2014年11月23日日曜日

20141122

先週は半分九州の阿蘇と高千穂にいた。
旅から帰ったら、旅の間に感じたいろんなことを文字にして残したいと思っていたけれど、家で一晩眠ったらもう旅の日々のことは忘れてしまって、私は何も残すことができない。

Facebookのような薄っぺらい日々を綴る場所ではきれいな風景や空気を忘備録ついでに誰かに共有しては日々のいい面だけを残そうとするけれど、いつまで経っても晴れない心はまだ置きどころを見つけられずにいる。

整理できない気持ちやくさくさしている心境なんて公開すべきことじゃないと頭ではわかっていても、そういうふうにしないと文字を書くことすらできないくらい何もかもがおっくうでたまらない。


一日の中でも気分はめまぐるしく変わるから、できるだけ覚えておきたい瞬間だけを切り取って残してはいるけど、実のところはもう一年以上、明るい気持ちで過ごせた日なんて数えるほどしかなくて、あとはずっと不機嫌で鬱々とした日々を送っている。

特に最近は一ヶ月を一年に感じるくらいに体感する時間が長くて、いろんな場所を行ったり来たりしながらいろんな時間を過ごしているけれども、東京に戻ると誰にも会いたくないし誰とも話したくない、自分との対話もしたくないから、小さな部屋の中で頭を殺して目や耳や指先だけを使うようなそんな時間を、砂が水を吸うようにただ、欲している。

周りと自分との世界のピントがずれているのなんて物心ついた時からずっと当たり前だったし、その中でほんの時々視界の焦点が合うような、同じ声のトーンで話ができるような瞬間が訪れた時にだけ感じられるとてつもない喜びがあればそれでなんとかやって来られたはずだったのに、いつからか、そのピンぼけの気持ち悪さを一切受け入れられなくなったのはたぶん、完全にピントが合うことの心地よさを知ってしまったからなのだろう。


心がとても、言葉を求めている。
完全にしっくり来る、ピントの合った言葉を。
それは必ずしも音になって放たれるものではなく、温度だってかまわない。


だけど、それはどこにも見つからない。
私自身ですら、私のために見つけてやることができない。

そのことに対する苛立ちが、日々私の心を蝕んでいく。


なんでこんなに失わなくちゃいけなかったんだろう。
どうしてこんなふうになっちゃったのかな。

いくら考えても納得いく答えなんて見つからないし、真実なんてどこにもないけど、誰かが答えを教えてくれたら少しは楽になるのかな、なんて思ったりもする。


あるものとないもののどちらに目を向けるかは自分次第で、あるものに目を向けていれば世界はきっとバラ色なんだ。

そんなのわかりきっている。
だけど、最初から持っていないものやまだ持っていないものじゃなく、確かにそこにあったはずのものがなくなってしまって、だけど何がなくなったのかよくわからなくてただスペースだけが空いてしまったようなもどかしさをもてあましているうちに、空いた穴はブラックホールになって、私の記憶の何もかもを吸い込んでしまうから、私は昨日の喜びも悲しみもみんな忘れて、ただ常にからっぽの中に居る。


いったいいつまで続くのかな、これ。



今日はひとつ音楽を仕上げた。
仕事としては二束三文の価値しかつけてもらえないかわいそうな曲だけど、今の私がいる世界にいちばん近い音だから、私にとって意味があればもうそれでいいんだろう。





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