2014年12月7日日曜日

20141206

シャスタの旅に出る少し前に、小鳥の紅ちゃんの肩に小さな腫瘍ができた。


紅ちゃんはこれまで、具合が悪くなるといつも、私のところへつれて来られた。

その小さな身体に触れれば、どこがどんなふうに悪くて、どうすれば良くなるかはわかるから、30分くらい手のひらに包んでいればたいがい、紅ちゃんはケロッと元気になった。


母がどこかに頭をぶつけたり、妹がひどく胃をやられたり、父の首に痛みが出たりした時も、だいたい同じだった。


だから今回も、きっとすぐに良くなると思っていた。


念のために診てもらった近所の動物病院のとても信頼できる先生の見解も、私や妹の見立てとほとんど同じだったから、リスクの高い手術や強いお薬による処置はせず、私たちにできる限りの方法で、紅ちゃんのケアをすることにした。


でも、紅ちゃんの腫瘍は日に日に大きくなっていった。


自分の中でいちばん信じたくない嫌な予感で心がいっぱいになってしまった夜、私は一度だけ禁じ手を使った。

そして翌日妹と母に、紅ちゃんを別の病院でも診てもらおう、と提案した。

車で行かなくちゃいけない距離にある小鳥の専門病院に具合の悪い紅ちゃんをつれていくことに迷いはあったけれど、そのリスクを負う意味が必ずある。
そんな確信があった。


診てくれた先生は、とても冷静で優しくて、患者のことをいちばんに考えてくれる人だった。
ここでもやはり、手術はしないことを前提に他の処置の方法をいくつか提案してもらった。

どの方法にも、それなりにリスクはあった。

でも、その先生が「たとえリスクがあったとしても、何もしないよりは何かした方が確実に本人(先生は小鳥ちゃんのことをこう呼んだ)にとっては苦しみが軽減されるんです」ときっぱり云い放ってくれたことで、決心がついた。


私たちは、紅ちゃんに強いお薬を飲ませてみることにした。

ただし、鎮静剤を打ってCTスキャンをした結果から分析するという医学のセオリーに沿った処方ではなく、経験と知識に基づく先生の感覚による処方をしてもらう方を選択して。


嫌がりもせずにちゃんとお薬を飲んだ紅ちゃんは、副作用でよろめいたり怒ったりしながらも、つらそうだった呼吸は少し楽になったようだった。


その姿を見ながら、ふと考えた。



とても大切なものに対して、自分にできることを一生懸命考えて、やれることをやる。
だけど、自分だけではどうにもならない時には、ちゃんと誰かに頼ったり助けてもらったりしながら、一緒にがんばって、もっともっとできることの知恵をしぼって、もっともっとやれることを増やしてゆく。


潜在的にはてのひらひとつでどんな病気やケガも治してしまえるポテンシャルを秘めている人間という生物が、命に限りを持ち、感覚を鈍化させてゆっくり進化することを定められているのはもしかすると、ひとりの無力さや、それによって気づく他の存在と関わることの大切さやありがたさ、そうして共生するために自分の存在があることを忘れないためなのかもしれない。



さっき、暗がりの中で紅ちゃんを手のひらにそっと包んだ。
フワフワの白い羽の向こうから、コトコトコトコトと、小さな鼓動が響いてくる。


おやすみ紅ちゃん。
明日も良い日でありますように。












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