2014年10月28日火曜日

20141027

先日、イサム•ノグチの庭園美術館に行った時、円形の石壁で外の世界を遮断したという彼のアトリエの中に、不思議な形の木を見つけた。

ガイドの人に聞いたら、それは大きな楠で、幹を2メートルほどあらかじめ地中に植えてしまって、太い枝から先だけが地上に出るように計算されて植樹されたのだという。


石の形を見た途端にきっとその石の変身した後の姿を浮かべていたであろうイサム•ノグチの目に映っていた世界の有り様を垣間見た時、このところずっと考えていたことのひとつでもある空間の在り方について、ひとつの大きなヒントを得たような気がした。


理想の空間を作ろうとする時、もとからある自然や環境に委ねるのもひとつの方法ではあるけれど、それはある意味安易な分、永続的な完成度は求められないのかもしれない。

変わってゆく可能性の高いものはあくまでも借景にとどめておくくらいが良くて、本当に自分が理想とする心地よい空間というのは、たとえそれがどんなにミニマムなものだとしても、とことん計算しつくして作りあげる方がひょっとすると長くその心地よさを残すことができるのではないか。

なんていうようなこと。


東京に戻って来ると、外に出ても家に帰っても私のいる空間は雑然としている。

頭の中の糸がどんどんこんがらがって、とてもすさんだ気持ちになる心地悪さの中で、あの無作為のようで太陽の光や音までも計算しつくされたぶっきらぼうで美しい空間のことを想うと、少し情けない気持ちになる。


もっともっと、シンプルになりたい。


もっともっと、静かでいたい。


難しいなぁ。















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