2014年10月18日土曜日

20141017

印象的な出来事がふたつ。


今回の滞在では、いったい自分がどこにいるのか時々わからなくなるくらい、英語三昧の日々を過ごしている。

宿屋のお仕事をオーナーさんの代わりに引き受けたら宿泊客が全員外人だし、展示を観に来てくれる人の中でも、ゆっくり観てくれたりお話をしたりするのは外国の人ばかり。


私はなぜかよく英語が話せると勘違いされているけど、実のところ、発音がそれっぽいだけで、まともに会話をする語彙力はあんまりない。

今回はListen to your heart cardの原画33枚を展示しているから、裏に書いてあるメッセージもできる限り英語で伝えたいのに、ちっともうまく伝えられなくて、もどかしい。

それでも、宿の仕事でも展示でもスパルタ英語塾みたいに次から次へと質問をされて、そのたびに、これはどう云えばいいのかな、と考えたり、うまく説明できなかったことをあとで辞書で調べなおして次はこうやって云えばいいのかな、と予習したりしていて、これは本当にいい機会をもらったものだ、とつくづく誰かに感謝している。


そういえば一か月くらい前、猛烈に、もっと英語が話せるようになりたい、練習したいって願ったっけ。
やっぱり、必要な願いは叶うし、叶わない願いは必要じゃないのかもしれない。


そんな中、今日展示を観てくれた方の中に、50代後半くらいのフランス人の男性がいた。
とても丁寧に絵を見てくれた後、旅人とよくする類の世間話をしていたら、その人がおもむろに、私も絵を描くんですよ、ただの趣味ですがね、と言って、大きなリュックの中に入っていたとても素敵な色鉛筆のセットやたくさんの画材が入ったケースを見せてくれた。

旅先に持ってくる趣味にしてはあまりにも本格的なお道具だったから、作品も見たいです!とお願いしたら、彼は一冊の小さな、でも分厚いスケッチブックを見せてくれた。

そこには、この一か月日本を旅している間に見たさまざまなもののことが、日記のような文字と共に描かれていたのだけれど、これがもう素晴らしい。

色鉛筆や黒インクで描かれた詳細な風景画もあれば、渋谷のスクランブル交差点の抽象画や、筆で描いた日本語のカリグラフィもあったし、いろんなフライヤーやパンフレットを切り貼りしたコラージュもたくさん。

そのすべてがとてもハイセンスにまとまっていて、どのページも美しく、それでいて旅の記憶もしっかりと残っている。

絵に関していえば、私には才能も技術もないから、はなから誰とも比べたりしないけれど、こんな素敵なものをサラッと作ってしまう人に作品を観てもらえて本当に嬉しいなぁ、こんなふうに日々を残せたら楽しいだろうなぁ、と会ったばかりのその人に対して尊敬の念を抱かずにいられないほど、私は彼が自分のためだけに作っているそのスケッチブックの中の世界が好きだった。


でも、それをどんな言葉で伝えたらいいのかわからない。
仕方がないから表情とリアクションで表現してみたけど、本当はもっとちゃんと、言葉にして伝えたかった。


するとそのおじさんは私に、「私はきみの作品がとても好きだよ。きみの作品には、“Feeling”がある。私も絵を描くとき、技術よりも何よりも“Feeling”を大切にしているんだ。私はきみの描くものに、自分と同じオーラを感じたよ。」と云ってくれた。

それからおじさんは、仕事をやめて旅をしていること、お金はないけれど、たくさんの自由な時間の中でいろんな人やものとのひとつひとつの出会いがいかに素晴らしく楽しく、それらに出会えることがいかにしあわせかを実感していること、そういう生き方を選ぶことができて良かったと心から思っていることを、とても優しい目で語ってくれた。

その言葉たちがスーッと私の中に入ってきたのはきっと、それがおじさんの心からの言葉だったからだろう。


おじさんとの別れ際に、私も心からの言葉で“Really nice to meet you."と云っておじさんに握手を求めたら、その優しい目に涙が浮かんでいた。


夕方、ギャラリーを閉めたあとで郵便ポストをのぞいたら、一枚の絵ハガキが入っていた。


裏側に、フランス語でのその絵の作者についての紹介と、その絵が飾られた展示会の詳細が書かれており、その一部分、人の名前のところに線が引かれていた。

それは、おじさんの名前だった。さっきのスケッチブックの中に、カタカナで「リチャード」と書かれたカリグラフィがあって、覚えていた。


気になって、あとからその名前を調べてみたら(これができてしまうインターネットは便利だけどおそろしい)、おじさんはフランスのいろんな美術の学校でずっと先生をしていた人だった。
おじさんはきっと私にはフランス語はわからないと思っているだろうけど、おじさん、私、実は仏文科だったんだ・・・。

趣味だなんて、とんだ嘘だ。
だけど、おじさんはきっと、先生をやってるなんて言ったら相手が臆してしまうのをわかっていて、私が自分のことを話しやすいような空気を作ってくれた。

きっとおじさんの生徒たちはみんな、こういうふうに向き合ってもらいながら、自分のスタイルを見つけていったんじゃないだろうか。


私は絵についてきちんとした教育を受けたわけじゃないけど、自分なりのアートを創る上で大切なことはいつも誰かが教えてくれる。

そういう巡りあわせに出くわせることに、心から感謝した。


おじさんに会うことはもう二度とないかもしれない。
でも、いつか私がおじさんの住んでいるモンサンミッシェルの近くで展示をやることができたら、また会えるかもしれない。

そんな新しい夢を、おじさんは私にくれた。



そして夜にもまた、もうひとつ不思議な対話があった。


宿泊のお客さんカップル(外人)がお昼間の出がけに私の目の前でものすごい大ゲンカをして、そのままふたりは一日中別行動をすることになったのだけれど、男性の方が途中で戻ってきた時に、恥ずかしいところを見せてしまって申し訳ない、とわざわざ謝りにやってきて、少しばかり話をした。

夜になって、部屋を追い出されてしまったその男性が何か食べるものが入っているらしいビニール袋を持ったまま中庭のテラスに座ってしょんぼりしているので、中にテーブルがありますよ、と食卓に通したら、ありがとう、と云って来たものの、“Are you OK?"と尋ねた瞬間に、“I'm not OK”と応えて、涙ぐんでしまった。

私の二倍くらいありそうな大きな人がしょんぼりして泣いてしまっては放っておくわけにもいかず、その上、レストランがぜんぶ閉まっていて唯一買えた食べ物がこれだった、というビニール袋の中にお水とバナナしか入っていないのにびっくりしてしまって、明日の朝用に美味しいパンを買ってあるけど、食べますか?と尋ねたら、小麦アレルギーでパンは食べられないんだ、というからさらに気の毒になってしまい、少し考えて、自分の夕食用に支度していた焼き魚とご飯とお味噌汁にサラダをつけて、彼に出した。

すると今度は彼の方がびっくりして、お金を払うよ、と云われたのだけど、お金をもらうような代物ではないし、別にしなくてもいいことをしているわけだから、「私はいつも悲しい気分のときに友達や誰かと一緒にご飯を食べたり作ってもらったりすると元気が出るから、同じことをするだけ」みたいなことをなんとか伝えたら、彼はなんとも言えないような顔をして、それからお魚を食べて、すごく美味しい、ありがとう、と笑って、みるみるうちに元気になっていった。


それから、お互いにこれまで見たいろんなアートの話から、音楽の話になり、彼も音楽をやっている人だというのがわかり、私の作った音楽に興味を持ってくれたのでiPhoneに入っていたforumiをかけたらご飯を食べている間に最初から最後までしっかり聴いてくれて、ご飯のお礼のお世辞ではなく心からの賛辞や、きみは自分の音楽をもっとたくさんの人に聴いてもらうべきだ、とか、ライブをやった方がいい、とかいろんなことを云うので、話を変えようと作品の説明をしだしたら今度はforumiが生まれたいきさつのとてもプライベートで込み入った話になり、そこからさらに宗教論になり、私の話す神さま論やそこに至るまでの経緯が彼にとってはとても興味深いものだったことから、実は彼も子どもの頃からサイキックだったことや、家族や彼自身の信仰上の理由でそのことと信仰との折り合いがつかずにずっと悩んできたこと、それをほとんど人に話せなかったことも教えてくれた。


まさかしょんぼりバナナからここまで話が発展するとも思わず、しかもすごくおもしろい話だったから、時間も忘れて話し込んでいたら、お散歩から戻ってきた彼女が鬼の形相で立っていて、そのままふたりは2Fに上がり、私はそのあと地元の中学生の英語のクラスをやって自分のご飯を作って後片付けをして猫の世話をして、なんてことをしているうちに、ふたりはどちらかが出ていくこともなく眠りについていて、とりあえずホッとした。


彼女とも少しだけ話をしていて、ふたりともとても繊細で優しい人たちだったから、明日は笑顔になってくれたらいいな、と思う。
一方で、彼女にとっては私のしたことはとても腹立たしかったかもしれない、たぶんこういうところがいけないんだろうな、と反省したりもした。


彼との会話を通してふと、私は日本人として、そして女性として生まれてきた時点で、「受け入れる」という素質をすでに持っていたことや、気づかないうちにそれに救われてきたであろう部分がたくさんあったかもしれないことに気づいた。


そして、こんな一期一会の中でも、人は誰かと向き合うたびに何かしら気づくことがあって、それが何気ないようですごく大切なことだったり、それでも明日になったら行き過ぎていったりすることそれ自体がとても不思議な奇跡のように感じられた。



と同時に、まだなんとなくの感覚でしかないけれど、これから自分の歩んでゆく道の先にあるものがほんの少しだけその輪郭を現してきたような、そんな気もしている。



なんにせよ、慣れないお宿仕事と展示とでほとんど休む暇もない数日の疲れがピークに達していたから、こういうふうに丁寧に人と話す時間を一日に二度も持つことができたのは、私にとってすごいご褒美。



大切なことは、やっぱりもう、この流れの中に含まれているんだ。



今日あった出来事とそこから感じたことを、対話の不足からギクシャクするようになってしまった大事な友達に伝えたい、と思ったけど、これを書いていたら長くなりすぎて私の充電が切れそうだから、またあらためてタイミングが来たらお手紙を書こうと思う。


明日の朝は、いちだんと心をこめて朝ごはんを作ろう。
たとえ、ほとんど切るだけだとしても。



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