が自分に与える影響の大きさを日々感じる。



昨日ふと、お金の使い途の変化について考えた。



学生気分の延長だった20代前半はとにかく服や靴や自分を飾るものにお金を使っていた。

それから、ライブとCD、遊びバンドのスタジオ代、大好きな彼とのデート費用なんかにも。


ハードワーカーだった20代後半は、背のびのジュエリーやトリートメントやネイル、とにかくわかりやすく自分のテンションをあげてくれるものに。

時々大きな旅行や、一人暮らしの生活に素敵感を足してくれる雑貨や食材も。



お金に対する意識がまったく変わったのは30歳で独立してから。



30代前半、手にしたお金はほとんどが旅とモノ作りの材料、それから、その時縁のある人とのご飯やお茶を楽しみながら過ごす時間や、人への贈り物に変わっていった。



自分の手元に入ってくるお金がすべて顔の見える人からの「ありがとう」と共にやってくるようになって初めて、そのお金の行き先に意識を向けるようになった。


お金と共に自分のところへやってくるいろんな想いによって、私はお金を使うたびに感謝するようにもなったし、時々、責任や重苦しさを感じるようにもなった。


経済的に余裕があってもなくても自分のスタイルを変えられない私はたいてい、没落華族的に優先順位を間違えているおかげで、実際はどんなに困窮していても、周囲にも自分自身すらさほど切迫感を与えないらしいけれど、生きる気力と共に働く気概を失うと云う自分史上初めての状態に陥ったこの一年ちょっとは、どうにかなるのはがんばれる時だけだってことをつくづく実感した。



いつのまにか、私にとっての「仕事」にはいつだって人の想いが付随していたし、そういう仕事だけをしたいと考える傍で、人との関わりや想いを向けられることの一切を拒絶したがる精神状態の中では、生活をなんとかやりくりするための必要最低限のことしかできなかったし、そういう自分に仕事やセンスやアイディアを与えてくれるほど、天も現実も甘くはなかった。



仕事に没頭することでごまかしてきたいろんなことにとことん向き合わざるを得なかった期間はいやはやとてもシビアでしんどくて、私の外側はずいぶん劣化してしまった。


けれど、最終的に自分なりに腹を決めて、内側がようやく得たものを消化した上であらためてきちんと仕事に向き合うことができたのはすごく大きな出来事だったし、この期間のおかげでようやく、これまでの人生の何もかもを全部肯定してやれたようにも思う。



今日は、気のおけない友だちとの時間をハシゴした。


先日の展示で頂いたお金を使って、美味しいコーヒーやハーブティーやご飯やガラス越しの夕焼けや、何よりほとんど中身のない、でもかけがえのない楽しい時間を過ごすことができた。



来年の私がどんな仕事をしているのやら、今はまったく未知だけれど、何をするにしてもきっと、私は再びけっこうがんばれるんだろう。



年の最後にここまでモチベーションを戻せたのはひとえに、これまでやっていた仕事で出会えたすべての人たちのおかげさま。


感謝の気持ちを日々忘れずに、私はこれからもたくさん仕事をして、たくさんお金を使おうと思います。


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