2014年12月30日火曜日

20141230

今日、小鳥の紅ちゃんが天国へ旅立った。


昨日の夜、妹が突然ひどく体調を崩したのと時を同じくして、紅ちゃんも具合が悪くなった。

立っていることも、座ったままでいることもできなくなってしまったから、紅ちゃんはそれから夜の間中ずっと、てのひらの中で過ごした。


前日に母も調子を崩していて、妹にいたっては起き上がることもできないくらいひどかったから、母と妹の部屋がある2階で、ヒーターの前にお布団をひいて、代わりばんこに小さなタオルにくるんだ紅ちゃんをてのひらで包みこんで、ずっとずっと、見守った。


てのひらに伝わってくる紅ちゃんの鼓動は、すごく速くなったり、少し落ち着いたりしながら、コトコトコトコトと可愛い音を響かせる。

呼吸をするたびにフワフワの羽が上下する。


2か月前に見つかった悪性の腫瘍がどんどん大きくなってから、飛ぶことができなくなったり、腫瘍の重みですぐにコロン、と転げてしまったりしながらも、紅ちゃんはいつもとてもいい子にしていて、妹とはいつだって一緒に歌ったり遊んだりしていたし、母の前ではたくさんごはんを食べたし、私がそばにいくとてのひらにもぐりこんで心地よさそうにじっとしていた。


3時過ぎにひどく調子が悪くなってからは、ずっと私のてのひらの中にいた。
顔色は悪かったけど、それでも紅ちゃんは私の親指に頭をもたせかけて、スヤスヤと眠っていた。


深夜4時過ぎ、眠ったり目を開けたり、を繰り返していた紅ちゃんが、タオルをはいだして、直接てのひらに乗りたがった。


すると、それまで真っ青な顔でウトウトと眠っていた妹がふと目を覚まして、紅ちゃんは大丈夫?と私に尋ねた。

その数分後、紅ちゃんの呼吸が少しつらそうになり、それからだんだんゆっくりになって、私が妹の名前を呼んだ瞬間に、紅ちゃんは私のてのひらの中で静かに息をひきとった。


さっきまで、コトコトコトコト可愛い音を立てていた心臓の音が聴こえなくなっても、紅ちゃんは変わらずフワフワで美しくて、なんともいえず愛らしい。


人間でも動物でも、たとえ鼓動が止まっても身体の外側にうすく張っているエーテル体の膜が残っているうちはまだ少しだけ、身体は生き続ける。

大きな声をあげて泣く妹と、静かに涙を流す母のてのひらの中でそれぞれ最後のお別れをするまで、紅ちゃんは美しく愛らしく、生きていた。


それから少しすると、紅ちゃんの身体を包んでいたエーテル体の膜が役割を終え、紅ちゃんのたましいはフンワリと身体を飛び出した。
そして、いつもそうだったように部屋の中をクルクルと飛び回った。

この二か月は自由に飛ぶことができなかったから、きっと嬉しかろうなぁ、と思った。


妹は、私たちのいちばん下の妹であるとともに、妹にとって最愛の親友でもあった紅ちゃんの最後の日にほとんど一緒にいられなかったことを悔やんで、ワーワー泣いた。

だけど私には、具合の悪かった紅ちゃんがほとんど苦しむこともなく、時々ちいさな寝言まで云いながらスヤスヤ眠ってそのまま静かにいのちを終えることができたのはきっと、彼女の苦しみを妹が代わりにひき受けたからだろうし、それは妹にしかできない紅ちゃんに対する最大の愛のかたちだ、と思える。

ふたりはいつも、本当に仲良しだった。

だからきっと、紅ちゃんが息をひきとる直前に妹は目を覚ましたんだろう。


紅ちゃんは、母のことも大好きだった。
母がいちばんつらかった時期、私たち姉妹よりもずっと母のそばにいてくれたのも、紅ちゃんだった。


だからこそ、紅ちゃんはいのちの終わるいちばん切ない瞬間を、母でも妹ではなく私のてのひらの中で迎えることを選んだのだろう。

時々、ほかの小鳥ちゃんのたましいが入りこんでしまう憑依体質の不思議な紅ちゃんは、ほかの人よりもいつもずっと死に近いところにいる私がいちばんたやすく紅ちゃんのいのちの終わりを受け止められることも、わかっていたのかもしれない。


紅ちゃんの身体は、てのひらの中で眠っているときの姿勢のまま、時間を止めた。


9年と9ヶ月。
紅ちゃんは、生きた。
ちいさな身体で、おおきくおおきく、生きた。



さっき、妹と母と三人で、ちいさなお葬式をした。

うちの歴代の小鳥ちゃんたちがみんな眠っている大きな鉢の、最後の空いているスペースの土を掘って、バラのはなびらや葉っぱをしきつめて、みんなで紅ちゃんにいつもの、そして最後のおやすみのお祈りをした。


それぞれの小鳥ちゃんの石が並ぶ鉢の上に、妹が選んできたハート型の虹の入った水晶を紅ちゃんの石として置いたあと、そこにお花のヤントラを作った。

できあがったヤントラはとてもにぎやかで、小鳥ちゃんたちもお花たちもとても嬉しそうにしている。



たとえたましいがそばにいるとわかっていても悲しくて涙が止まらないのは、そのたましいと同じくらいに、さっきまでそこにあった「いのちのかたち」がなお愛おしくてたまらないからだ。

その悲しみが完全に失せることがあるとすればそれはたぶん自分自身も肉体を失って、また同じものになって触れ合える時でしかない。

だからこそきっと、大切な存在の「いのちのかたち」を失ったあとには、そのとてつもない悲しみと背中合わせになっているとてつもない愛しみとともに在りつづけることがまたひとつの、一緒に生きていく、というかたちなんだろう。



年末年始という、ずっとおうちで過ごしながら悲しみや愛しみに向き合える時期を選んでくれたことも、優しい紅ちゃんらしい。



紅ちゃん、ありがとう。

まだしばらく、みんなで泣いちゃうけどさ。

これからもずっとずっと、一緒に生きていこうね。





2014年12月28日日曜日

20141227

小さい頃から、貯金の才能が1mmもない私は、入ってきたお金は余すところなくすぐに使ってしまうけれど、使うお金からの有形無形の対価が自分に与える影響の大きさを日々感じる。



昨日ふと、お金の使い途の変化について考えた。



学生気分の延長だった20代前半はとにかく服や靴や自分を飾るものにお金を使っていた。

それから、ライブとCD、遊びバンドのスタジオ代、大好きな彼とのデート費用なんかにも。


ハードワーカーだった20代後半は、背のびのジュエリーやトリートメントやネイル、とにかくわかりやすく自分のテンションをあげてくれるものに。

時々大きな旅行や、一人暮らしの生活に素敵感を足してくれる雑貨や食材も。



お金に対する意識がまったく変わったのは30歳で独立してから。



30代前半、手にしたお金はほとんどが旅とモノ作りの材料、それから、その時縁のある人とのご飯やお茶を楽しみながら過ごす時間や、人への贈り物に変わっていった。



自分の手元に入ってくるお金がすべて顔の見える人からの「ありがとう」と共にやってくるようになって初めて、そのお金の行き先に意識を向けるようになった。


お金と共に自分のところへやってくるいろんな想いによって、私はお金を使うたびに感謝するようにもなったし、時々、責任や重苦しさを感じるようにもなった。


経済的に余裕があってもなくても自分のスタイルを変えられない私はたいてい、没落華族的に優先順位を間違えているおかげで、実際はどんなに困窮していても、周囲にも自分自身すらさほど切迫感を与えないらしいけれど、生きる気力と共に働く気概を失うと云う自分史上初めての状態に陥ったこの一年ちょっとは、どうにかなるのはがんばれる時だけだってことをつくづく実感した。



いつのまにか、私にとっての「仕事」にはいつだって人の想いが付随していたし、そういう仕事だけをしたいと考える傍で、人との関わりや想いを向けられることの一切を拒絶したがる精神状態の中では、生活をなんとかやりくりするための必要最低限のことしかできなかったし、そういう自分に仕事やセンスやアイディアを与えてくれるほど、天も現実も甘くはなかった。



仕事に没頭することでごまかしてきたいろんなことにとことん向き合わざるを得なかった期間はいやはやとてもシビアでしんどくて、私の外側はずいぶん劣化してしまった。


けれど、最終的に自分なりに腹を決めて、内側がようやく得たものを消化した上であらためてきちんと仕事に向き合うことができたのはすごく大きな出来事だったし、この期間のおかげでようやく、これまでの人生の何もかもを全部肯定してやれたようにも思う。



今日は、気のおけない友だちとの時間をハシゴした。


先日の展示で頂いたお金を使って、美味しいコーヒーやハーブティーやご飯やガラス越しの夕焼けや、何よりほとんど中身のない、でもかけがえのない楽しい時間を過ごすことができた。



来年の私がどんな仕事をしているのやら、今はまったく未知だけれど、何をするにしてもきっと、私は再びけっこうがんばれるんだろう。



年の最後にここまでモチベーションを戻せたのはひとえに、これまでやっていた仕事で出会えたすべての人たちのおかげさま。


感謝の気持ちを日々忘れずに、私はこれからもたくさん仕事をして、たくさんお金を使おうと思います。


2014年12月24日水曜日

20141223

4日間の展示が終了。

私は入口に背を向ける形で展示スペースの奥で作業をしていたのだけれど、振り返ったらいつのまにか小さな展示スペースが人であふれかえっていてビックリ、という瞬間が何度もあった。

テーブル2つ分のちいさな展示だったにも関わらず、終わってみたら100人近いお客さんが来てくれていて、本当に嬉しい限り。


シャスタからやってきた石たちも、2/3くらいは持ち主のもとへ旅立っていった。
残った子たちはしばらく私とともに休憩しながら、次の場所へ一緒に行くことになるんだろう。


たぶん傍から見たら今回の展示はそれほど違和感のないものだったと思うけど、私にとってはひとつの大きな賭けだった。

うまくいく確信がないわけじゃなかったけど、崖っぷちに立っているようなスレスレ感の中で日々準備をしていたから、不安も少なからずあった。


でも、今の自分の身の丈に合った規模で、その中でできうる最大の手間をかけて出してみたものが、たくさんの人に喜んでもらえただけじゃなく、ビジネスとしてもこれまでみたいにマイナスをゼロにするだけじゃなく、次につなげていける結果を出せたことで、正直とっても安心している。


来年のことはまだなんにも決めていないけど、私は今みたいな形で、できうる限りお客さんの顔を見ながらひとつひとつの作品を丁寧に仕上げていく作業はやっぱり続けていきたいな、と思う。

美しいものや、お気に入りになったものと出会って嬉しそうに笑う人の笑顔は、いつだってすごい宝物みたいに心を温めてくれる。


とりあえず年内は、展示期間中に作りきれなかったオーダー品たちを仕上げる作業に専念するつもり。


しんどい一年だったけど、終わり良ければすべてよし、だな。



足を運んでくれたすべての人に、心から感謝。

今夜は久しぶりに、10時間くらい眠るんだから!




2014年12月21日日曜日

20141220

小品展『シャスタからやってきた石たち』が始まった。



とても寒い雨の日だったにも関わらず、たくさんの方がいらしてお気に入りの石を見つけてくれて、とっても嬉しかった。


今回の展示では、原石も多く、アクセサリーもほとんどパーツだけ作って、どうしたいかは持ち主のご希望で決めていこう、という感じにしている。



初日だけでも予想以上の数の石たちがお嫁に行った。
嬉しいやら淋しいやらだけど、最終日の4日目まで、できるだけたくさんの人にキラキラの石たちを見てもらえるといいな。


最近は週に2回くらい友だちに会ったり、必要なものの買い出しに出かけたりする以外はずっと家にこもって、作業をするか映像作品を観るか、作業をしながら映像作品を観るか、という生活をひたすらしていた。


たぶん150~200本くらいの映画やドラマやドキュメンタリーを観ながらおうちで穏やかに過ごす日々はなかなか心地が良くて、ひょっとすると展示が終わっても冬の間はこの調子で過ごすことになるかも、なんて思っているのだけれど、展示の前日に少しくらい身だしなみを整えなくちゃ!と美容院に行って久しぶりにちゃんと鏡を見たら、顔がおてもやんみたいに丸くむくんでいて、これはマズい、と顔面蒼白。


おまけに前夜は恒例のほぼ徹夜作業だったから、クマまでできて、そりゃあまぁお見苦しいお顔でみなさんにお目にかかってしまったわけだけど、それでもやっぱり、展示でいろんな人に会えるのは嬉しいし、楽しい。


今回の展示では、石たちひとつひとつにどうしても自己紹介文をつけたくて、石たちと対話しながら短い文章を作っていったのだけれど、体調的にも絶不調だった前夜に最後までがんばれたのは間違いなく、毎週いちばん楽しみに観ていたドラマ『Nのために』の最終回が完璧だったからに違いない。



もとい、今回の作業中にどうしてこんなにも映像作品にハマッたんだろうなぁ、ということを考えていて、思いついたことがある。

私は、文章を考える時は無音がいいし、絵を描く時は音楽をかけるとテンションがあがるのだけれど、アクセサリーを作る時にいちばん聴いていたい音は、「言葉」なのだ、ということ。

ひょっとするとただ単に今の自分のモードが「言葉」に向いているからなのかもしれないけれど、最初はこの作業をしたらこれを観る、のローテーションだったのが、次第に、一度観たことのある作品や、映像自体を観なくても音だけが入ってくれば事足りる番組を流しながら作業をするようになったら、なんだかとても、はかどった。

今まで、石を扱う時にはとにかく空間の波動や自分自身のエネルギーを清浄にすることに気を配っていたけれど、それよりも、たくさんの人がみんなで一生懸命になってひとつのものを創りだした時に生まれる化学反応のバイブレーションとか、自分が「好きで」選んだものを「好んで」いる私自身のバイブレーションやリズムに合わせて制作をしていたら、できあがったものたちもみんな、どこかワクワクしたエネルギーを放つようになっていた。

これはとても嬉しい発見。


まぁ、傍目から見ればかなり地味な毎日。
でも、わりと気に入っている。



そういえば、今日久しぶりに会いに来てくれた方が、このブログのシンプルさが今の私に合っていてすごく好きだ、と伝えてくれた。


文章を読んでもらえること、誰かが私の発信する何かを楽しみにしてくれていることは、やっぱりとても嬉しい。


さぁて、明日もしっかり働きましょうかね。

2014年12月8日月曜日

20141207

新幹線に乗って、あの子に会いに行った。

12年ぶりのはずなのに、まるで先週も会っていたみたいに違和感なく、私たちの時間が戻ってくる。

小さなクラフト市を見て、ランチをして、示し合せたみたいに互いに自作のプレゼントを持ってきて。

お散歩して、喫茶店に根を生やして、電車に乗って、また歩いた。


懐かしい会話のトーン。心地よい無言の時間。同じ笑うツボ。ジッと見るあの子に、目を伏せて話す私のクセ。気張らない、でも確かな先の約束。

そうだ、私たちはいつもこんな感じだったっけ。


2度目のご飯の途中で、またこんなふうに会えるなんて思わなかったな、とあの子がつぶやく。

ごめんね、の代わりに、ありがとう、と応える。

どうしているのかわからなくても空白をまったく感じなかったのは、12年間お互いにずっと悲しみと痛みでつながりながら、一緒に生きていたからだったんだと知った。


いろんないろんな感情を乗り越えて、あの子が私の人生に帰ってきてくれた。

これからは失ったよりもたくさんの喜びや楽しみを分け合いながら、一緒に生きていきたいな。

今までの人生でいちばん苦しかった2014年の終わりに、とびきりのご褒美をもらった気がする。


本当に本当に、ありがとう。



2014年12月7日日曜日

20141206

シャスタの旅に出る少し前に、小鳥の紅ちゃんの肩に小さな腫瘍ができた。


紅ちゃんはこれまで、具合が悪くなるといつも、私のところへつれて来られた。

その小さな身体に触れれば、どこがどんなふうに悪くて、どうすれば良くなるかはわかるから、30分くらい手のひらに包んでいればたいがい、紅ちゃんはケロッと元気になった。


母がどこかに頭をぶつけたり、妹がひどく胃をやられたり、父の首に痛みが出たりした時も、だいたい同じだった。


だから今回も、きっとすぐに良くなると思っていた。


念のために診てもらった近所の動物病院のとても信頼できる先生の見解も、私や妹の見立てとほとんど同じだったから、リスクの高い手術や強いお薬による処置はせず、私たちにできる限りの方法で、紅ちゃんのケアをすることにした。


でも、紅ちゃんの腫瘍は日に日に大きくなっていった。


自分の中でいちばん信じたくない嫌な予感で心がいっぱいになってしまった夜、私は一度だけ禁じ手を使った。

そして翌日妹と母に、紅ちゃんを別の病院でも診てもらおう、と提案した。

車で行かなくちゃいけない距離にある小鳥の専門病院に具合の悪い紅ちゃんをつれていくことに迷いはあったけれど、そのリスクを負う意味が必ずある。
そんな確信があった。


診てくれた先生は、とても冷静で優しくて、患者のことをいちばんに考えてくれる人だった。
ここでもやはり、手術はしないことを前提に他の処置の方法をいくつか提案してもらった。

どの方法にも、それなりにリスクはあった。

でも、その先生が「たとえリスクがあったとしても、何もしないよりは何かした方が確実に本人(先生は小鳥ちゃんのことをこう呼んだ)にとっては苦しみが軽減されるんです」ときっぱり云い放ってくれたことで、決心がついた。


私たちは、紅ちゃんに強いお薬を飲ませてみることにした。

ただし、鎮静剤を打ってCTスキャンをした結果から分析するという医学のセオリーに沿った処方ではなく、経験と知識に基づく先生の感覚による処方をしてもらう方を選択して。


嫌がりもせずにちゃんとお薬を飲んだ紅ちゃんは、副作用でよろめいたり怒ったりしながらも、つらそうだった呼吸は少し楽になったようだった。


その姿を見ながら、ふと考えた。



とても大切なものに対して、自分にできることを一生懸命考えて、やれることをやる。
だけど、自分だけではどうにもならない時には、ちゃんと誰かに頼ったり助けてもらったりしながら、一緒にがんばって、もっともっとできることの知恵をしぼって、もっともっとやれることを増やしてゆく。


潜在的にはてのひらひとつでどんな病気やケガも治してしまえるポテンシャルを秘めている人間という生物が、命に限りを持ち、感覚を鈍化させてゆっくり進化することを定められているのはもしかすると、ひとりの無力さや、それによって気づく他の存在と関わることの大切さやありがたさ、そうして共生するために自分の存在があることを忘れないためなのかもしれない。



さっき、暗がりの中で紅ちゃんを手のひらにそっと包んだ。
フワフワの白い羽の向こうから、コトコトコトコトと、小さな鼓動が響いてくる。


おやすみ紅ちゃん。
明日も良い日でありますように。












2014年12月6日土曜日

INFORMATION



小品展「シャスタからやってきた石たち」



date:
2014年12月20日(土)~23日(火祝)13:00~19:00

place:
代々木上原
「小さな談話室S」

東京都渋谷区
西原3-18-5-303
>>map





レムリアのエネルギーを現在も色濃く残す地、マウントシャスタ。

聖なる山のふもとに佇む小さな街には、とても素敵な石屋さんがたくさんあります。

この展示では、シャスタタウンにある三つの石屋さんからヒミキヨノが厳選してきたたくさんの原石たちと、その石たちで作ったアクセサリーたちを飾ります。

はじめから素晴らしいエネルギーに満ちていた石たちは、シャスタのスプリングウォーターやメディスンレイクのお水とミラクルムーンの光を浴び、とびっきりおめかしをして一緒に日本へ帰ってきました。

今回は特に、シャスタ山のSerpentineやAndara Crystal、Star Seed Crystal、Soulstar Crystalなど、シャスタならではの石を中心に、「本来の自分」や「ありたい自分」へ導く石たちを選んできました。

キラキラの石たちと、それから私たちとおしゃべりをしに、ぜひ遊びにいらしてくださいね。



*期間中、展示している石以外にもふだん使用している小さな石たちを使ったアクセサリーなどもお作りできます。
お気軽にご相談くださいませ。

*ライブアートをご希望の場合には、準備の都合上、事前にお知らせくださいますようお願い致します。









2014年12月2日火曜日

20141202

12年ぶりに届いた一通のメールが、ずっと曇っていた心に光を射してくれた。

止まっていた時計が、動き出すような気がした。








2014年11月23日日曜日

20141122

先週は半分九州の阿蘇と高千穂にいた。
旅から帰ったら、旅の間に感じたいろんなことを文字にして残したいと思っていたけれど、家で一晩眠ったらもう旅の日々のことは忘れてしまって、私は何も残すことができない。

Facebookのような薄っぺらい日々を綴る場所ではきれいな風景や空気を忘備録ついでに誰かに共有しては日々のいい面だけを残そうとするけれど、いつまで経っても晴れない心はまだ置きどころを見つけられずにいる。

整理できない気持ちやくさくさしている心境なんて公開すべきことじゃないと頭ではわかっていても、そういうふうにしないと文字を書くことすらできないくらい何もかもがおっくうでたまらない。


一日の中でも気分はめまぐるしく変わるから、できるだけ覚えておきたい瞬間だけを切り取って残してはいるけど、実のところはもう一年以上、明るい気持ちで過ごせた日なんて数えるほどしかなくて、あとはずっと不機嫌で鬱々とした日々を送っている。

特に最近は一ヶ月を一年に感じるくらいに体感する時間が長くて、いろんな場所を行ったり来たりしながらいろんな時間を過ごしているけれども、東京に戻ると誰にも会いたくないし誰とも話したくない、自分との対話もしたくないから、小さな部屋の中で頭を殺して目や耳や指先だけを使うようなそんな時間を、砂が水を吸うようにただ、欲している。

周りと自分との世界のピントがずれているのなんて物心ついた時からずっと当たり前だったし、その中でほんの時々視界の焦点が合うような、同じ声のトーンで話ができるような瞬間が訪れた時にだけ感じられるとてつもない喜びがあればそれでなんとかやって来られたはずだったのに、いつからか、そのピンぼけの気持ち悪さを一切受け入れられなくなったのはたぶん、完全にピントが合うことの心地よさを知ってしまったからなのだろう。


心がとても、言葉を求めている。
完全にしっくり来る、ピントの合った言葉を。
それは必ずしも音になって放たれるものではなく、温度だってかまわない。


だけど、それはどこにも見つからない。
私自身ですら、私のために見つけてやることができない。

そのことに対する苛立ちが、日々私の心を蝕んでいく。


なんでこんなに失わなくちゃいけなかったんだろう。
どうしてこんなふうになっちゃったのかな。

いくら考えても納得いく答えなんて見つからないし、真実なんてどこにもないけど、誰かが答えを教えてくれたら少しは楽になるのかな、なんて思ったりもする。


あるものとないもののどちらに目を向けるかは自分次第で、あるものに目を向けていれば世界はきっとバラ色なんだ。

そんなのわかりきっている。
だけど、最初から持っていないものやまだ持っていないものじゃなく、確かにそこにあったはずのものがなくなってしまって、だけど何がなくなったのかよくわからなくてただスペースだけが空いてしまったようなもどかしさをもてあましているうちに、空いた穴はブラックホールになって、私の記憶の何もかもを吸い込んでしまうから、私は昨日の喜びも悲しみもみんな忘れて、ただ常にからっぽの中に居る。


いったいいつまで続くのかな、これ。



今日はひとつ音楽を仕上げた。
仕事としては二束三文の価値しかつけてもらえないかわいそうな曲だけど、今の私がいる世界にいちばん近い音だから、私にとって意味があればもうそれでいいんだろう。





2014年11月15日土曜日

20141114

東京に戻ってきて96時間のうちたぶん60時間くらい、ドラマや映画などの映像作品をただひたすら観続けている。

観ている作品に共通しているのは「現実に存在する景色」の中で「ありそうでなさそうなフィクション」が「好みの俳優さんたち」によって「日本語で」繰り広げられる、ということ。


これは10代の頃から時々やってくる波で、今まではどうしてこの波が定期的にやってきて、あるタイミングになるとスーッと何もなかったかのように引いて行くのかよくわからなかったけど、なんとなく、私の中のとあるパワーゲージのレベルをあげるために必要としている作業なのかも、なんて思っている。

ひどい肩こりに、低い電流をゆっくりゆっくり流し続けていつのまにか血行を良くするような、そんな感じ。


どの作品も、ガツンとストレートに「そこ」に刺さったりはしない。
軽く掠ればいいくらい。
だからこそ、とにかく数が必要になる。

何も考えずに、目の前で流れていくそれぞれの時間や実感のない虚構の想いや景色に身をゆだねて、頭の中を誰かの言葉でいっぱいにして、自分の言葉を消していく。

それを繰り返していくうちにだんだん、無口になっていた「私」の心が話しだす。
そしてそれは色になったり音になったり言葉になったり形をさまざまに変えながら、外に出て行こうとする。


その時が来るのを、ゆっくりゆっくり、待っている。



そんな中、さっき妹がお金を片手に私の部屋へやってきて、「明日着けていくピアスのオーダーをしたいんですけどー」というので、まだ全然創作モードではなかったけど、シャスタで選んできたStar Seed Lemulianという種類のクリスタルにブラックダイヤモンドとルチルクォーツをあしらった片耳用のピアスをひとつ作ったら、天使みたいなフォルムのとっても美しいピアスができあがって、なんとなく、前途が明るくなった。

つくづく、しあわせな仕事をしているもんだ。









2014年11月10日月曜日

20141109

11日間の走行距離は、日本列島縦断と同じ、2500km。

疲れたけど、いい時間だった。



空港に着いたら、なぜかやたらと人々の親切を受けて。

自分たちだけでもできることを、みんなが手伝ってくれるような。


がんばりすぎるのも悪くないけど、だんだんそういうのが嬉しくなってる。





それからさっき、フードコートのEbisuというお店でラーメンを食べたら美味しくて、そこのマネージャーさんが今度ラスベガスにラーメン屋さんを出す情報を友だちが入手してきたので、新しいお店もうまくいきますように!と持っていた作品のひとつをお渡ししたら、キッチンからずっとニコニコ私たちを見ていた人がお寿司をお持たせしてくれた。

(写真を撮る前に、出国審査の時にひっくりかえっちゃった)


私はラーメンとお寿司、あんなちゃんはラーメンと天丼で迷ってのふたりともラーメンをチョイスしてたから、頂いたお寿司に海老天が入っていて、ふたりで笑った。


欲しいものは必要ならすぐにやってくる。

そしてそれはいつも、喜びと共に。



大きな穴を埋めるのは大きな何かじゃなくて、たくさんのこういう小さなしあわせがいい。



わりとタフでわりと繊細な女子二人の旅は、これでおしまい。



東京に帰ったら、一生懸命働こう。


なんて云いながらまたすぐに、お散歩に出かけてしまうけど。


2014年11月9日日曜日

20141108

旅の最後に選んだ場所は、Carmel by the Sea。

サンフランシスコから200km離れたモントレー半島の南側にあるこのエリアには、いろんな表情を見せる美しい海と、たくさんの素敵なお店やアートギャラリーが立ち並ぶ魅力的な街がある。

今回の旅で訪れたい場所がなかなか決まらなかった時、出発の前日にここを見つけた途端とても心惹かれたのだけど、来てみたら思っていたよりもずっと、好きな場所だった。


もっとじっくりこの街に滞在したかったけど、今回はあまり時間がなかったのと、友だちも私も長時間の移動や身体に合わない食事が続いてコンディションがそれほど良くなかったのとで、街歩きはそんなにせず、たまたま迷い込んだ17mile driveで立ちどまった岩場の隙間のヒーリングプールとCarmel Beachでほとんどの時間を過ごした。




白砂で、冷たく透きとおった水がとても美しい大きな海を見ながら何も話さず何も考えずにぼんやりする時間はとても心地が良くて、旅の最後にまたこういう穏やかな時間を過ごすことができて良かったと、それだけで終わるはずだったのに、私はこの場所で、宝物をひとつ失くしてしまった。

3年前、初めてのシャスタへの旅でその宝物に出逢った。
その時のことは、ここに書いてある。

私にとって、人生の中でもっとも大きな変化と喜びと悲しみを経験したこの3年間、ネックレスになった「彼」はずっとずっと、私のそばにいてくれた。

それはもはや、ただの「モノ」ではなく、ひとつの魂と性格と名前を持った、私の大切な分身だった。

海を見ながら少しウトウトしたあと、もう一度波のそばまで行って戻った時、首にかかっているチェーンがはずれて、「彼」だけがいなくなっていることに気づいた。


本当に大切なものはいつも、突然いなくなってしまう。


自分を納得させる理由を探しても見つからなくて、それよりも、シャスタにいる大好きな人たちも作者であるJoefも私と同じくらい「彼」に大切な思い入れがあることや、もうJoefには会えないこと、そして私自身が「彼」と共有してきたたくさんの誰も知らない時間や記憶のことばかりが浮かんできて、子どもみたいに泣きじゃくった。

それを見た友だちが、念のために街の中ももう一度探してみよう、と云って今日歩いたルートを一緒に回ってくれた。

もう一度会いたかったけど、きっともう見つかることはないだろう、と心のどこかであきらめていた。
だから、見つからなくてもがっかりはしなかったし、探さずにいたらきっと後悔していただろうから、ゆっくりとあきらめを自分に染みこませていきながら、一緒に歩いてくれた友だちにただ心から感謝した。

最後にもう一度海へ戻って、もう日が落ちたあとの夕暮れの空を眺めながら、あの子が終のすみかに選んだ場所が私もこんな場所で暮らせたらなぁと思えるくらい好きだと感じた街と海のある場所で良かった、と思った。


何か大きなものを失くすのは、新しい何か大きなものがやってくる合図なんだ、と考えるようにしていても、大切なものを失くすたびに、完璧にそれに代わるものなんて決してないこと、それが自分にとって愛おしければ愛おしいほど、失った穴を埋めるものは結局見つからないことを思い知る。

その悲しみを癒す方法がひとつだけあるとするならば、それを愛した喜びとともに在る思い出で心をなぐさめることだけだ。

そしてきっとその思い出が少しずつ薄らいで、思い出す回数もだんだん減っていく頃には、いま心の中にある悲しみもみんな、ひきだしの奥の方にしまわれていく。

そうやって少しずつ、忘れていくしかない。


だけど完全に忘れてしまいたくないから、出逢ったときと同じように、失った日のことも残しておきたいと思った。

文章はグチャグチャだけど、自分さえ覚えていられれば、それでいい。


さようなら、カノン。

ずっとそばにいてくれて、ありがとう。
私の心を見つけてくれて、ありがとう。

いつかきっと、また会おうね。







2014年11月7日金曜日

20141106


朝、サクラメントリバーヘッドウォーターで二日分のお水を汲んで、シャスタにさよなら。

またいつでも来られるとわかっていても、やっぱり淋しい。

一路、400kmの道のりを、今度は南へ向かう。


アメリカにいると、どうしてこの国はなんでもかんでもこんなに大きいんだろう、とつくづく不思議な気持ちになる。

同じ人間だけど、ふだん目にする景色の大きさがあまりにも違うから、身体のサイズも食べ物もコップも落ちているドングリでさえもビッグサイズになるんだろうか。


15時過ぎに、今日の宿泊地であるCalistogaのIndian Springsに到着。
火山灰100%のマッドスパ(泥風呂)と地下水をくみ上げたミネラル&ソルトのお風呂に入ってみたくて寄ることにしたのだけど、来てみたら予想以上にアメリカンセレブたちの保養地みたいな場所。

日中はまだ温かくて、水着とビーサンにローブをはおって敷地内をうろうろできる。

どうがんばってもセレブ感を漂わせることのできないちんちくりん日本人の私たちだけど、貧富の差を感じさせるロッジの階段やあわや裾をひきずるXLのローブやプールサイド沿いに腕でカニ歩きしないと立ち行かないプールの深さにもめげずにプールやスパを満喫。

プールは心地よさよりもそこに来る人の気の重さでかえって調子が悪くなったけど、マッドスパとミネラル&ソルトバスは、空間も時間の配分もぜんぶが素晴らしかった。

中でも、素っ裸の人々を手際よくケアしてくれるふたりの女性がとても明るく優しい人たちで、たぶん彼女たちからすると子どもみたいに見えるこのちんちくりん2人組にも丁寧に親切に、何よりも快適に楽しめるようくまなく配慮してくれたおかげで、シャスタでの寒さや長時間ドライブで凝り固まっていた身体や顔だけじゃなく心もすっかりほぐれて笑顔。


最近旅をするたびに毎回思うことだけど、結局どこにいてもいちばん肝心なのは、そこにいる人たちの発する「気」なんだ。

シャスタをとても好きだと思うのは、あの街に住んでいる人たちややってくる人たちがおおかた親切で穏やかで、急いだりイライラしたりしていないというところもやっぱりすごく大きいんだな。

たとえば今夜入ったレストランはレビューの評判はすごく良かったし味も上品だったけど、ナパの近くに来たのにワインを飲まない、食事も小鳥の餌ほどしかオーダーしないけれどもチップだけは律儀に払う日本人に対してニコリともしない目も合わせない店員さんが持ってきてくれたご飯はやっぱり、あんまり美味しくない。


私は好きなものも多いけど、人間としての器がたいして大きいわけじゃないから、嫌いなものがいっぱいある。

こういう小さな差別に対して嫌悪感を抱くのは、差別されることにたいする劣等感や優越感が心の中にあるから気になるということでもあるように、何かを嫌うというのは結局自分の中になんらかのブロックがあるだけで実はとても愚かなことなのだけど、時々がっかりすることは、本当はとても大切にしておかなければならないことを当たり前にしてしまわないための感激の種だとこじつけてしまえば、すぐに忘れてしまう程度の小さながっかりがいっぱいあるのもひいてみればそう悪くはない。


実際、ご飯を食べた帰り道にみた満月はダイヤモンドみたいにキレイで、思ったよりも冷え込んで震えながら帰った部屋はとても暖かくて快適で、顔も身体もツルツルのホカホカでパリッと糊の利いたシーツにくるまって眠れることがしあわせで、さっきのご飯もなんだかんだ美味しかったよね、と記憶をすりかえられてしまう。


そんなもんだ。


それにしても、私は結局のところ、ヒッチハイクと野宿でシャスタへの旅を乗り切るヒッピーにも、保養地でとっても高価なワインをどんどん開けて優雅なディナーを楽しむセレブにもなることなく、ちょこっとハードだったりちょこっと優雅だったりしながらやたらとたくさん旅をする庶民として今回の人生を終えるんだろうな、なんてどうでもいいことを書いている間に、隣で友だちは布団もかけずに眠っている。




2014年11月6日木曜日

20141105

シャスタで過ごす最後の日。
今日は、何も書かない。
















2014年11月5日水曜日

20141104

今日はとても大仕事の日。

選んだ400個近い石たちをつれて、朝からHedge Creek Fallsへ。
日本でもどこでも、疲れた石たちは自然のあるところやきれいなお水のあるところにつれていくとそれだけでキラキラとした輝きを取り戻すけれど、たくさんの石たちを人の迷惑にならずにキレイにする作業をするために、今回はこの場所をお借りすることにした。


流れる水の方が浄化力が高いけど、直接水底に石を置くと小さいものが砂に埋もれたり流されたりしてしまうので、今回はザルを使ってのちょっと間抜けなクレンジング。

相性の良い石たちをグループ分けして、しばらく滝の水があたるところでクレンジングをして、タオルドライして、またしまう、の繰り返し。
日本でも石を買ったら同じように適した水のある場所へ出かけてこの作業をいつもしているわけだけど、石を売る人々は数多く居れども自己満足のためとはいえここまで手をかける人はきっとそうはいないだろう。



滝の水しぶきで石たちだけじゃなく私もビショビショ。
これが夏だったら喜ばしいのだけど、冬だからちょっとせつない。
でも、石たちが嬉しそうにどんどんキラキラ度を増していくのを見ると、冷たいのもちっとも苦にならない。

私が繰り返しこの作業をしている間に、友人は一生懸命にストーン水なるものの制作に励んでいて、ふたりとも黙々とそれぞれの仕事に打ちこんだ。

石の作業がぜんぶ終わったあとは、Dunsmurの街へ。
モスブレーの滝にもう一度行きたかったけど、一度事故があって以来立ち入り禁止区域になっている入り口から線路を眺めた時、見えてはならないモノが見えたので、代わりに街で休憩することに。

美味しいラテが飲みたいなぁ、とつぶやきながら街を少し歩いて(残念ながら、Dunsmurの火曜日はほとんどのお店がお休みだった)見つけた一見ちょっと入りにくいカフェでラテと自家製のラズベリー&バナナフレンチトーストをふたりで半分こでおっかなびっくりオーダーしたら、両方ともあんまりに美味しくて、最終日にリピート決定。
やっぱり、早起きして仕事をすると、いいことがあるんだな。


まだ午前中だったから、午後はこれまで行ったことのないShasta LakeとLake Siskyouへ行ってみることに。


車で一時間ほど南下したところにあるShasta Lakeは、湖畔ではなく、ビジターセンターのある湖とダムを見下ろす見晴らしのいいピクニックスポットでおにぎりを食べながらしばしのんびり。

ここ何日かで訪れていた場所はどこも大好きなスポットなのに、とにかく寒くてあんまり長い時間いられないのが残念だったけど、ここはとても暖かくてお天気も良かったから、小鳥の声以外なんの音もない静けさの中でずいぶんとゆっくりできた。


帰り道の途中、時間調整のような回り道をしてたどり着いたLake Siskyouはちょうど日が落ちる時間。
停まった駐車場からちょうど右手に見えるシャスタの山が夕陽に照らされて、白からオレンジ、そしてピンクに色を染めていく様はとても幻想的。



実は今朝、心身ともにとても調子が悪かった。
というよりも、シャスタに着いてからずっと。

せっかくシャスタにいてとてもとても良い旅をしているのに、なんでこんなに調子っぱずれなんだろう、なんでこんなにイライラするんだろう、と自分でもわからなかったのだけれど、湖から山を見ながらふと、あぁ今ようやく、心がちゃんと開いたんだ、と思った。

この旅が始まってから、頭の中にはいつも言葉がグルグル廻っていた。
それはみんな起きた出来事を記録しておくための言葉、つまりはこのブログに書くような忘備録だった。
それだけ、忘れたくない出来事や誰かと共有したい出来事がたくさんあった。

その一方で、いわば心のバロメーターみたいなもうひとつのブログには、一切何も書くことができなかった。

この旅が始まってからずっと、心のいちばん奥にある扉が閉じたままだった。
そこにはいちばん大切なものが入っているはずなのに、私はそれをシャスタにいる大きな存在に見せるために来たのに、ひょっとしたらまだ空っぽかもしれないという恐怖を拭い去れなくて、私はその扉を開けることができずにいたのだろう。

そして、日々の楽しい「出来事」と「作業」で自分を忙しくして、そのことに気づこうともしていなかった。
身体も感情も思考もぜんぶが、一生懸命サインを出していたのに。

ほんとうに進歩がないなぁ、と苦笑しながら、大きく深呼吸して、思いついた好きな歌を声に出して歌ったら、扉を閉めていた鍵は簡単に開いた。

シャスタを出る前に気づくことができて、本当に良かった。


夜はおうちご飯のあと、ふたりで裏庭のテラスへ。

前回シャスタに来た時はちょうどスーパームーンで、ものすごくパワフルなお月様が見られたから、今回の満月をシャスタで過ごすかどうかとても悩んだのだけど、いろんな偶然が重なって、明後日の夜は別の場所で過ごすことになっていた。

だけど期せずして171年ぶりの13夜のミラクルムーンが今夜だと知って、これはもう最適だ!とばかりに寒いのもなんのその、友だちは自家製ストーン水を、私は選んできたすべての石たちをテラスの上にみんな並べて、月光浴。


これはその一部。
水でも大喜びだった石たちは、月明かりに照らされてとても心地よさそうにまたキラキラ光りだす。

日本に戻って、それぞれが持ち主の手にわたってからもずっと、このキラキラがいつでも取り戻せればいいな、と思う親心。
石たちに話しかける私の声は、人間に話しかけるときよりずっと優しい。
人間ともこのトーンで話せるといいんだけどな。ゆがんでる。

明日はシャスタで丸一日過ごせる最後の日。
心の目と耳をちゃんと開いて、山で待っているあの大きな存在と向き合おう。















2014年11月4日火曜日

20141103

街にひとつのパン屋さんに朝いちばんで焼きたてのパンを買いに行くところから始まった今日も、とってもいいお天気。

アメリカンサイズのオリーブ&タイムのパンとチョコレートデニッシュに、前々日の夕食で作ったミネストローネとフルーツで、私たちなりの優雅な朝食タイム。

シャスタにはスーパーマーケットがいくつかあるけれど、食材を買うのはBerryvaleというオーガニックスーパー。

私は別にそれほどオーガニック志向ではないけれど、野菜でもなんでもやっぱり元気のいいものを身体には入れていたい。

旅先でも体調のことを考えるとやっぱり外食ばかりだと身体が疲れてしまうから、できるだけ自炊できる時は自炊する。

今回はお出かけする時にいつもおにぎりを作って持っていくのだけど、シャスタのお水を使ってお鍋で炊くご飯はとっても美味しい。


朝食後にお茶を飲んでいた時、キッチンの窓から見えたシャスタ山の景色にあっ!と声をあげて、ふたりで急いで外に出た。


三年ぶりに見る、シャスタ山の帽子雲。
もう少しまあるい円盤みたいな雲は秋の時期だけに見られるシャスタ山の風物詩。
前回は夏だったから、お水に入れたりいろんなことができて楽しかったけど、この雲を見られなかったことだけが心残りだった分、喜びもひとしお。

上手に写真が撮れそうなスポットを探してお散歩していたら、SISSON MEADOWSという看板のある場所にたどり着いた。

山をさえぎるものが何もない草原にはたくさんの小鳥たちが飛び回っていて、なんとものどかで心地の良い空間。

雪でパンサーメドウズへ行けなかった代わりに新しい素敵スポットを見つけられて、嬉しい。

実は一晩かけてなんとも嫌な感じの夢を見続けたり、仕入れの日だというのに起きたらまた円安が進んでいたりで一日の始まりはあんまりいい気分じゃなかったけど、美味しい朝食とこのお散歩のおかげですっかり元気になれた。


そんな今日はずっとお仕事day。

午前中には購入したい石のリストや頼まれた人たちに必要な石のチャネリングをし、午後からいよいよ買付けスタート。

今回のシャスタ滞在は正味あと3日間しか残っていないから、今日一日でほとんど買付けを終わらせて、明日はまた一日かけて買った石たちをみんな滝や好きな水のあるところへつれていってエネルギーをクリア&チャージする予定だから、かなり集中して石選び。

最初から信頼しているお店でしか買わない分、ほかで石を選ぶときのようなエネルギーの消耗はなくて、ただただ楽しく石たちと対話しながら、つれて帰るものを決めていく。

あんまりお金に左右されないように決めたいところだけど、自分の「欲しい」だけで探してしまうとだいたい非売品だったり、小さい石でも2800ドル(30万円)みたいな値段がついていたりして、まったくあてにならない。

石の価格というのはすごく難しくて、よっぽど大きいものは別としても、大きさはあんまり関係なく、透明度やカットの仕方や形や種類の希少性の方がずっと価格に影響する。

私の場合、ジュエリーや持ち歩くための石がほとんどだから、おのずとサイズは小さくなるけれど、その分形や輝きにはとことんこだわって選ぶ。


今回はスコットがずっと一緒にいてくれて、特別に2階のストックルームに隠れているまだお店に並んでいない石たちも見せてもらえたおかげで、とても質のよいアンダルクリスタルを始め、本当に素晴らしい石たちを選ばせてもらうことができた。

そして、途中には彼のクリスタルボウルの演奏も聴かせてくれた。
彼の奏でる音はとても繊細で、優しい。
ふだん、人の演奏するボウルの音を聴くことはほとんどないから、やわらかな音の中に漂う時間は短いながらとっても心地よかった。

そのあとには、好きなボウルを勝手に選んで、思う存分遊ばせてもらった。

スコットは私の選ぶ音やボウルと私とのエネルギーの調和の仕方をとてもとても褒めてくれるし愛してくれるから、調子に乗って歌まで歌ったりしながら、しばらくクリスタルボウルを鳴らした。

本当はボウルも欲しいけど、さすがにそれは、我慢。
いつか、このお店のようにたくさんのクリスタルボウルが私の開くお店にも並んでいるといいなぁ、なんて淡い夢を見る。


ほかのお店も含めて閉店の時間まで買付をして、いったん家に戻って今夜は外へご飯を食べに行ったあと、さっきまでずっと、事務作業。

これまではたくさん石を買って、概算だけ把握しておいて後はなんとなく全体的に帳尻が合えばいいや、みたいな感じでアクセサリーを作ったりしてきたけど、最近とても残念なことに郵送したオーダージュエリーや修理品の未払いが重なって帳尻があわせられなくなってしまったし、ちゃんと仕事として成り立たせていくためには苦手なこともできるようにしておかないと結局困るのは自分だから、友だちに手伝ってもらいながらひとつひとつの石の情報を残していく。

おかげで今日は正直ブログを書く元気もないくらいクタクタになっていたのだけれど、さて寝ようか、というところで、そういえば今日まだブログ書いてないんじゃない?という友だちの一言で書かないわけにいかなくなって、今に至る。


とはいえ、こんなに楽しいことが仕事だなんて、しあわせ以外の何者でもないのもよくよく知っている。


さあこれで今日の作業はぜんぶおしまい。
今夜は楽しい夢を見たいなぁ。




2014年11月3日月曜日

20141102

私も友だちもなんだか眠れなくてやたらと早起きだったシャスタ3日目。

身支度を整えたあと、友だちにも手伝ってもらいながら一時間ばかり仕事をし、日曜日のよそゆき朝ご飯にLily'sのエッグベネディクトを頂いた。


ここは朝食メニューもオーガニックのコーヒーもとってもとっても美味しいのだけど、日本人にはなかなかボリュームがありすぎて、食べ終わると夕方までおなかが空かない。




午前中は、シャスタの街から車で40分ほどのところにあるLower Fallsと、そこから往復4kmのトレイルを歩いてしか行くことのできないMiddle Fallsへ。

夏にはたくさんの人が飛びこんでは水の冷たさに悲鳴をあげるLower Fallsも、今日はほとんど人もいなくて、のんびり。


童話に出てくる森へ迷い込んでしまったかのような素敵な遊歩道では、風が揺らす葉ずれの音と遠くに聴こえる鳥の声、そして川のせせらぎの中に自分たちの足音だけがザクザクと響く。

森林浴というよりは、どことなく瞑想に近いような感覚で30分ほど歩くと、くじけそうになった頃に突然、Middle Fallsが現れる。


できるだけ近くまで寄ろうにも、ゴツゴツとした大きな岩の向こうはもう広い滝壺。
流れる水の清らかさをずっと感じていたい気持ちと、足のすくむような恐怖とがせめぎ合う。


このふたつの滝の上流にはさらにUpper Fallsという車でしか行けない場所があるのだけれど、今回はそこはスキップして、シャスタでいちばん好きな場所、Medicine Lakeへ向かう。

Medicine LakeまではこのLower Fallsから距離でいうと70kmほどなのだけれど、ここは行きと帰りで体感距離もかかる時間もなぜかまったく違う上に、途中で突然雪道が現れたりもして、行きは本当に遠く感じて心が折れそうになった。

それでも、たどり着いてしまえばつらかったことなんてみんな忘れてしまう。


湖だけれど、穏やかな海のように小さな波が打ち寄せる湖面を眺めていると、ただただ心がやすらいで、ニュートラルな、それでもどこかぬくもりのある静けさを取り戻す。

今回はさすがに指先を少しつけただけでも手が真っ赤になるくらい水が冷たかったから、水に入ることはできなかったけど、夏の暑い日には一日中そこに浮かんでいたくなるくらい、水の中にいると優しい癒しのエネルギーに満たされる。

ずっと水が怖かった私が大人になって初めて水面に浮かんで空を見る喜びを知ったのも、この場所だった。

泳げないのは今もなおだけど、足のつく範囲であれば今や喜びいさんでどんな水にも浮かべるようになったのだから、多少は成長しているんだろう。

水に入れない私の代わりに、昨日選んだ石たちを波打ち際に置いた。
まるでお風呂に入っているみたいに心地よさそうな石たちが流されてしまわないよう注意を払いながら、どんどんキラキラ光っていく石たちに見惚れる。

私は本当に、石が好きなんだと思う。


隣では友だちが、日本の友だちから預かってきたたくさんの石たちをお風呂に入れている。
毎回シャスタに一緒に来ている彼女はいつも友だちのために石たちをありとあらゆる場所でキレイにしている。

今回も、滝から流れる水辺やシャスタ山のバニーフラットの雪の上や、サクラメントリバーヘッドウォーターのほとりなど、行く先々で小さなお店屋さんを開いていて、それを見るたびに可笑しくなる。

Medicine Lakeで彼女のブレスレットが切れて、あぁ、きっと変化の始まりだね、なんて話していたのだけれど、そのあと私がひとりで音を録ろうと砂の上でたたずんでいたら、砂の一カ所がキラリと光る。

歩いてそこまで行くと、小さなハート型にダイヤモンドみたいにキラキラ光る小粒の石がはまった赤い石を発見。
この旅にまた一緒に来られた記念に、と車の中で寝ぼけていた彼女にプレゼントした。
次にここに来るとき、私たちはいったいどんなふうに変わっているのかな。


Medicine Lakeからシャスタの街へ戻り、閉店10分前だったけどThe Crystal Roomをのぞいたら、ガラスの向こうに目をまんまるくして驚いている私の大事な友だちの姿が見えた。


お店が閉まったあと30分くらい、店内の石たちを見せてもらいながら、大興奮でどれだけ驚いていてどれだけ嬉しいかを子どもみたいに語るスコットと過ごした。

彼にあったらきっと、前回のシャスタの旅からの2年間に起こったさまざまな出来事について話さずにはいられないだろうと思っていたけれど、言葉はうまく出てこなくて、そのかわりにほほえみだけが口元にずっと浮かんでいた。


明日は一日かけて石の仕入れに集中する日。
行くべき場所にはぜんぶ行って心身ともにかなりクリアな状態になっているし、頼んでくれた人たちのためにも、今日はたっぷり眠って、最高のコンディションで挑もうと思う。



2014年11月2日日曜日

20141101

朝、車で10分ほど走ったところにあるHedge Creek Fallsへ。

ここへ来たのは初めて。
以前、シャスタのどこかのお店にあった地元の人が作っている小さなガイドブックに載っていたこの滝。

駐車場から5分ほどの短いトレイルの先にある小さな滝のそばには、精霊たちがいっぱい。


これは、滝の裏側から谷を眺めたところ。
ここにいると、身体がみるみるうちにい透明になっていく。


前日の雨予報と寒さで、今日は遠出せずにいようか、なんて云っていたけど、空がだんだん晴れて来たのを見たら出かけずにはいられなくなって、そのまま90kmほど離れたところにある大好きなBurney Fallsまで行ってしまうことに。


いつもより早い時間に着いたからなのかウィンター期間に入ったからなのか、パーク内には誰もいなくて、雄大な滝のエネルギーをすっかりふたり占め。

東京にいる時でも、身体が疲れたり気が重たくなったりするとここの景色を思い出してセルフクレンジングをしているのだけれど、この場所に来るといつも、何もかもをリセットしてやり直したくなるような、そんな気持ちになる。

Burney Fallsに来るのはいつも旅の始まりの頃で、シャスタに来るたびに最初の数日は自分の中にある要らない感情と向き合う羽目になる。

前回ここに来てから2年間にはずいぶんいろんなことがあって、それなりにかなりシンプルになったはずだけど、たったひとつだけまだどうしても拭い去れない感情が在る。

まったくいつになったら・・・と半ばあきれながらも、その感情にもうつきあいきれなくなっている自分との折り合いの付け方は、まだ見つけられずにいる。



ひそかにジェットコースターロードと呼んでいる89号線は、紅葉で色づいてとってもカラフル。

行きがけにうわぁ!と声をあげるくらいその彩りの美しさに目を奪われた場所を友人がしっかり覚えていてくれたおかげで、帰りには車を停めてしばしその雄大な景色を眺めることができた。

もうお昼もすぎていたから、McCloudの街にほんの少しだけ立ち寄って、暗くなる前に一度シャスタ山に行ってみることに。

遠くから見る山はもうすっかり雪景色。

以前、冬にシャスタへ行った友人が、パンサーメドウズには入れず、途中のキャンプスポットでもあるバニーフラットも雪が50cmくらい積もっていたというのを聞いて、果たしてどこまで入れるかしら、と車で上っていくうちに、少しずつ地面に雪がちらちら。


バニーフラットに着くと、一面雪の大地。
そこから先の道路は、今日からClosedになっていた。

昨日来ていればパンサーメドウズまで上がれたのかもしれないけど、不思議と残念な気持ちはなくて、むしろどこかホッとしてしまった。


2年前、パンサーメドウズでシャスタの神さまみたいな存在に宣言した約束を、私はまだ果たせていない。
果たせないままシャスタに来ちゃったことがどこか自分に後ろめたかったけど、パンサーメドウズに入れなかったからまぁいいや、この次こそがーんばろ、と開き直った。


雪の中をザクザク歩いていると、少しだけ離れた距離で私とまったく同じ速度で同じ方向に向かっていく男性が。

手に太鼓を持ったその人は目が合うとにっこり笑ってピースサインをして、それからある地点でふたり同時に足を停めると、大きな石に足をかけ、太鼓を叩きながら何かの祈りの歌を歌い始めた。

そのバイブレーションがとても心地よくて、私も目を閉じて、彼のお祈りにこっそり参加。

風が動いて、山のエネルギーが頂上から吹き降りてくるような感覚。
そういえばシャスタの山に来るといつもこうして誰かしらと一緒に祈りを交わす。

祈りの一節が終わったところで彼に向かってありがとう、と手を合わせてお辞儀をすると、その人はおどけたように大きくお辞儀をして、それから今度はさっきより低い声でまた祈りの歌を歌う。

こういう不思議な一期一会にふわふわすることももうなくなったけど、それでもやっぱり、どこか必然のような偶然に出くわすたびに、何か大きなものに感謝する。


街に戻ったあと、二軒ある大好きな石屋さんの片方に出かけて、キラキラ光る素敵な石たちの選定第一弾。

シャスタの石屋さんにある石たちももとはさまざまな場所から仕入れられているものではあるけど、シャスタという土地の空気が石たちに特別なエネルギーを与えてくれていること、そして何より、好きなふたつの石屋さんはそのお店をやっている人たちのエネルギーがそれぞれとても優しくて清らかで、そこにある石たちはこよなく愛されている。

それは私自身の目指す姿でもあるし、いま私が体感している空気を石たちを通じてここへなかなかこられない人たちにも伝えたい。


街で食材を買い、またサクラメントリバーヘッドウォーターにお水を汲みに行ったら、とても素敵な一期一会がひとつ。

今回、お水を汲んで持ち歩くように友人が100円ショップでガチャピンとムックのビニール製の水筒みたいなやつを買ってくれていたのだけれど、それを持っていたら、レディングからお水を汲みに来ていたお父さんと5歳くらいの男の子の親子に、それ、どこで買ったの?いいなぁ!とものすごくうらやましがられた。

その人は日本人の血が少し入っているらしく、とても日本のことが大好きで、日本のアニメーションやグッズもすごく好きなのだという。

そこで、良かったらどうぞ、とその水筒を差し上げたら、え!いいのかい!?と驚きながらも、飛び上がらんばかりに喜んでくれた。

そのあと、芝生の方へ歩いていたら、その男の子が走ってきて、私たちにそれぞれ小さな貝殻をふたつずつくれた。

それは、シャスタレイクで拾った貝殻なのだという。

きっとお父さんと一緒に出かけて見つけた大切な宝物だったのだろうけれど、何かお返しをしたいと思ってくれたのがすごくわかって、嬉しくて、思わずその愛くるしい子をギュッと抱きしめた。

とてもとても、いい時間だった。


早めにおうちに戻ったら、キッチンから見えるシャスタのお山が夕陽に照らされてオレンジ色に染まっていた。


寒くてなかなかスピーディーには動けないけど、今までとはちがうシャスタの表情を見られることを、とてもしあわせに感じている。




2014年11月1日土曜日

20141031

昨晩はサンフランシスコに一泊。

泊まったモーテルでセルフサービスの朝食をとって(ここの朝食はあれこれ選べるだけじゃなく、ワッフルを自分で焼いたりして遊べてしかも予想外の美味しさでびっくり)、朝焼けの中を出発。

サンフランシスコ市内のおそろしい道路や、視界がまったく見えない大雨の中をギャーギャー騒ぎながら車を走らせること、5時間半。
走行距離、450km。

午後1時過ぎに、シャスタの街へ到着。

秋のシャスタはちょうど紅葉で、今まで見たことのない景色。

雨で山は見えないけど、澄んだ空気に自分の心と身体がどんどんなじんでゆく。

着いてすぐに大好きな人たちをおどろかせようとThe crystal roomに行ったら、まさかの日曜までみんなバケーションに出かけていて、来週出直し。



今日は石の下見だけして、小雨になったところで、サクラメントリバーヘッドウォーターへ。

ここで流れているお水が、下流でクリスタルガイザーになる。

今日と明日の朝の分のお水をくんで、Coffee Connectionで軽いランチ。

近くの教会に通うおじいちゃんおばあちゃんたちが働いているこのカフェはいつも妙な居心地の良さがあって、大好き。

気さくに話しかけてくれたおばあちゃんのひとりが、帰りがけにとても素敵なお祈りをしてくれて、つないだ手がビリビリ。
優しい声と言葉に、思わず目がうるむ。


今回滞在用に借りたおうちは、小さなリビングとベッドルームがふたつある、コンパクトで可愛らしいスタジオ。

やっぱり、ホテルに泊まるよりおうちの方が落ち着く。
冷蔵庫を開けたら、お部屋の手配のメールでやりとりを重ねていたスタッフの方からの心遣いが。

シャスタの人たちは、みんなみんな、とても親切なんだ。

シャスタにいる、というだけで、私も友だちもすっかり安心してしまって、お部屋をそれぞれ整えたあとは、どこにも出かけずにのんびり。

疲れていたこともあって少しだけ眠ってしまったら、あまりの安眠ぶりにスーパーに出かけるのすら面倒になってしまって、もってきたたくさんの食材たちを使って「ヘッドウォーターのお水で炊きこみ御飯を作る」 という旅の小さな目的のひとつをさっそく果たしてしまった。

二年ぶりにここに来て、やっぱり、ここに住みたいな、と思った。

ずっとじゃなくても、一年のうちの少しの間でもいいから、ここで過ごす時間をちゃんと持てるような生き方をしたい。

それにしても本当に、ここはいるだけでしあわせで穏やかな気持ちになれる。
今回の滞在は短いけど、大切に大切に日々をすごそう。