2017年10月1日日曜日

20170930 ラブレターのお返事

人はいろんなことを経験して、学んでいく。

とてつもない痛みや恐怖は成長する上でときどきすごく重要で、忘れずに覚えていることで注意深くもなるし、それをなんとか乗り越えたことで得た強さは必ず自分をしっかり支えてくれる太い柱になる。


真っ暗闇の空っぽの中で動けずにいた日々の孤独や、せっかくたどりついた好きな仕事が自分の見通しの甘さや「できることをやらない」せいで続けられなくなるかもしれない、と気づいたあの日の凍りつくような恐怖を思い出すたびに、わたしの背筋はシャンと伸びる。


丁寧に仕事をすること。
清廉潔白に生きること。
愛をもって人と接すること。
優しくまっすぐに在ること。


そういう心がけに沿って過ごしていると日々はだいたい穏やかだし、関わる人はだいたい親切で、流れる時間は温かい。

この心がけを課すことは、自分に対する保険でもある。

人生には必ず大波小波がつきものだから、たとえどんなに「このまま」を祈っても、ちょっとした拍子でまたストン、と穴に落っこちてしまうことがある。

事実、日々がどんなに穏やかに続いていても、またあの絶望の中に落っこちてしまったらどうしよう、という恐怖は、わたしの心の奥にいつも貼りついている。

それでも、自分が自分に後ろめたいこと絶対にしない、と決めてそのとおりに生きていれば、たとえ何かどうしようもないことが起こったとしても、受け容れて、また乗り越えることができる、と信じる。
それが、わたしにとっての保険。

だって、自分のせい、は他の誰かや何かのせいよりも、ずっとずっと苦しい。

だからこそ、自分のせい、の原因をできるだけ作らないように毎日自分なりにきちんと生きることは、他の誰のためでもなく自分に対する最大の愛情だ。


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この3年で、あんまり好きではないなりに、この容姿も声も過去も少しずつ「わたし」に同化させる作業をしてきて、最近ようやく、過去のわたしとの境目がなくなってきているような気がしているのだけれど、ここに来て、いまの自分の立っている場所を確かめたり、過去のわたしに感謝したくなる出来事がたて続いている。


7月、ずっと気になっていた代官山のギャラリーで、自分の理想に近い空間作りを試せる機会を得た。

去年まではどんなにたくさんオーダーが入ってもどんどん増える材料費が年収を軽く上回ってしまう状態だったから、せっかく美しいものを作っても展示空間に妥協をしなければいけない、という本末転倒なことになっていたけれど、今年に入って展示の回数を急増したことで、少し余裕が出てきた。

そこで、7月の展示が決まってからは時間もお金もそれなりにかけて、いまできることをできるだけ形にしてみた。

久しぶりに描いたアートは、今までの作風をベースにしながらも、この世界とはまったく別次元のところにある、わたしの魂が見ている風景をイメージして作りあげた。


そして、そのアートを基準にして展示空間に置く作品や石たちを決めていった。

仕上がった空間を眺めたら、まだまだ納得のいかないところはたくさんあったし、わたしの中にあった覚悟や熱量は、さして人には伝わらなかったように思う。

それでも、その空間はわたしにとってとても居心地がよくて、ちゃんと好きだと感じられるものになっていた。

来てくれた人にも今まででいちばん好評で、ほとんどの人がめずらしく作品のことだけではなく空間そのものについても好意的な感想をくれた。

その中である人が「とても洗練された、静謐な空間」と評してくれたとき、あぁそうだ!そういうふうにしたかったんだ!と、自分で行き場を失くしていた満足と不満の両方が、ストンと腑に落ちた。

洗練、と静謐。
そのふたつは、これからわたしが自分の作品世界をつきつめていく上で、間違いなく大きなキーワードになってくる。


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7月の展示ですっかり気が抜けてしまっていて、8月はまったく使いものにならないまま過ぎてしまったけれど、9月にはまた別の形で意識を変える体験が待っていた。

ジュエリーがメインの展示としては初めての地方展示になった福岡で過ごした13日間。
期せずしてとても充実した、素敵な時間になった。


大きな理由は、ふたつ。

ひとつめは、展示を「一緒に」作り上げてくれた人たちの存在があったこと。

この展示はもともと自発的な企画ではなく、九州地方のお客さんふたりがスピタルハコザキさんに企画を持ち込んで、わたしの代わりにプレゼンをしてくれていたことから決まったものだった。

そんな経緯もあって、彼女たちは展示期間中、自分たちの仕事の時間以外はずっとわたしのサポートをしてくれた。

彼女たちだけではなく、店主の原田さんを始め、ちょうど同じ時期にいろんな形で同じ場所に関わっていたスタッフの子たちも若い作家さんたちも、みんなみんなとても好意的に接してくれた上に、彼ら自身もそれぞれが心から、わたしの展示を楽しんでくれた。

びっくりするくらい毎日遅くまで忙しくてもちっとも疲れを感じなかったのは、そういう温かい人たちの温かい厚意のおかげに他ならない。


新しく素敵なお友だちにも出会えたのも、大きな喜びだった。

初めて会ったときから、あぁ、この人と親しくなりたいなぁ!と感じた人が同じように親近感を抱いてくれて、お互いに人見知りを乗り越えて仲良くなれたとき、自分にとってすごく重要な人との縁や出会いについて頭でゴチャゴチャ考えていたことはすっかり吹き飛んだ。

わかるときは、ちゃんとわかる。
自分の直感をもうちょっとアテにしてもいいんだな、と思ったら、なんだか気が楽になった。



ふたつめは、お客さんたちと過ごした時間の密度の濃さ。

実は福岡へ出発する前日に、シミュレーションしていた展示空間がどうやら作れないらしい、ということがわかった。

7月の展示でいちばん注力していたのが「見せる側」にある作品や什器や空間だったから、反動が大きすぎて、展示ごといっそやめてしまいたいというくらいテンションの下がった状態で福岡入りしたのだけれど、展示の動線を大幅に変えたことが結果的にはとても功を奏した。


東京の展示は来てくれる人のほとんどがリピーターさんか誰かのクチコミで、つまり最初からわたしの作品に興味と好意を持って、オーダーをするために展示に来てくれる。

だけど、知り合いもほとんどいない福岡の展示を覗いてくれたのは、過去のわたしはおろか、いまのわたしのこともまったく知らない人ばかり。

だからこそ、自分の「見せたい空間」をきっちり作ることである程度の自己紹介をしたかったのだけれど、それができなくなったために、期せずして「わたしが居る空間」を来てくれた人にとっていかに心地よくするか、を大急ぎで考えなければならなくなった。

取り急ぎ準備できたものでどうにかこうにか体裁を整えたものの、ほんとうに試されたのは私のホスピタリティとサービス精神、だった。

見せ方に甘えられない分、わたしはいつもよりもよくしゃべった。


言葉が自分にとってとても大きな味方になってくれることはわかっているけれど、わたしはこの3年間、人と会話をすることや言葉を発することを、極力避けてきた。

仕事でオンモードのスイッチが入れば、作品や石のことならいくらでも話せるけど、過去のことは話を合わせるのが大変だし、いまのことはだいたい空っぽで特に話したいこともないしで、いつのまにか、誰といてもあんまり会話らしい会話をしなくなっている。

ふだんの展示中も、よっぽどゆっくりお話できる時間があるときを除いては、ジュエリーを作るために必要な会話しかしないか、お客さんに甘えて黙っているか、のどちらかになることが多い。

でも、福岡の展示でわたしはとても久しぶりに、たくさんの人とたくさんの会話をちゃんとすることができた。


それは「ヒミキヨノ」にとっては初心にかえった時間であると同時に、わたしにとっては、はじめましてのお客さんと向き合いながら「ヒミキヨノ」を作り上げてきた過去のいろんな出来事を改めて思い出し、そのひとつひとつにあらためて驚いたり感謝したりする、不思議な時間だった。

人々とお話をしながら、すべてが事実であることを我ながら疑いたくなるくらい、わたしの生きてきた38年間には驚くくらいたくさんの経験が詰まっていること、そしてその経験の中には誰かのこれからに役立つことが混じっていたり、共感できることがあったりすることに気づいた。

人に合う石を選ぶ、という特技にはサイキックリーディングを要するけど、ただ人に合わせてお話をするのに、リーディングなんて必要ない。

ほんとうはずっとそうやって会話をしてきたはずなのに、自分自身の考えと外側からのインスピレーションとの境界線がわからなくなってから、わたしはどこかで、自分の言葉だけで会話することに自信をなくしていたのだと思う。

でも、その境界線にこだわっているのはたぶんわたしだけで、相手にとってはどれもわたしの口から語られる言葉であることに変わりはないし、その言葉の源がどこにあるかなんて、きっと誰も気にしない。

求められてばかりになったら苦しいけど、作品と同じくらいにわたしの「言葉」がときに誰かの心を小さく照らしたり護ったりするのなら、もうあんまり出し惜しみするのはやめよう。

これは、今年に入ってから東京の展示でもお客さんとお話をする時間が少しずつとれるようになってきた中でも感じていたことだったけど、福岡でのたくさんの会話を経て、その気持ちがますます強くなるのを感じた。


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何かの出来事をきっかけに、大なり小なりの忘れていたことや新しい発見があったことに気づく。

それを言葉にして残さなくなったのは、文章を練る時間がとれなくなったりおっくうだったりというのもあるけれど、いちばんの理由は書いている途中でいつも、別にこれ、人に伝えなくてもいいか、とすぐにやめてしまう癖がついていたからだ。


感情をこめて書いたわたしの「ほんとう」が、リアリティのないフィクションのように受け止められるのが、嫌だった。
かといって、感情のこもらない文章なんて、書く意味すら感じられない。

だけど、わたしにとって何がほんとうで何が嘘か、なんていうことはわたしだけが知っていればいいことであって、たとえそれが本音であれ建前であれ、そのときの自分が誰かに何かを届けたくて書いた言葉はぜんぶ「事実」だし、そこから先、一人歩きしたその言葉の行き先は、それが届いた人のもとで自由に昇華されていけばいい。

書けなくなったのはきっと、そのことがわたしのなかできちんと納得できていなかったからだし、それがわかったからと言って、前のようになんでもかんでも書くようなことは今後もないと思う。


それでも今回、まとまらないなりに久しぶりのブログを書いているのは、たったひとり、この文章をどうしても届けたい人がいるからだ。


数年前、ひょんなきっかけでわたしの以前のブログを見つけて以来、ずっとわたしの文章を大好きでいてくれたという人が、このあいだの展示のときに中学生の息子さんをつれて会いに来てくれた。

彼女はいちばんつらかったとき、わたしの書いた文章を何度も繰り返し繰り返し読んでくれたこと、そしてそれにどれだけ心を救われたのかを一生懸命に話してくれた。

わたしなんて別に有名人でもないただの人なのに、いまこうして同じ空間にいられるなんて夢みたい、と感激しながら笑ってくれたのが、すごく嬉しかった。

そして彼女は、お守りにしたい、とHIMIKAの指輪を選んでくれた。

サンプルに出したばかりの指輪がちょうどシンデレラサイズだったから、指輪はそのままお渡しして、桐箱だけを紙袋に入れて渡した。
すると、それまで寡黙だった息子さんが不意に、お母さんに向かって微笑みながら、「HIMIKAの箱があれば、なくさないから安心だね」と言った。

ふたりはきっと気づかなかっただろうけど、わたしはこのとき、泣きたいくらい嬉しかった。

彼女がとても心のこもった言葉で想いを伝えてくれたのと同じくらいに、中学生の彼がサラリと「ヒミカ」と口にしたとき、これまで彼がお母さんからどれだけわたしのことを聞いていたのか、そしてどれほど一緒に大切にしてくれていたのかがダイレクトに伝わってきて、胸がいっぱいになっていた。


福岡の展示では、たくさんのお手紙をいただいた。

SNSや誰かの紹介や旅先で出会ったのをきっかけに、わたしに会うことを楽しみにしてくれていた人たちからのお手紙もあったし、福岡で初めて出会った人が二度、三度と繰り返し展示に遊びにきてくれたときにくれたお手紙もあった。
一緒に展示を作ってくれた若い作家さんたちが最後に自分たちの作品と一緒に渡してくれた、心のこもったお手紙もあった。

展示が終わったあとにいちばん長いラブレターをくれたのも、彼女だった。

彼女のくれた手紙の中には、代官山の展示空間に向けて誰かがくれた褒め言葉と同じくらい、わたしの中でずっと輪郭のぼやけていた、でもずっと欲しかった言葉が書いてあった。

それを読んだとき、たまらなくしあわせな気持ちになると同時にわたしは、彼女が、そして他にもたぶん多くの人が大切に想ってくれていた過去のブログを、いまの自分の「真実」と違うから、という理由で消してしまったことを、初めて申し訳なく思った。


過去に書いた文章を消したことに後悔はないけど、過去のわたしの文章を愛してくれた人の想いは、わたしにとって、絶対になかったことにはしたくない、大切なもの。


だからこれからはまた、自分のためにだけじゃなく、誰かのために書きたいと思ったら、そのときもちゃんと形にして伝える努力をもっともっとしていきたい。

「文章を書いてもジュエリーを作っても音楽を作っても、存在するだけで人を幸せにする方」

わたしにそんな宝物のような言葉をくれた人に恥じないように、言葉だけじゃなく、音楽も、アートも、何かそれ以外のことも、いまのこのまっすぐな気持ちのまま、自分のために、と誰かのために、をどちらも心に正直に作っていけばそのうちきっと、わたしの中にあるいろんな境目も、わたしと誰かの境目も、ぜんぶなくなるときが来るだろう。


足りないものがたくさんあっても、いまわたしがとてもしあわせなのは、わたしの仕事のすべてが誰かのちいさな喜びにつながっていて、その喜びを伝えてもらうことがわたしの原動力になって、という循環で成り立っているからだと思う。

奢ることなく、怠けることなく自分のペースでこれをずっと丁寧に続けていくことができたなら。


ただただ日々、感謝の気持ちいっぱいで過ごしていく。
その小さな感謝のひとつひとつが、わたしのしあわせタンクを満たしてくれる。

もしもわたしが誰かのしあわせタンクを満たすもののひとつになれたなら、それがずっとその人にとって愛おしいもののまま、いつかそっと忘れられたい。

そんなきれいごとが、今のわたしには前よりずっと馴染んでいる。

それはぜんぶ、他の誰かのおかげさまだ。


いろんな形でわたしを見つけてくれたすべての人に、今日もありがとう。

明日からもがんばります。












2017年7月1日土曜日

20170701

誰かと思いきり話がしたい。

共通言語じゃなく、わたしの言葉が通じる誰かと。












2017年4月18日火曜日

20170418



10年くらい愛用していた傘が、この間ついにダメになってしまった。


雨の日も楽しい気持ちになるようにって友だちが選んでくれた、踊っている人々が描かれた陽気なあの傘。

大好きだった。




新品のビニ傘が、カフェで友だちとしゃべっている間にヨレヨレのビニ傘と入れ替わっていた昨日の夜、大雨の帰り道を車で家まで送ってくれた大好きなお友だちが、お誕生日プレゼントだよ、と後部座席に陣取った細長い箱をくれた。


傘が欲しいって言ってたから、と彼女が選んでくれたのは、HAN WAYの傘。


見るからに丁寧に作られているジャガード織のその傘は、触るとふんわり温かい。


大好きな色合わせと大好きな模様の、大人のための傘。


自分で探してもきっと見つけられなかった、わたしがいちばん欲しかった傘。



この10年間、雨が降って、あの陽気な傘を開くたび、わたしはいつもそれをくれた友だちを思い出して嬉しかったけど、これからの10年はきっと、雨が降ってこの美しい傘を開くたびに、あの傘をくれた友だちのこととこの傘をくれた友だちのことをいつも一緒に思い出して、いっそう嬉しくなるんだろう。



『おじさんの傘』みたいにだいじなだいじなこの傘と、これからたくさん雨の音を聞きたい。


雨が降ったらポンポロリン。

雨が降ったらピッチャンチャン。


次の雨の日が楽しみだ。