2014年10月8日水曜日

20141008


月食には「死と再生」のエネルギーがひそんでいる。

必ずしも魂と身体の在り方だけが死と再生を示すわけではなく、人生の中での大小さまざまな別れや出会いもまた、小さな死と再生のように私には感じられる。


10日前に、一枚の絵が完成した。
ずっと描きたかった、『永遠の一瞬』の絵だった。

完成したばかりのその絵をお気に入りの窓辺にたてかけた数秒後、窓の外から突風が吹いて、絵がバタン、と倒れた。

あわてて絵を起こすと、大きな亀裂が入っていた。


呆然とする私に、その絵を描くきっかけと場所とを与えてくれた人が、これは亀裂が入ったことで完成したんだよ、となぐさめるように言ってくれた瞬間、完成したことでひとつの終わりを迎えたはずのその絵が新しい生を始めたような気がした。


二度ともとに戻せない亀裂は、いくつかの新しい記憶を瞬時に与えた。

風のせいで忘れえなくなったその場所の気配。手放すつもりで描いたものへの強い愛着。大きな絶望の奥で叶ったささやかな願い。信じる強さ。

それらはみんな、描きたかったものが目の前にある幸福感に満ちた完成の瞬間には存在しなかったもの。


亀裂の入る前と後、どちらがこの絵の完成形だったのか、わからない。

けれども、五感が体験した何ひとつそのままの形で残すことができないように、あらゆる喜怒哀楽も、悟りも絶望もやすらぎも信頼も失うことも愛することも、なにもかもが形を変えながら通り過ぎてゆく繰り返しの中で、自分にとっての永遠の一瞬をひとつならず刻みこむことができたというそれ自体、偶然のような顔をした何かがくれた奇跡だ。

ちなみにこの絵を実際に見た人の幾人かから、きれいな空と海だね、朝陽にも夕陽にも月にも見える、と同じことを言われた。
私が描いたのはただ、これまで私と出会ってくれた愛しい存在たちへの感謝と今生きている喜びと、それらと融合して再生したこれからの自分の顔だったのだけれど、つたない画力のせいだとしても、人の目にはそれがこよなく愛する海や空や太陽や月に重なるのは、おもはゆくて、嬉しかった。


さっき出がけに、近所の老夫婦が空を見上げていた。
つられて同じ方向を見ると、月がもうかけ始めていた。

神秘的ですねぇ、とおばあさんが私に語りかけて、少しだけ一緒に月を見た。
嬉しくて、乗りこんだバスに誰もいなかったのをいいことに、もう月がかけ始めましたよ、と運転手さんに話しかけたら、同じ年頃のその人は、ほんとうだ!これから赤くなるんですよね、とバスのアナウンス用ではない声で笑って、信号待ちの数秒間、また一緒に月を見た。

渋谷駅の歩道橋ではたくさんの人たちが同じ方向にカメラを向けていた。


死と再生が同時に訪れるその瞬間を待ちわびる人の顔に浮かぶのは、少しの畏怖と輝く目、そしておそらく無意識の、笑顔、だった。


目に焼きつけたはずの月の光も、交わしたほほえみも、一生忘れたくないと願った瞬間でさえも、私はみんな、忘れてしまう。


それでも共に重ねた一瞬はあますところなく、私の魂のどこかで、永遠に輝き続ける。




『永遠の一瞬』
718mm×518mm
木板、アクリル、顔彩、オイルパステル、箔、ダイヤモンド










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