2014年11月9日日曜日

20141108

旅の最後に選んだ場所は、Carmel by the Sea。

サンフランシスコから200km離れたモントレー半島の南側にあるこのエリアには、いろんな表情を見せる美しい海と、たくさんの素敵なお店やアートギャラリーが立ち並ぶ魅力的な街がある。

今回の旅で訪れたい場所がなかなか決まらなかった時、出発の前日にここを見つけた途端とても心惹かれたのだけど、来てみたら思っていたよりもずっと、好きな場所だった。


もっとじっくりこの街に滞在したかったけど、今回はあまり時間がなかったのと、友だちも私も長時間の移動や身体に合わない食事が続いてコンディションがそれほど良くなかったのとで、街歩きはそんなにせず、たまたま迷い込んだ17mile driveで立ちどまった岩場の隙間のヒーリングプールとCarmel Beachでほとんどの時間を過ごした。




白砂で、冷たく透きとおった水がとても美しい大きな海を見ながら何も話さず何も考えずにぼんやりする時間はとても心地が良くて、旅の最後にまたこういう穏やかな時間を過ごすことができて良かったと、それだけで終わるはずだったのに、私はこの場所で、宝物をひとつ失くしてしまった。

3年前、初めてのシャスタへの旅でその宝物に出逢った。
その時のことは、ここに書いてある。

私にとって、人生の中でもっとも大きな変化と喜びと悲しみを経験したこの3年間、ネックレスになった「彼」はずっとずっと、私のそばにいてくれた。

それはもはや、ただの「モノ」ではなく、ひとつの魂と性格と名前を持った、私の大切な分身だった。

海を見ながら少しウトウトしたあと、もう一度波のそばまで行って戻った時、首にかかっているチェーンがはずれて、「彼」だけがいなくなっていることに気づいた。


本当に大切なものはいつも、突然いなくなってしまう。


自分を納得させる理由を探しても見つからなくて、それよりも、シャスタにいる大好きな人たちも作者であるJoefも私と同じくらい「彼」に大切な思い入れがあることや、もうJoefには会えないこと、そして私自身が「彼」と共有してきたたくさんの誰も知らない時間や記憶のことばかりが浮かんできて、子どもみたいに泣きじゃくった。

それを見た友だちが、念のために街の中ももう一度探してみよう、と云って今日歩いたルートを一緒に回ってくれた。

もう一度会いたかったけど、きっともう見つかることはないだろう、と心のどこかであきらめていた。
だから、見つからなくてもがっかりはしなかったし、探さずにいたらきっと後悔していただろうから、ゆっくりとあきらめを自分に染みこませていきながら、一緒に歩いてくれた友だちにただ心から感謝した。

最後にもう一度海へ戻って、もう日が落ちたあとの夕暮れの空を眺めながら、あの子が終のすみかに選んだ場所が私もこんな場所で暮らせたらなぁと思えるくらい好きだと感じた街と海のある場所で良かった、と思った。


何か大きなものを失くすのは、新しい何か大きなものがやってくる合図なんだ、と考えるようにしていても、大切なものを失くすたびに、完璧にそれに代わるものなんて決してないこと、それが自分にとって愛おしければ愛おしいほど、失った穴を埋めるものは結局見つからないことを思い知る。

その悲しみを癒す方法がひとつだけあるとするならば、それを愛した喜びとともに在る思い出で心をなぐさめることだけだ。

そしてきっとその思い出が少しずつ薄らいで、思い出す回数もだんだん減っていく頃には、いま心の中にある悲しみもみんな、ひきだしの奥の方にしまわれていく。

そうやって少しずつ、忘れていくしかない。


だけど完全に忘れてしまいたくないから、出逢ったときと同じように、失った日のことも残しておきたいと思った。

文章はグチャグチャだけど、自分さえ覚えていられれば、それでいい。


さようなら、カノン。

ずっとそばにいてくれて、ありがとう。
私の心を見つけてくれて、ありがとう。

いつかきっと、また会おうね。







0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。