2014年12月30日火曜日

20141230

今日、小鳥の紅ちゃんが天国へ旅立った。


昨日の夜、妹が突然ひどく体調を崩したのと時を同じくして、紅ちゃんも具合が悪くなった。

立っていることも、座ったままでいることもできなくなってしまったから、紅ちゃんはそれから夜の間中ずっと、てのひらの中で過ごした。


前日に母も調子を崩していて、妹にいたっては起き上がることもできないくらいひどかったから、母と妹の部屋がある2階で、ヒーターの前にお布団をひいて、代わりばんこに小さなタオルにくるんだ紅ちゃんをてのひらで包みこんで、ずっとずっと、見守った。


てのひらに伝わってくる紅ちゃんの鼓動は、すごく速くなったり、少し落ち着いたりしながら、コトコトコトコトと可愛い音を響かせる。

呼吸をするたびにフワフワの羽が上下する。


2か月前に見つかった悪性の腫瘍がどんどん大きくなってから、飛ぶことができなくなったり、腫瘍の重みですぐにコロン、と転げてしまったりしながらも、紅ちゃんはいつもとてもいい子にしていて、妹とはいつだって一緒に歌ったり遊んだりしていたし、母の前ではたくさんごはんを食べたし、私がそばにいくとてのひらにもぐりこんで心地よさそうにじっとしていた。


3時過ぎにひどく調子が悪くなってからは、ずっと私のてのひらの中にいた。
顔色は悪かったけど、それでも紅ちゃんは私の親指に頭をもたせかけて、スヤスヤと眠っていた。


深夜4時過ぎ、眠ったり目を開けたり、を繰り返していた紅ちゃんが、タオルをはいだして、直接てのひらに乗りたがった。


すると、それまで真っ青な顔でウトウトと眠っていた妹がふと目を覚まして、紅ちゃんは大丈夫?と私に尋ねた。

その数分後、紅ちゃんの呼吸が少しつらそうになり、それからだんだんゆっくりになって、私が妹の名前を呼んだ瞬間に、紅ちゃんは私のてのひらの中で静かに息をひきとった。


さっきまで、コトコトコトコト可愛い音を立てていた心臓の音が聴こえなくなっても、紅ちゃんは変わらずフワフワで美しくて、なんともいえず愛らしい。


人間でも動物でも、たとえ鼓動が止まっても身体の外側にうすく張っているエーテル体の膜が残っているうちはまだ少しだけ、身体は生き続ける。

大きな声をあげて泣く妹と、静かに涙を流す母のてのひらの中でそれぞれ最後のお別れをするまで、紅ちゃんは美しく愛らしく、生きていた。


それから少しすると、紅ちゃんの身体を包んでいたエーテル体の膜が役割を終え、紅ちゃんのたましいはフンワリと身体を飛び出した。
そして、いつもそうだったように部屋の中をクルクルと飛び回った。

この二か月は自由に飛ぶことができなかったから、きっと嬉しかろうなぁ、と思った。


妹は、私たちのいちばん下の妹であるとともに、妹にとって最愛の親友でもあった紅ちゃんの最後の日にほとんど一緒にいられなかったことを悔やんで、ワーワー泣いた。

だけど私には、具合の悪かった紅ちゃんがほとんど苦しむこともなく、時々ちいさな寝言まで云いながらスヤスヤ眠ってそのまま静かにいのちを終えることができたのはきっと、彼女の苦しみを妹が代わりにひき受けたからだろうし、それは妹にしかできない紅ちゃんに対する最大の愛のかたちだ、と思える。

ふたりはいつも、本当に仲良しだった。

だからきっと、紅ちゃんが息をひきとる直前に妹は目を覚ましたんだろう。


紅ちゃんは、母のことも大好きだった。
母がいちばんつらかった時期、私たち姉妹よりもずっと母のそばにいてくれたのも、紅ちゃんだった。


だからこそ、紅ちゃんはいのちの終わるいちばん切ない瞬間を、母でも妹ではなく私のてのひらの中で迎えることを選んだのだろう。

時々、ほかの小鳥ちゃんのたましいが入りこんでしまう憑依体質の不思議な紅ちゃんは、ほかの人よりもいつもずっと死に近いところにいる私がいちばんたやすく紅ちゃんのいのちの終わりを受け止められることも、わかっていたのかもしれない。


紅ちゃんの身体は、てのひらの中で眠っているときの姿勢のまま、時間を止めた。


9年と9ヶ月。
紅ちゃんは、生きた。
ちいさな身体で、おおきくおおきく、生きた。



さっき、妹と母と三人で、ちいさなお葬式をした。

うちの歴代の小鳥ちゃんたちがみんな眠っている大きな鉢の、最後の空いているスペースの土を掘って、バラのはなびらや葉っぱをしきつめて、みんなで紅ちゃんにいつもの、そして最後のおやすみのお祈りをした。


それぞれの小鳥ちゃんの石が並ぶ鉢の上に、妹が選んできたハート型の虹の入った水晶を紅ちゃんの石として置いたあと、そこにお花のヤントラを作った。

できあがったヤントラはとてもにぎやかで、小鳥ちゃんたちもお花たちもとても嬉しそうにしている。



たとえたましいがそばにいるとわかっていても悲しくて涙が止まらないのは、そのたましいと同じくらいに、さっきまでそこにあった「いのちのかたち」がなお愛おしくてたまらないからだ。

その悲しみが完全に失せることがあるとすればそれはたぶん自分自身も肉体を失って、また同じものになって触れ合える時でしかない。

だからこそきっと、大切な存在の「いのちのかたち」を失ったあとには、そのとてつもない悲しみと背中合わせになっているとてつもない愛しみとともに在りつづけることがまたひとつの、一緒に生きていく、というかたちなんだろう。



年末年始という、ずっとおうちで過ごしながら悲しみや愛しみに向き合える時期を選んでくれたことも、優しい紅ちゃんらしい。



紅ちゃん、ありがとう。

まだしばらく、みんなで泣いちゃうけどさ。

これからもずっとずっと、一緒に生きていこうね。





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